琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

アフガニスタンの歴史 その2 アフガン侵攻から1990年代まで

 

アフガニスタンというと戦乱のイメージですが、
ここで一息、アフガニスタンの音楽でも聴いてみてください。
 
ルバーブという楽器、ほかの地域だと同じ名前で弓で弾く楽器なんですが、
アフガニスタンだと撥で弾く楽器
 
それにインドのタブラ
日本からみると、よくある民族楽器の合奏なんでしょうが
アフガニスタンルバーブとインドのタブラの合奏なんて
なかなか素敵な組み合わせですよ。
 
そしてコメント欄に溢れるアフガニスタンへの応援メッセージがステキな。
 
大国に翻弄される以前はこんな音楽が溢れていたのです。
このシルクロードの音楽、その東端に琵琶がある、と思うと
何となく身近に思えますね。
 
さて、
1979年のアフガン侵攻から現在まで
1980年代は
前年にソ連アフガニスタン侵攻があり、
冷戦を背景とした対ソ戦争と、ムジャヒディンの戦いの10年
ムジャヒディンとは
「ジハードをする者」という意味で古来にはそんな物騒なワードではなく、
個々の信仰行為、みたいなニュアンス。
 
しかし、近代になってからは
イスラムに則ったジハードをする戦士」と転じる。
 
ソ連不凍港も欲しいし、
緩衝地帯も欲しいので(周りは味方でいて欲しい欲求)、
とにかく南下するんですよ。
 
アメリカがゴーウェストと西に行きたがるのと似てるんですが。(どちらも結果的に日本と戦うし)
 
そこでアフガニスタン侵攻が勃発 1979年
 
アフガニスタン政権がソ連に援助を求めた
という大義名分のもとに駆けつけたのですが、
色々とあって大統領を即刻に殺します。
 
そこから、アフガニスタン内のムジャヒディンがソ連と戦うわけです。
そして、冷戦中のアメリカはパキスタン経由でムジャヒディンに武器も金も流すわけです。
 
アメリカの代理戦争ですね。
ランボー3 怒りのアフガン』でも
ランボーアフガニスタン侵攻に怒って単身アフガニスタンに向かい
対空ミサイルで戦うのですが、
劣勢になったところでムジャヒディンが援護に来る、という。
 
ちなみにこの時にウサマ・ビン・ラディンはムジャヒディンとして
アメリカと一緒に戦っていたのです。
 
ここもドラマですよね。
ランボーに出てるムジャヒディンの中に
エキストラでビンラディンがいたかもしれない。
 
ちなみに我々世代での現代史のバイブル
漫画『マスターキートン』でも、12巻「赤い風」で
ほら木の枝とか万年筆とか身の回りの物で殺すKGBスパイいたじゃないですか、
彼はアフガン侵攻のときに電気技師としてアフガニスタンにいったところ戦火に巻き込まれて亡くなった設定で
実はKGBになっていた、という。
 
そんなアフガン侵攻
ソ連は戦果をあげられず疲弊し
1988年に和平、ソ連撤退、ソ連崩壊の一因となります。
 
それで一応はムジャヒディン政権が樹立される。
 
そこからがまた多難の歴史が続きます。
 
1990年代ですね。
ソ連が撤退した瞬間にアメリカは関心を無くす
しかし国はズタボロ、米ソが残した大量の武器を前にムジャヒディン勢力も内紛に
 
ここが悲しいところで
アフガニスタンの戦争は大国に翻弄されただけではなく、
自律的に安定した政権を立てられなかったことにもある。
(ここまで荒廃させられて、それも無理な話か)
 
そんな内紛に嫌気が差した中で
とうとう登場のタリバンです。
元は「学生」の意で、
スンナ派パシュトゥーン人の学生を主な構成とする。
 
対するムジャヒディンは色んなグループがあったのですが、
タリバンで結束して後に「北部同盟」を作る。
 
ざっくりタリバンvs北部同盟と思ってもらえればよいです。
 
民族構成は、
 
北部同盟は、パシュトゥーン人もいるのですがタジク人やハザラ人、ウズベク人など諸民族連合のようなイメージです。
 
ちなみに、タリバンの中には
元はムジャヒディンにいたイスラム学院のグループもいたのです。
つまりは、
タリバンアメリカが武器を渡してアメリカが育ててアメリカが火をつけたようなもんですね。
 
1990年代は
タリバンvs北部同盟なのですが、
徐々にタリバン優勢になり、
1996年首都カブール制圧、タリバン暫定政権
 
そんな中で、
いよいよウサマ・ビンラディンです。
 
 
ここで、とりあえずアフガニスタン現代史で四人覚えといて欲しいのです。
 
一人目が、
第三次英アフガニスタン戦争で独立を勝ち取ったアマヌッラー
アフガニスタン版のケマルアタトュルクです。
急進的過ぎて失脚
 
二人目が
第二次世界大戦で中立を守り
憲法制定などの近代化
温泉行ってる間にクーデター
 
三人目が、
クーデターを起こして後の親露の社会主義政権に繋がった
ダウード
 
四人目が
オサマビンラディンですね。
 
ビンラディンからはまた次回に

アフガニスタンの歴史 その1 紀元前から1970年代まで

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タジキスタンアフガニスタン パミールハイウェイ

 

さて、今ホットなので、
アフガニスタンの歴史をかいつまんでみようかと思います。

 

むかーし昔からいうと
紀元前から今まで僅かな時期を除いて
大国の侵略と干渉を受け続けてきた国で

 

アレキサンダー大王に始まり、
ササン朝ペルシャ(琵琶の起源バルバットの生まれた王朝)
ウマイヤ朝アッバース朝
モンゴル帝国ムガル帝国と、

 

