琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

琵琶の楽譜のネット販売

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楽譜を買うとなると楽器店で買ったり、雑誌についてきたりしましたが、
最近ではネット販売サイトで買う方も多いと思います。

そこで、「琵琶でポップス」運動の一環として、
琵琶の楽譜もネット販売サイトで販売しようじゃないか、と思いまして、
私なりにフローをまとめてみました。

 

1 曲を決める。
当たり前ですがまずはココですね。
オリジナル曲であれば問題ないのですが、カバー曲ですといろいろと決める要素がありす。 


(1)音域が収まるか
琵琶は通常の調弦だと2オクターブと少し、工夫しても2オクターブ半ぐらいでしょうか、
原則として、その音域に収まる曲となります。


(2)運指、指が届くか
締めを多用すると速弾きが難しかったり、
実際に弾いてみると指が届かないということもあります。
特に悩ましいのがⅣの音、3本本調子(AEAE)だとFですね。
ポップスではよく出てくる音ですが琵琶だと半締めになるため、なかなかの鬼門になります。


(3)コード音も鳴らしたいよね
メロディ単音で弾いても練習になりますし楽しいのですが、
できればベース音も鳴らしたり、トレモロや8の字でダイナミックにならしたいですよね。
となると、コード進行でもうまくハマらないかを考えます。


(4)著作権
ここも大事です。
楽譜を完成しても、出版社や作曲者から許諾を得られずに販売できない、ということもあります。
だからといって、こっそり販売しようとしても、まずは販売サイトで登録ができなくなりますし、
著作権法違反は懲役と罰金が待っております。

 

そんなときは以下の方法


パブリックドメインの曲を使う
ざっくりいうと、古い曲ですね。
著作権の保護期間は国によって違ったり、制度変更があったり、戦争の時期の加算があったりといろいろと複雑ですが、
亡くなってから70年というのが目安です。

ただ、クラシックの古い曲だよなー、という感覚でも
作曲家が長生きだったり、実は20世紀の作曲家だったりするとパブリックドメインではありません。
ハチャトゥリアンの「剣の舞」も
ルロイ・アンダーソンの「トランペット吹きの休日」も、まだ切れていません。
また、曲が著作権が切れていても、編曲家が長生きだったり、詩は残っていたりと複雑なので、きちんと調べましょう。

 

ジブリとディズニーを選ぶ
これはですね、Piascoreさんが許諾の代行申請してくれるので楽だ
ということです。
ジャニーズの楽曲も代行してくれるみたいです。
そんなものですから、私が販売しているのは
パブリックドメインであるバッハのト長調メヌエットと、ジブリ魔女の宅急便のテーマです。

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このように、ジブリ作品は許諾代行申請してくれます。

 

 

・ちゃんと楽譜出版社や著作権者と連絡をとって許諾を得る。
これも、きちんと手間をかければ通常は許可してくれる、はずです笑。
すいません、次やってみます。

 

(5)テンションがあがるか
ここも大きいですよね。
売れるか、とか著作権の許諾がとれるか、よりも、自分が好きでテンションがあがらないと楽しくないので、
思い入れのある曲がよいと思います。

 

2、移調やアレンジ
次の作業が、曲が決まったので実際に琵琶で弾いてみよう、ということです。
琵琶の場合には調弦がさほど自由ではないので、ある程度キーを変更することが多いです。
ト長調メヌエット」も、3本本調子で弾くために「ハ長調メヌエット」にしましたし、
「海の見える街」も、EマイナーからAマイナーに移調しています。
あとは、難しいパートを簡単にしたり、音を減らしたり増やしたり、
これも多くやりすぎると編曲権・同一性保持権と抵触したりと、許諾を得られない可能性もありますからご注意を。
Piascoreでも久石譲作品は過度なアレンジはお控えください、と書いてあります。

あと、琵琶っぽい。
締めや腹板を打つ音、スリなどの効果音もどこに入れるか、
と考えるのもココですね。楽しい作業です。 

 

3 ソフトを使って楽譜作成
ここから手書きで楽譜を作るという方は、ここは飛ばして頂くのですが、
他の楽譜のように、ソフトで作った楽譜で作りたいときは割とココがネックです。

(1)どんな譜面にするか
昔ながらの縦書きの琵琶譜もありますが、ポップス曲で販売するとなるとおそらくTAB譜、
絃の押さえるポジションが記載した楽譜、ギターやベースで使うものがわかりやすいと思います。

このタブ譜、ギターのタブ譜でもありますが、

タブ譜のみで音価(音の長さやリズム)がわかるように書くこともできなくはないのでしょうが。
タブ譜からでは音の長さや音高が分かりにくいと思います。

そこで、私は五線譜とタブ譜の2段書きにしています。

バンドスコアのギターやベースの楽譜も多くはこのスタイルですね。

 