アジアのメイン王朝をコンプリートしてるのでは、というぐらいに
どこかの領土になっていた。
基本的には遊牧民族の国

 

ところで、
1709年ようやくアフガニスタンの王朝の歴史スタート
パシュトゥーン人アフガニスタンの多数派)の
ボータキーがボータキー朝を設立

そこから色々と王朝はかわりつつ、
ドーストムハンマドという王が
アフガニスタン首長国に国名かえてアミール(総督、的な)

 

これ面白いのが、
アフガニスタンは色んな王や指導者が出てくるのですが、
ハーン、と名乗ってる人は遊牧民族のニュアンスがあり、
アミールはアフガニスタンの王様のニュアンス
シャーはペルシャのニュアンスと、

 

その指導者が何にアイデンティティを持ってるかが少しわかるという。

 

ちなみに、豊かでのどかだった時代の中央アジアの生活を知りたい方は
是非とも漫画『乙嫁語り』を読んで頂きたい。

 

あれはタジキスタンだったりキルギスだったり、
もう少し北が舞台のようですが、
ロシアやイギリス、後にはアメリカと
欧米の大国が手と口を出す前の、平和で豊かな中央アジアがわかります。

 

あの漫画でも、ロシアの南下を警戒する場面がある。
アミルの実家の好戦的で獰猛な遊牧部族にとってもロシアは脅威で、
もはや遊牧民族が優位だった時代はとうに終わってますからね。
日本では騎馬隊よりも銃が強いのは信長が長篠で実証。

 

そんでもって、
ヒロインのアミル、年下の夫のカルルク君を引っ張っていく芯の強い女性ですが、
「アミル」のもつ言葉の強さもキャラ設定にあるのでは。欧米でいう「アレックス」みたいな。

 

そんなドストムハンマド王(アミール)のときに、
ロシアの南下に警戒したイギリスが、
アフガニスタンに親英政権作ろうと介入していく。
1838年第一次英アフガン戦争
ここからが欧米の介入の歴史スタート

 

このときはイギリスvsロシアの構図ですね。
ロシアはなんとしても冬でも凍らない港が欲しくて、
イギリスはそれを阻止したかった。

 

ちなみに日英同盟もイギリスの思惑はそれで、
極東では日本頑張って南下防いでね、と。
当時弱小国ながらイギリスと同盟できたのは日本にとっては大きかったのですが。

 

まぁそんな英アフガン戦争は
第一次はアフガニスタンが勝ったんですが
第二次は負けて保護国に、
そのときにパキスタンとの国境か引かれて(デュアランドライン)
アラビア海と接しなくなり、またパシュトゥーン人が国境で分離されちゃった、と。
これ後から出ます(←塾講がよくいう笑)

 

 

第一次大戦
1919年第三次英アフガニスタン戦争はアフガニスタンが勝ち、
イギリスからの独立を勝ち取る。
アマヌッラー・ハーン王 英雄ですね。

 

アマヌッラーはトルコのケマルアタトュルクに影響されて
多妻制や、夫亡くなったら兄弟と結婚する風習(ラビラト婚、『乙嫁語り』にも出てきますが)の廃止、女子教育の拡充など手をつけるのですが
改革が急進的過ぎて失脚


トルコになるのは早過ぎたか、

 

そのあと、第三次英アフガニスタン戦争の英雄
ナーディルハーンが即位
1933年その息子ザーヒルシャーが即位

 

このザーヒルシャーが割と大事な人で
何年かしたらザーヒルの映画ができるのでは、
ラストエンペラーならぬラストアフガンキングで、
更に911後のアメリカ統治政権に返り咲くという
なかなかドラマ性のある人物、

 

ここでザーヒルに肩入れしながらみると、
第二次世界大戦では連合国にも枢軸国にも与せず中立を保ち(なかなかの決断)
1964年には憲法制定など近代化へ

 

しかし、
ここで悪役ムハンマド・ダーウドハーン
1973年
ザーヒルナポリの温泉いってる間にクーデター
ソ連の援助を求めてソ連軍が駐留することに、


1978年社会主義政権樹立

 

そして1979年ソ連のアフガン侵攻

 

ここら辺からようやく手の届く現代史ですね。
このときはムジャヒディンとアメリカは仲良しで、
ランボーはムジャヒディンと戦ってる、
ビンラディンもムジャヒディンにいたので、
ランボービンラディンは仲良くソ連と戦っていた。

 

 

さて、ながくなったので
一旦大雑把にまとめると、

1.
紀元前から17世紀まで
色んな大国の領土、アレクサンダーからモンゴル帝国ムガル帝国


2.
18世紀から
アフガニスタン王朝スタート


3.
19世紀から20世紀初頭1930年まで
イギリスvsロシアの構図の中でイギリスの保護国だったり独立したり


4.
1933年イギリスからの独立から1970年まで
ザーヒルシャーによる第二次世界大戦の中立国維持からの
憲法制定、近代化

 

ここからは10年ごとの括りがわかりやすいです。

5.
1970年代
相次ぐクーデターと親ソ政権樹立

6.
1980年代
冷戦を背景にした対ソ戦争と
対ソのムジャヒディンの戦い

7.
1990年
米ソの撤退後の無関心時代
タリバンvsムジャヒディン

8.
2000年からの20年、
911からのタリバンvsアメリ
からの泥沼親アメリカ政権時代

9.

2021年〜
タリバン政権復活からの
さてどうなるのか、うっすら親中、親露の
テロリストと麻薬の輸出国家になるのか、、、
多少は国際社会の目の中で
タリバンがゆるりと民主化していくのか、、、

 

 

アフガン侵攻からはまた今度

 

これからの琵琶楽の展望

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先日の琵琶クラブハウスで
昭和から令和編を話したところの話

 

奈良時代から大正までは琵琶楽は邦楽の中でメインストリームだった、という話。


楽琵琶は雅楽の中で重要なパートであり、
かつソロ楽器としても人気があった。


中世では語り物音楽に結びつき
平家琵琶として、まさに庶民が手にできる最もメジャーな弦楽器だった。


これは篳篥や笙といった雅楽の枠内にしか存在できなかった楽器達との違いですね。


近世では、三味線人気に押されて存在感は低くなりましたが
古典芸能としての平家琵琶があり、
九州地方では各地域の盲僧琵琶文化が花開いた。

 

そして明治大正は、まさに近代琵琶のブーム期になる。

 

 

が、そこから昭和十年代からは、
いわゆる邦楽が西洋音楽を咀嚼していく歴史の中で殆ど記載されなくなる。

 

宮城道雄らの新日本音楽、
戦後の現代音楽、現代邦楽、
90年代以降の何度か訪れた邦楽ブーム

 

これらの中で、

琵琶の専門誌は除いて、
いわゆる日本音楽史の文献で名前があるのは、
三人

 

1.ソナタやロンドなどの
西洋音楽の形式を踏まえた琵琶曲を作った
三世橘旭翁先生

 

2.武満徹と黄金コンビを築いた鶴田錦史先生

 

3.2000年ゼロ年代
吉田兄弟、箏森川弘恵、東儀秀樹らと並んだ
邦楽ニューウェーブ坂田美子先生

 

 

もちろん、文献に載ってないだけで、
色んな活躍した演奏家がいて作曲家がいたのは間違いないのです。

 

しかし、他のジャンルも含めた

俯瞰した音楽史にはこの3名だけ。

 

そのうち、多くの文献では鶴田錦史先生のみの記載

 

という話をした流れで

MCの方から「今後の琵琶界は〜?」
みたいな話になってしまい、

そんなことを言える立場では全く全くないのですが、
まぁ、逆に、こんな琵琶楽史オタクから言った方が無影響かもと思って
話してしまったことのまとめ。↓

 

 

1.器楽専門の演奏家の広まり
琵琶は元は600年ほどインストの楽器だった、
それが語り物と結びついて800年ほど語り物の伴奏楽器になってますが、
これを再度、器楽の音楽として再評価されるべきだろう、と。


これは
長唄では四世杵屋佐吉が、
箏曲では古くは八橋検校と、宮城道雄でしょうか、
中国琵琶では劉天華が、

 

明治以降に
歌の伴奏から脱却して、楽器本体の魅力とする音楽を創設していった。

 

琵琶も武満徹の『エクリプス』は
語り物のない琵琶曲

 

これをもっと進めて
器楽専門の演奏家が広まること、

 

というのも、
琵琶サークルを運営してた中で
やっぱり楽器だけ弾きたい子ってのは必ずいて、
それはそのとおりで、中高でギターやってたみたいなギター少年は
楽器だけ弾きまくりたいのですよ。


だって、スティーブバイもイングウェイマルムスティーン
歌わないじゃないですか。

辻井伸之も押尾コータローも歌わない。

 

私も当時は頭が凝り固まってたので、
「琵琶は語りをやらねばダメだ」とか、
「好き嫌いは別にしてちょっとやってみようか」なんて強く働きかけて

 

今考えると
相当、潜在的な部員を失ったんだろうな。と。


琵琶史を俯瞰すれば器楽音楽の歴史から始まっているのに。

 

これで大事なのが、
語り物の琵琶楽は語り物の琵琶楽として
大事にしていく、ということ。


それはそれ、
それに選択肢が追加される。


語らない琵琶奏者、楽器だけで勝負する琵琶奏者

これが広まると、また始めたい人も増えるはず。


いまの津軽三味線の人気って
YouTubeの「弾いてみた」系をみていても、
器楽だけで成立することが、ギター少年気質とマッチするんだろうな、と。 


新たな裾野を獲得できるのではないか、と。

 

 

2.楽器の改良、電気化
次が楽器の改良、
楽琵琶→平家琵琶→盲僧琵琶→薩摩琵琶
と音楽形態が変わる中で、
楽器自体が変わっているんですよね。
新しい琵琶楽のためには〇〇琵琶と
新しい名称が必要なのではないか、

 

これは七孔尺八や九孔尺八、オークラウロに通ずるというか、
1960年代以降にジャズ尺八やロックポップスと結びつく中で
「あんなの尺八音楽じゃない!」というご批判はあったのです、


が、
「この音楽は七孔尺八の音楽である」と切り替えた。

五孔尺八には五孔尺八のための音楽があるように
多孔には多孔の音楽があり、それは逆に五孔には適さない、と


棲み分けができた。 

 

それはエレキギターのジョージビーチャムも
筑紫箏を改良した八橋検校も、
新しい楽器をすることで棲み分けをする。

 

琵琶も、〇〇琵琶ができるとよいのでは。

 

 

3.語り物の現代語化
器楽からのアプローチの現代化とは別に
琵琶歌から、なりけり、を卒業させる。
普通の人が普通に話す言葉で語る。
正岡子規ですね。
(卒業させるっていっても古典は古典で大切にするのですよ)

 

4.怒られる

怒られる、これが割と大事で
琵琶楽って怒られてきた歴史なんですよ。


楽琵琶から平家琵琶に変遷したときも
めちゃくちゃ怒られた、雅楽という体系的な音楽理論を学んだ楽人の器楽音楽を
お経や説教と、また戦記と結びつけるなんて、
楽人、伶人からすれば「けしからん」ことなんですよ。

 