(2)音楽ソフトは何にするか
ここで楽譜作成ソフトを使いますが、
DTMの打ち込みソフトについてくる楽譜作成機能を使うことや、FINALEなどの楽譜作成ソフトを使う場合もあります。私はDAWの定番、Logicを使っています。


ただ、LOGICでタブ譜を使うときのネックが、

音楽ソフトに琵琶チューニングは装丁されていない、ということ。

3本の本調子では、4絃の3柱はAで、4柱はBですが、

ギターのタブ譜では半音でフレット数があがるので、五線譜とズレるわけです。


そして、LOGICの機能で、メロディを基準に、ギターのフレット番号を勝手に割り振ってしまうのです。

そこで、五線譜の楽譜と、何も音符のないTAB譜を用意することにしました。

 

(3)五線譜パートの打ち込み
これは割と楽で、カバーに選びたい楽譜なら
楽譜販売サイトにあるので、印刷して手入力すればよいですし、
MIDIデータを買って、そのままインポートするのも楽です。
「海の見える街」もMIDIデータを200円で買って、ドラッグで移調してと、5分で作業が終わりました。
注意としては、MIDIは聴く用にできているので、例えばスタッカートの8分音符が32分音符で打ち込まれていたりします。
それをドラッグで音符用に変えるのはひと手間かかりますが、それでも最初から入力するより楽です。

 

(4)琵琶譜は画像編集ソフトで作る。
じゃぁ琵琶譜の部分はどうするのか、というと
もう結局はコレしかないのだと思います。
五線譜が入力された楽譜をPDFにして画像編集ソフトで読み込んで、
琵琶のタブ譜の部分に数字と記号を入れていきます。

スタッカート「・」や△▲などの記号は、文字テキストの変換から使い、

数字は直接楽譜上の絃の上に入力していく。

まぁまぁ面倒くさい手作業です。


コレの前提として、全休符を消すのが地味に面倒くさい。
当然ながら音のない空のパートなので、すべての小節に全休符がある。
しかしタブ譜を載せていくとなると邪魔だ。
というわけで、全休符を白い長方形を上に乗せて消すのです。
Finaleだと確か全休符の表示を消せるかもですが。

 

(5)琵琶の特殊記号を作成。
琵琶には上から降ろす打絃(通常打絃)とスクイ、絃を切るように弾いたり、腹板を軽くたたいたり、
打ち撥や締めなど、いくつもの奏法があります。
これも他の西洋楽譜の記号から転用したり、自分で作ったりしないといけません。


私は
Hハンマリング:打絃せず、絃を指で押さえて音を鳴らす 口琵琶だと「ん」 
Pプリンぐ:打絃せず、指ではじいて音を鳴らす 「りん」
Sスライド:駒を移動することで音を鳴らす 「うん」
などのギターの奏法の記号を借りたり、
「ス」撥で腹板をかるく打つ、などの琵琶譜の表記をそのまま使ったりしています。

また、指使いも、△が人差し指、▲が薬指・中指という琵琶譜の書き方を参考にしつつ、
ポップスだと小指のみで押さえたり、薬指のみで押さえたりするときは
「小」や「薬」と入れることにしました。

 

ピアノのように指番号を入れてもよいのですが、TAB譜のフレット番号と混ざってわかりにくいので。

 

4 楽譜販売サイトに登録
楽譜が完成したら、楽譜販売サイトにいって、
販売者用のログイン画面にいき新規登録をして進みます。
これはあまり難しくはないです。
パブリックドメインならその旨を、ジャスラック曲なら登録番号をジャスラックのサイトで検索して入れます。
このときにジブリ作品なら勝手に許諾代行してくれるのですが、
他のものは各自が出版社に問い合わせて、許諾証明を添付してアップロードが必要となります。
あとは値段を決める、高すぎもせず、安すぎもせず、ちょうどいい塩梅で。

 

もっとも、
琵琶でポップスを弾きたい方で、おそらく五線譜もある程度読める方に絞られて、
更にいえば、そんな方は大体が楽譜を見ずとも弾けてしまうんじゃ、、、ということなので、
潜在的顧客の数とか、労力とか、利益とかきちんと考えると・・・なのですが笑。

 

これも琵琶の普及のためでしょうか。


私は150円で販売していますので、是非ともお気軽にお買い求めください。
振込手数料と販売手数料を越えた売上にならないと私の口座に入金がありません笑。

 

ちなみに、楽譜が登録されてネットで見られるようになると、

あの、ヨハンセバスチャンバッハと並んで編曲者で載ったり、

「作曲 久石譲、編曲 双山敦郎」の表記が嬉しい。

親交ある風じゃないですか笑。

「あー、久石さんなら去年彼の曲アレンジしたことがあってね」などと言えます(嘘ではない笑)。

 