平家琵琶から盲僧琵琶への変遷は
明確に論争になり、血が流れてたことが文献に残っています。
当道座の平家琵琶の座頭からみれば
荒神経や地神経という偽経を語り、
変形させた琵琶を弾くというのは
邪道も邪道なのです。

 

盲僧琵琶から薩摩琵琶も、
いかに薩摩藩が盲僧に比較的優しい政策だったとしても、
盲人の専門職の琵琶楽を晴眼者が弾く、
経ではなく、武士風、町風に作詞する
というのは盲僧にとっては非常に苦々しいものだったに違いなく。
相対的に自身の芸能の役割が下がりますからね。

 

 

また、これは狭い了見の話ですが、
吉水錦翁先生が女性に門戸開放したときも
男性奏者の中では、猛批判した方がいたそうで。。

 

 

また薩摩琵琶の中でも
正派→錦心→錦→鶴田と
全過程で怒られてますよね。

 

筑前の怒られる歴史は把握してないのですが、
改革の影にあるのでしょう。

 

 

なので、
怒られる歴史なのですから、
怒られましょう、と笑。

 

いや、琵琶ストラップ って
多少は怒られるんじゃと思いながら作ったのですが、
一切怒られなかったのが若干寂しく、笑。
(知らないところで怒られているのかもしれませんが。)

逆にいえば、怒られるぐらいでないと
新しくないんでしょうね。

 

 

とまぁ、
ハジのハジから恥を忍んで

琵琶曲 湖水乗切り 考察その2

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明智左馬之助秀満

先日クラブハウスで
今年の琵琶楽コンクールでは
『湖水乗切り』でエントリーした人が多いらしい、と
(他の流派だと「湖水渡り」とも)

わかった範囲で三人
左馬之助も琵琶湖を渡り切ったと思ったら振り出しに戻るので
大変そうな笑。

私はコロナ禍を縁起良く乗り切って欲しいと思ってたので、
思うところは一緒でしょうか。

そんな明智左馬之助、
渡る時に何を考えていたか

まず出自は、実はよくわかってない
光秀の従兄弟とも、娘婿とも、親族関係はない、とも

従兄弟説は、光秀の父の弟、明智光安の子という。

娘婿説だと、
左馬之助は備前の三宅氏の出自で、光秀の娘倫(さと)を娶ったとも。

大河「麒麟が来る」や、司馬遼太郎の「国盗り物語」では従兄弟説
加藤廣明智左馬之助の恋」では娘婿説

ここで近年指摘されてるのが
明智姓がほかの家臣にも与えられてること、
どうやら光秀は姓を褒章の意味で家臣に与えていたらしい、と。

光秀は明智光秀として知られてますが
40代から惟任(これとう)と名乗っており、
有力な家臣に明智姓を与えていた

これは信長でいうところの茶器ですね。
領土や禄は有限なので、褒章を他の物に切り替えることは
洋の東西を問わず行われてますが

光秀にとっては姓だった、とも。

なので、特に親族関係なく明智姓を名乗っていたとも考えられる。

ここは、私は家臣説を採りたい、
従兄弟のために、舅のために、
というよりも、主君光秀のため、の方が
気持ちとして純粋だと思う。

次に本能寺の計画を知らされたときの行動、
左馬之助と斎藤利三の二人に明かした、とも
ほかに二人の家臣がいた、とも。

果たして左馬之助は
止めたのか、乗ったのか、

光秀が長宗我部氏のために起った、とあれば(四国説)
長宗我部氏の姻族である斎藤利三本能寺の変をけしかけたのですが、

私としては野望説を採りたい

信長は天下が欲しかった、秀吉も天下を欲しかった、
そして光秀も天下が欲しかった

としても、
左馬之助に政局がわからないはずはない、
本当に頼れるのは、細川藤孝か、筒井順慶か、、、
手薄い、(実際に両者とも光秀側に付かず)

となれば、いかにすばやく「次の天下人が光秀だ」と知らしめて、
親信長派を取り込み、朝廷工作を成功させるか、

以上の政局を考慮すれば、
おそらく反対しただろう、
少なくとも信長の下にいれば、プレゼンスは失いつつあっても、
それなりの禄高で家臣を維持できたので。

しかし、
これは逆算ですが、
もし光秀が天下をとるなら、今しかない、
秀吉や柴田勝家ほか有力家臣が離れており
かつ、信長と信忠が僅かな手勢で京にいる。
そんな軍事的空白は二度と訪れない。

また、左馬之助は
光秀からの告白を受けて、
自分はともかく他の家臣が
万が一に信長に内通することもありえる。

となれば討つしかない

となれば、成功させねばならない
ということで本能寺の変では第一陣を務める

が、不覚にも信長の首を取れなかった
これは信忠の首も同じ、二人とも首がないのは痛い。

信長生存説を許したことで
諸国の参集が鈍ることに、

これは左馬之助の指揮の誤りというより、
信長が一枚も二枚も上手だったということか。
優秀な家臣と、天下の英雄の差でしょうか、

そして本能寺の変後に、
光秀と共に安土城へ向かう、

が、ここで琵琶湖の要所、瀬田橋を越えねばならないところを
瀬田城主、山岡景隆が瀬田橋を焼き切る、と。

昨年見つかった文書「山岡景以舎系図」では
https://www.chunichi.co.jp/article/69303

この際に左馬之助と山岡氏で船戦があった、とあり
これが湖水渡りの元ネタになった可能性がある。

講談では、
安土城坂本城の湖水渡りですが、
史実だと
本能寺の変後の→安土城の船戦

時期も矢印も違いますが、
湖水渡りが俄に真実味を帯びてきたのが嬉しい。

光秀軍勢は瀬田橋を焼かれたことで
補修などで安土城入りが3日はロスする、手痛い

ここでも、
もし山岡氏が光秀側についてたら、
安土城をもっと早く開城できていたら、がある。

しかし、瀬田城主レベルに、
「光秀は天下取りの器ではない」と見切られているところに
光秀の哀しみが。

そのあとに、
山崎の戦いで光秀敗戦
坂本城へ向かうところで、落武者狩りに遭う。

光秀の敗戦を知った左馬之助は
主君と落ち合うべく坂本城

ここで講談のなかでは琵琶湖を渡る

ここで大事なのが
光秀の死を知っていたか、知らなかったか、

おそらくは、知らなかっただろう。
ネットも電話もない時代ですから、
敗走は知っていたが、
おそらくは厳しいだろう、が生きていて欲しい、

という思いの中で左馬之助も坂本城へ向かう、
(客観的な目線では、既に光秀は亡くなっている)

そして、
左馬之助の頭の中は、主君光秀だけでは無く
むしろ坂本城にいる明智家臣団と
そして左馬之助の家族だったのではないか

信長の首を取れなかった失敗や
山岡景隆との船戦で手こずったことの後悔と

そもそも光秀の計画を止められなかった後悔もよぎっていたのではないか、

だからこそ
なんとしてでも坂本城に入り
山崎の戦いの敗戦を伝え、
できる限りの明智勢を逃し、

せめての再興の路を残したかったのでは。

あと大事なのが
その先の自分の未来ですよね。

秀吉が本気を出せば
坂本城で籠城できるはずもなし、

開城の条件として少なくとも自身は死なねばなるまい、と。

そうなると、
琵琶湖は命がけで渡るといっても
自分の命ではない。

走れメロス的なところですね。
伝えるために渡った、

その獅子奮迅が
琵琶湖を愛馬と渡ったという伝説になったのでは。

後世になると、
ご存知のとおり、光秀は裏切り者として
日本史上の一番のヒールとなる。
麒麟が来る』で再評価の流れはありましたが、
それでもヒールですよね。
平清盛木曾義仲、頼朝、吉良上野介徳川綱吉
まぁ、光秀を越えるヒールではない。

江戸時代には、庶民の間で家系図作りが流行ったそうですが、
明智家だけは誰も望まなかった、と。

しかし、明智家の中でも
左馬之助人気だけは別で、
主君を思い琵琶湖を渡ったヒーローとして語り継がれる

ここからは本当に眉唾ですが、
坂本龍馬は左馬之助の子孫という説があり
坂本家の家紋が桔梗であることも、
坂本の由来が坂本城だということも言われており、

チンギスハーンが義経だった、ぐらいの説ですが、
でも、そんな噂が成立することが
左馬之助人気を裏付ける

戦国のヒーローから幕末のヒーローへのバトンタッチで少し楽しいですね。

そんな左馬之助、

さて今日も乗っ切ろう

【日本文化好きの縁側】160日目スペシャル!!第四回琵琶の回【琵琶の歴史をババっと解説 昭和~令和編】 

https://www.clubhouse.com/event/xVJW6nJz

2021年8月9日

クラブハウスイベント

 

紀元前~大正までの琵琶史の流れは下記の記事でご参照ください

biwa-souyama.hateblo.jp

 

琵琶史

奈良時代平安時代

・楽琵琶 雅楽において重要な役割

中世

篳篥や笙と異なり、語り物音楽として変化し、時代のメインストリームへ

近世

・三味線音楽の流行のため、古典音楽としての平家琵琶

 九州地方においては17世紀後半から盲僧琵琶の興り

 

明治~大正時代

・薩摩琵琶・筑前琵琶の近代琵琶がブームへ

 

昭和

・大正での空前の琵琶ブームの反動を受けて、

昭和ゼロ年代から下火に・・・

 

琵琶ブームの陰り 

1919年 大正8年 橘旭翁没

1923年 大正12年 吉田竹子没

1926年 大正15年 錦琵琶 発表

1927年 昭和2年 永田錦心

 

ここからは日本音楽・邦楽における西洋音楽の取り組みへ

 

 

戦前

・新日本音楽

大正中頃から昭和初期にかけての音楽運動

大正9年(1920年)宮城道雄・吉田晴風・本居長与とともに

「新日本音楽演奏会」

 

筑前琵琶 橘旭翁三世(1902 - 1971)
舞踊曲としての琵琶合奏曲を作曲したり,洋楽的な面も取入れるなど新しい試みを行なった。

 

戦後

西洋音楽の作曲家による取り組み

武満徹三木稔・諸井誠・石井真木・船川利夫

伊福部昭アイヌ音楽をモチーフに)

 

琵琶は、、

武満徹鶴田錦史

「ノヴェンバーステップス」

「エクリプス」

琵琶、尺八、オーケストラのための「秋」

大河ドラマ義経』エンディングテーマ

映画「怪談」サウンドトラック

 

・現代邦楽

邦楽演奏家による取り組み

中能島欣一・杵屋正邦・唯是震一・沢井忠夫ら

 

鶴田錦史 電気応用琵琶と室内楽による「春の宴」

 

 

現代音楽・ロマン派以外のアプローチ

 

ジャズピアニスト 作曲家 秋吉敏子

『孤軍』1973年

能楽を取り入れたジャズ

 

山本邦山 ジャズ尺八

『尺八によるスタンダード・ナンバー/ハーレム・ノクターン』1969年

 

「六段の主題にもとづく即興」2005年

シタールラヴィ・シャンカール

タブラ:アラ・ラカ

筝:宮下伸

尺八:山本邦山

 

 