5 みんなに広める
最後はココですね。完成したら色んな人に広めること。
買ってくれる人につながるかもしれません。
実は、この販売サイトのメリットは他にもありまして、
「堂々と楽譜を配布できる」ということになります。
たとえばポップス曲、紅蓮華でも白日でも香水でも、
何人か集まって弾こう、と思っても楽譜は配れないのです。
「え?自分で耳コピで採譜しただけだし、仲間内だけだよ?」といってもNGです。

たとえば、吹奏楽部で課題曲があったときに、一冊だけ楽譜買って部員でコピーしたくなりますが、
あれは原則としてダメで、人数分買わないといけないのです。


それは耳コピであっても同じく。

 

ところが、piascoreに登録して、値段をすっごい安くしておくと、
それを各自ダウンロードしてプリントしてね、というと
堂々と著作権をクリアしてみんなが楽譜を持てることになります。
150円のうち数十円は久石譲さんにも支払われますし、きちんとすることの「気持ちよさ」と「すがすがしさ」を体感できます。


そんなこんなで、
琵琶でポップス活動、ポ活ですね。琵ポ活ですか。
そのためにも、皆さんもぜひとも楽譜を作ってドシドシ登録しちゃいましょうぜ。

 

もっと詳しいやり方を知りたい方はお問合せくださいませ。

Netflix トークサバイバー

トークサバイバー

 

ネットフリックスで放映されている
佐久間プロデューサーとMC千鳥の、ドラマとトークバラエティを 合体させたような番
組。


これが新しいし面白い。

 

設定としては、千鳥大悟が主演で、劇団ひとりトークに定評のあ る芸人が10人以上で
学園ドラマと刑事ドラマが織りなす中で、

「犯人を説得するために、自分が傷ついた話を言ってください」などのように、
ドラマの中の必要性の中で、エピソードトーク大喜利をやる、というもの。

 

バラエティパートで話すエピソードは、
言ってしまえば「すべらない話」ですし、
大声で普通のことを言ってください、というお題も「一本グランプ リ」の定番ネタ。

だから、中身の部分はそれほど新しいことではないのですが、
ドラマの役柄と、その衣装や舞台設定の中でやるエピソードトーク となると、
全然趣が違うし、それに合った強度が違う。


エピソードトーク自体が面白くても、役柄を離れて素の自分の声で話す人はウケなかったり、
劇団ひとりなんかは、役を演じている中からグラデーションでエピ ソード入っていくので、そこはさすがといいますか。


パンサー向井さんも、オードリー春日さんも、狩野英孝さんも、この枠組みの中の最強感が半端なく、
向井さんのラジオ聞いてるので、ラジオスター向井さんが活躍した ことが本当にうれしい。

 

構造の話でいえば、モニターカメラから見ている役の千鳥ノブさんが
単に相席食堂のようなモニター越しのツッコミ役だと思いきや、
終盤ではドラマのフレーム内であったというドッキリがあり、
まるでネバーエンティングストーリーのバスチャンのような、多層構造で、

 

佐久間プロデューサーの才能がすごい。


日本のバラエティの底力なのか、これが世界輸出できるなら面白い 展開になりますね。

 

キャストも絶妙で、自分がキャスティングすることも考えたのです が、今以上のキャストが思いつかない。
たとえば、「すべらない話」の常連の宮川大輔千原ジュニアがいたとしても、
素のトークが面白いだろうけど、刑事として学園ドラマの役の中で はハマるイメージはないし、


アルコ&ピースの平子さんが刑事でいたら面白そうだけれども、役柄と雰囲気は上手そうなのですが、ムードだけで終わりそうな笑。


学園パートで若林さんいても面白かったんでしょうけれど、若林さ んのカリスマ感やMC感が大悟さんと喰いあう感じもしますし。

意外と難しい。

 

強いていうなら、女性芸人をもっとキャスティングして欲しかった 。
しかし、あのメンツの中でエピソードトークを10個20個戦えるとなると、
友近さんか、


いや、逆に言うと最終決戦に残ることをイメージできるのは友近さんしか居ない。

あとは役者側で出てましたがハリセンボン春奈さんか。


海原やすよともこさんも、大阪臭が強すぎてネットフリックスに合わなそうな笑。

 

そういう意味では峰岸みなみさんは絶妙なキャスティングだったなぁと。


いずれにせよ、
単に面白いだけではなく、すごい作品だったのでお勧めです。

琵琶のサワリの歴史

琵琶には、絃が糸口や柱において面で接することによって生じる

歪んだビビり音があります。

 

これは三味線の一絃にもあり、

日本音楽の特徴の一つとして数えられています。

 

このサワリが、いつどのような過程で成立したのか、

考察していきたいとと思います。

 

まず、サワリの構造は五つほどの種類に分けられると考えています。

 