1951年 電気応用琵琶(エレキ琵琶) 開発 1963年発表 

「電気応用琵琶とオーケストラによる~春の宴~」

1962年 映画「切腹筑前琵琶サウンドエフェクト

作曲:武満徹 筑前琵琶:平田旭舟・古田耕水

1967年 琵琶と尺八とオーケストラ 『ノベンバーステップス』

作曲:武満徹 琵琶:鶴田錦史

1973年 琵琶、尺八、オーケストラのための『秋』

作曲:武満徹 琵琶:鶴田錦史

 

 1980年頃か:邦楽器によるコンポジション『ふくろう』

作曲:山川直春 筑前琵琶:山田美喜子

 

1982年 映画『ブレードランナー』琵琶 半田淳子

 2012年 ハラキリ乙女~琵琶とオーケストラのための(Harakiri Maiden)

琵琶:西原鶴真 / 作曲:山根明季子 / 指揮:大井剛史 / 管弦楽新日本フィルハーモニー交響楽団

 2020年 『GHOST OF TSUSHIMA』プレイステーションゲーム サウンドトラック 

作曲:梅林茂・イラン・エシュケリ 琵琶:上田純子

 

 

邦楽ニューウェーブ 1990年前後

太鼓:鬼太鼓座鼓童林英哲

能管:一噌幸弘

三味線:THE家元

民謡:伊藤多喜雄

トンコリ:OKI

 

邦楽ニューウェーブ 2000年前後

筝 森川浩恵

津軽三味線 吉田兄弟・木下伸市・上妻宏光

琵琶 坂田美子

雅楽 伶楽社

尺八 藤原道山

 

三線 よなは徹 2001年

 Rin'(箏、十七絃、琵琶、三絃、尺八)2004年

ZAN(箏、尺八、篠笛、民謡)2004年

和楽器バンド 2013年

LEO(筝)2017年

 

 

 

楽器の改良

宮城道雄 十七絃1921年)・八十絃(1929年)の開発

三木稔・野坂恵子 二十絃総(1969年)

かねこ琴三絃楽器店 ハイブリッド筝(2021年)

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八十絃

 

三味線

四世杵屋佐吉 セロ三味線(1922年)・豪絃(1924年

咸絃(エレキ三味線、1931年)

三味線かとう 夢絃21(エレキ津軽三味線 1990年)

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豪絃

 

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夢絃

三線

エレキ三線(丸高ミュージック 1990年頃か)

 

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エレキ三線

 

尺八

地塗り尺八の一般化

七孔尺八・九孔尺八

大倉喜七郎 オークラウロ

 

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オークラウロ

 

泉州尺八工房 メタル尺八 AireedX

尺八月泉組(中国の尺八メーカー) メタル尺八

悠・なる八君 

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メタル尺八

 

新楽器

森田伍郎 大正琴

 

トンコリ

OK:

絹糸の採用

糸口を金属化

エレキトンコリ

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エレキトンコリ

 

琵琶

筑前琵琶

五絃琵琶の開発

小絃・大絃の開発

 

鶴田錦史

大型化・音量の増大

腹板を薄くする

撥を薄くする

摺り、ピチカート奏法

オクターブピッチの改良のための「菊水」 型  →のちに糸口の改良

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発売日 2005年04月06日 規格品番 KICW-2501
レーベル SEVEN SEAS SKU 4988003308612
鶴田錦史 岩佐鶴丈 田中鶴旺 斎藤鶴竜

一柱の操作性の改良のため糸口を広くとる

電気応用琵琶(1951年)

 

塩高和之

柱の台形化(2000年頃)

糸巻の配置の改良

 

立奏式琵琶ストラップ開発(2001年)

琵琶曲『湖水乗切り』の考察 その1

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湖水乗切り(のっきり)

 

明智左馬之助秀満という明智光秀配下の武将がおりまして、
ゲーム『鬼武者』の主人公だったり、
大河『麒麟が来る』では間宮翔太郎君が演じたり、
割とドラマのある武将なのです。


秀満は光春や光俊とも言われます。
また、光秀の従兄弟とも、姻戚とも言われますが、
単に明智姓を賜っただけ、とも。

 

そんな秀満、
山崎の戦いで光秀が秀吉に敗れた際に
秀満は安土城から坂本城に向かうのですが、

既に堀秀政に囲まれており
包囲網から脱するために琵琶湖を馬に乗って泳いで渡った

という伝説
これを左馬之助の湖水渡り、湖水乗っ切りといわれてまして

まぁ、江戸時代になってから講談や書物で
脚色されてる話なのですが、
2020年5月に山岡家(琵琶湖、瀬田川のあたりの武将)の文書が公開され

全くの創作でもないんじゃないか、ともされております。

そんな「湖水乗切り」を琵琶でお稽古受けてるのです。
いや、琵琶曲では割と珍しい縁起のよい曲で笑、
コロナ禍を乗っ切って欲しい、という願いもかけつつ、ですね。

そこで、
左馬之助の心情に思い馳せる上で
やはり本能寺の変

主君光秀が、何を考えて信長を討とうと考えたのか、
左馬之助は光秀からその計画の告白を受けて
どのような心情の推移だったのか、
止めたのか、諌めたのか、それでもやるからには成功させようとしたのか、
それとも左馬之助は率先して賛成したのか、

それを知りたくて本能寺の変を調べてるのです。

いや、「本能寺の変
坂本龍馬暗殺と並んで日本史の最大のミステリーの一つでしょうか
各説の論争とトレンドの変化が面白い。

まずは怨恨説
基本的に講談や各種演芸では長らくこれで、
家康饗応役を罷免されたり、
所領である丹波を没収されたり、
「骨を折りました」発言で信長から殴る蹴るされたり、
波多野氏に差し出してた人質の母が、信長の反故で殺されたり

私が子どもの頃に読んでた学研漫画でも
このような描写が

しかし、これらは基本的には後世の二次資料によるもので、
根拠のないものとして否定されております。

丹波没収についても
本能寺の変山崎の戦いで、丹波兵が多数参加していたこと、
丹波はもとからの光秀の所領ではなく、
没収されたあとも忠誠を尽くすことは合理的でないことから否定されている。

その次に出て来たのが黒幕説

これも漫画ではありますよね、
1990年頃から流行ったもの
『あずみ』や本宮ひろ志の時代漫画も
たしか秀吉黒幕説だったような。

秀吉以外にも
家康黒幕説、足利義昭黒幕説、
朝廷黒幕説、イエズス会黒幕説、

秀吉黒幕説が割と創作物の中では人気で
「誰が一番得をしたのか」だと秀吉、
毛利攻めを一転して和睦して
ダッシュで安土に戻って(「中国大返し」という)光秀を討つ

出来過ぎだろう、と

しかし、その中国大返しにしても
まずは騎馬兵だけを先行させたので、事前察知してなくても十分に辿り着く距離時間ですし、
毛利の追撃がないことを2日ほど確認してるので、
知ってたにしては不自然だと、

また、家康黒幕説については、
家康は命からがら三河に戻ってる
義昭説には、義昭が知ってたら庇護されている毛利に伝えて
秀吉を挟撃できたはず、

朝廷とは近年の研究で信長との良好な関係が裏付けられている

イエズス会はヨーロッパならまだしも極東での影響力少ないし、貧困に喘いでいた、

と、
そもそも本能寺の変
信長と、その子の信忠が手勢なく京にいるという
偶然の軍事上の空白が生まれたのであって
共謀する時間がない、とも言われますし、

光秀が黒幕に話を持ちかけるにしても
黒幕が光秀に働きかけるにしても、
信長に通じるおそれがありリスクが高すぎる

そこで黒幕説も軒並み説得力を失っている

そんな中で最近有力になりつつあるのが、
四国説

四国を統べる長宗我部元親と信長の関係悪化から
渉外役だった光秀の信長家臣内のプレゼンスを失ったこと
光秀の重臣である斎藤利三が長宗我部氏と姻戚関係にあったことから、
斎藤利三本能寺の変を強く申し入れた、と
2014年に石谷家文書が発表されたことで
説得力を増してトレンドに

しかし、
本能寺の変後の光秀の動きに整合しない。
津田信澄が準備していた四国討伐軍について
津田信澄は光秀の娘婿なので真っ先にその軍勢を
対秀吉の討伐軍に編成し直すこともできたはずなのにしておらず、

結局は信澄は山崎の戦い後に、
姻戚関係から共謀を疑われて襲撃されて滅ぼさており、

光秀が長宗我部のために本能寺の変を起こしたにしては不自然な

というところで、
結局は各説決め手がない、
まぁ決め手がないからミステリーなのですが笑。

さて、じゃあどれを採るか

まず琵琶歌の作詞者は
おそらくは従来とおりの怨恨説だったのだろうと思います。
琵琶歌も創作物ですから、歴史的見解とはズレるので、
それを基準にする方法もある。

が、私はやっぱり光秀にはカッコよくあって欲しいのです。
光秀には夢があり、それに共鳴した左馬之助がいた、
それがカッコいいじゃないですか、

だからこそ
野望説

光秀も、信長や秀吉、家康と同じく
天下人になる野望があった、

もちろん思惑違いもあったろう
秀吉はもっと毛利で時間がかかると思い、
細川藤孝筒井順慶日和見になったことも誤算だった、

あとは信長の首
秀吉の撹乱作戦
「信長様は本能寺から逃れた」という書状を出しまくるのですが
それを読んだ各将が光秀に参集することを控えた、とも。

これも信長と信忠の首が無かったことから説得力を増してしまった、

つまりは光秀は信長に負けたわけですね。
最期の一手、
火を放ち自害した信長の策に負けた。

それでも
天下を取るという意思は
後の秀吉や家康と共に
あの時期に四人だけが持ち得て、実際に手中にしたスターの一人だった、と。

これが一番若々しく、
そしてカッコいいな、と。

まぁ、これを勉強したところで、
節回しや琵琶の手が具体的に変わるわけではないのですが笑

まぁでも少し変わるのでしょうか、
ほんのミクロの世界で。

琵琶歌・琵琶語りを現代化するためには

語りの現代化

 

日本音楽は、和琴を除いて

そもそもは大陸や朝鮮半島から渡来してきた楽器であって

様々な国際文化が取捨選択されながら発展されたものでした。

 

奈良時代平安時代に渡来人とともに流入した以降の大きな流れは、

16世紀半ばの三味線でしょうか。

中国の三絃や琉球三線から入ってきた。

それも含め

長く大陸や朝鮮半島を窓口とした交流だった。

 

 

そこからの衝撃が西洋音楽で、

体系化・理論化された音楽は

雅楽以来の衝撃で、

 

明治の邦楽家の衝撃たるや、想像を超えるのだろう。

 

そんな中で

筝の宮城道雄や尺八の吉田晴風
戦前に西洋音楽の技法を取り入れた技法が
「新日本音楽」としてムーブメントになったのです。

 

新日本音楽の代表曲の一つ、

正月に流れる筝と尺八の「春の海」
今聴くと、ザ日本、な古典芸能的な音楽に聞こえるかもしれませんが、
あれは西洋音楽の技法、
ピアノやハープの技法がふんだんに取り入れられている斬新な曲だったのですよ。

 

 

この戦前の新日本音楽の流れとしては
琵琶に関する記述が見当たらないのですが、

琵琶劇・琵琶合奏や、

筑前琵琶で三世橘旭翁のヴァイオリンと琵琶の合奏曲や

西洋音楽形式の曲は、新日本音楽に呼応した動きなのだろう。

 

その後、戦後には
西洋音楽の作曲家が主導した
日本楽器の取り組みがあり、

 

それには武満作品で琵琶も重要な役割を果たした。

 

しかし、

琵琶語り・琵琶歌はどうなったか、というと
実は、これぞ、といった解がない。

 

戦前の新日本音楽も、

戦後の現代音楽・現代邦楽も
基本的には器楽曲からのアプローチになる。


それは本来器楽が中心だった琵琶の
千年ぶりの原点回帰という点で評価できる。

 

また、その前後で世界的に伴奏楽器が独奏楽器に発展していく流れがあります。

 

中国琵琶でも劉天華という天才が
歌や他の楽器の伴奏楽器だったピパを
独奏楽器に生まれ変わらせています。

 

そのような世界的な潮流としても

琵琶の器楽としての再評価は意義があります。

 

しかし、

琵琶は楽器自体のポテンシャルはありつつも、
語り物芸であるという、
講談や落語と同じ、物語を語る芸の側面もあるのです。

 

 

そういう琵琶語りの現代化

これがなかなか難しいのです。


J-POPでは、
7回目のベルで受話器を取る君のことも
夜中に今何してるとLINEが来ることも、
歌える。

 

が、
琵琶では千年前の源平合戦
500年前の戦国時代、
150年前の幕末明治、は語るが
着物を着ていない日本人を語れない。
どうしても違和感がある。

 

 

でも、その違和感は実は戦後からなんです。
琵琶は、語り物と結びついた10世紀終わりから
常に「現代」を語ってきたのです。

 

10世紀の終わり
まだ保元の乱平治の乱が起こる前は
説教や声明の伴奏と共に、貴族の作った詩に節をつけて語っていた。

 

当時の貴族は、まぁ平和ですから、
漢詩以外は恋なんです。

百人一首なんて四割以上が恋ですからね。

 

琵琶が、誰かを想う歌の伴奏を、その時代の言葉で語っていた。

 

 

13世紀になって平家物語と結びついて
平家琵琶(平曲という)となった以降も
戦記だけではなく、
各地を周遊して見聞きした出来事を
節回しをつけて語っていたのです。
新聞や瓦版がなかった時代には、貴重なニュースソースとしても
重要な役割があった。

 

 

そして、薩摩琵琶だと
西郷隆盛の最期を謳う曲は
まさに当時代を語る曲であった

 

それが、いつから「現代」を
語らなくなったのか

それが戦後なんですよね。

 

 

これが悲しくもあり、責任もある話ですが
琵琶歌は戦中に国威発揚の曲、
戦争美談をン十曲も作ってきた。


爆弾三勇士、乃木将軍など、なかなか再演難しい曲たちですね。

 

 

それでも、戦中には
その時代の、まさにリアルタイムな曲を
着物を着ていない(軍服ですが)、現代人を語っていた。

 

しかし、戦後には
日本の古典芸能はGHQは厳しい目を向け
特に琵琶は戦中に国威発揚に使われたこともあって
早くから復権した浄瑠璃らと違って
長く再開が難しかった。


オーディエンス側も、そんな生々しい戦記は忌避しますよね。

 

復権したのちも、
敦盛や壇ノ浦など、
これは古典の文学作品ですやん、ということで、

主に古い時代の古典曲が中心となった。

 

戦前や戦中に創作された「現代」の物語は演奏されにくく、
自然と、専ら着物を着ていた時代の日本人を語ることになっていった。

と。

 

つまりは、
琵琶の1400年の歴史で、
現代の出来事を現代の言葉遣いで語らなくなったのは
ほんの70年ほどなんです。

 

これをどうするか。

いや、ほかの古典芸能もそうじゃないか、と
着物を着ない時代からは表現できてない、と
いう人もいるでしょう。

 

それはそう。
能も狂言も、それはできていない。

 

でも、たとえば落語はどうですか。


新作落語は、
携帯電話を使う現代人、
上司の機嫌を伺うサラリーマン
コロナ禍におけるソーシャルディスタンス

果敢に表現している。


熊さんと八つぁんが出てくる古典落語とは別に
現代を噺して笑える、確固たる分野がある。

 

切り絵もそうですよね。
高速のジャンクションが交差する下で流れる隅田川や、
高層ビルが立ち並ぶ中の鳥居など、
現代の街並みを表現する作家はいる。

 

最近だと講談でも新作講談がチャレンジされている。

 

つまりは、やれるはずだ、と。


特に能や狂言は、装束や面などの制約があるので、
シェークスピア能など、テーマを普遍化することはできても、
スーツやジャケットに着替えるのは難しいかもしれない。

 

(その点はナウシカ歌舞伎はすごいですし、
アメリカポリスが登場した中村座のニューヨーク公演もすごい。)

 

そんな、役の衣装や面を着けるの演劇とは違い、

琵琶は、役の衣装を着て演技をするわけではなく
落語と同じく、話す内容で表現するのですから、

新作落語と同じく、
やれるはずなんです。

 

新作落語も、噺家は着物を着て話すのですから、

紋付で現代を語っても良い。

 

 

とまぁ、長々と話しておいてなんですが、
おそらく同じ思いでチャレンジしてる演奏家はいて、
私のサークル後輩も琵琶ユニット組んでた頃は
会いたくて震える曲を歌ってましたし。

それが一つのムーブメントになって、

 


古典落語新作落語が半分ずつぐらいのウェートになるのが

夢ですかね。

いや、私は古典が好きなんですが笑。