1.近代琵琶型

薩摩琵琶や筑前琵琶のように糸口や柱を厚くすることによって

絃が柱に面で接することによって生じるもの

 

2.三味線型

一絃を上駒から外すことで、糸蔵とサワリの山に微妙に当たることによ

って生じるもの。

近代琵琶型が「面」でサワリをとっていることに対して

三味線は、糸蔵とサワリ山の2点で接することによって生じます。

 

面ではなく、複数点で絃が微妙に当たることで生じるサワリは

平家琵琶のサワリ、

一柱が開放弦に当たることによって生じるサワリと同じ構造と考えますので、

三味線型に分類します。

 

3.シタール

シタールはブリッジ側にジュワリという象牙や木でできた丸みを帯びたブロックを設置し

これも面で絃が接することによってサワリが生じます。

 

4.タンブーラ型

シタールと同じくジュワリが設置されてますが、

ブリッジ側に糸が挟み込まれており、

サワリの調整として機能します。

 

日向盲僧琵琶の永田法順も、糸口に紙縒りを巻く工夫をしており、

このタンブーラ型に分類されると考えます。

 

5.過渡期三味線型

これは上記のサワリ構造とは別のもので

絃自体に針金を巻く方法です。

絃が面もしくは複数点で接することによってサワリを生じさせるのではなく、

針金が絃の振動に影響を与えることによって生じます。

いわばサワリの変種と考えられます。

盲僧琵琶にもこの形式のサワリがあったようです。

 

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さわりの図 

著:千田崇文・吉川茂
『サワリ機構をもつ弦楽器モデルにおける撥弦振動に関する実験的考察 : 初期条件の影響について』

こちらの図を参考にさせて頂きました。

 

それでは、このサワリの起源はどこにあるのか。

 

シタールやタンブーラにおいてジュワリの歴史は未検討です。

シタールは、13世紀から14世紀にかけて活動した音楽家、アミール・ホスローが、シタール的な楽器を使用したと記録されている、とのことですが、

その時点からジュワリがあったのか、

それ以前の楽器でジュワリは存在していたのかについては、今後の課題とさせて頂きます。

 

なお、ジュワリとサワリの音が似通っていることから、

語源が共通することが指摘されていますが、

ブリッジでサワリを取る方法と、三味線や平家琵琶の二点で取るサワリとは

方法論が大きく異なるや、成立年代が異なることから、

後述するように、インド音楽の影響でサワリが伝達されたと考えることは難しいと考えています。

 

日本音楽のサワリの歴史に触れるものとして以下の研究があります。

『三味線のサワリに就いて』吉川英士

東亜音楽論叢―田辺先生還暦記念 (1943年) 193頁

 

三味線の祖である中国三弦や、琉球三線にサワリ音がないことと比較して

サワリが日本の三味線の特徴として考察されています。

 

サワリが認められる年代のわかる書物としては以下があります。

 

鶴沢新右・野沢喜立著 末吉梅笑編

「三絃独稽古」宝暦7年(1757年)刊行

 

「上駒 糸蔵の下一の糸を除きて二と三との糸を下え挟む。筆の鞘を細く割りて用ゆ」

と記載したうえで図解を載せております。

 

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三絃獨稽古 『三味線のサワリに就いて』吉川英士 挿絵より

上駒から一絃のみを外す方法でサワリを取っていたことがわかります。

少なくとも宝暦には三味線でサワリが発見されていたといえます。

 

また、吉川氏は京都山田長左衛門所蔵の二曲屏風

『婦女遊楽園』にある三味線には、一絃のみ上駒を外してある様子が認められるとしています。

 

この屏風の製作年は不明であるが、描かれている風俗から

寛永頃(1624年〜1644年)と推察されています。

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婦女遊楽園 『三味線のサワリに就いて』吉川英士 挿絵より

 

このサワリの発見については吉川氏は以下のように考察しています。

 

当時は上駒が固定されておらず、取り外しができるようになっていたこと。

その調整の際に、一部の絃のみを上駒に乗せた場合に生じる効果から、

サワリ音を発見したのでは、と考察しています。

 

上駒が固定されていないことは、

「二と三との糸を下え挟む」と、絃で上駒を「挟」んでいると表現していることから裏付けられる、とのことです。

 

では、この三味線のサワリが琵琶を起源にするものであったのか、

それとも三味線のサワリが琵琶に影響したものであったのかを考えていきたいと思います。

 

まずは、三味線のサワリが寛永期に成立していたのだとすれば、

盲僧琵琶の発祥に先んじるものといえます。

 

盲僧琵琶の成立は、以前も考察したとおり

1674年の三味線禁止令を基にして、三味線を使えなくなったという消極的な理由から

平家琵琶を改造し、次第に柱を高くする、小型化するなどの工夫が生まれて、成立していったと考えています。

 

ここに、盲僧琵琶は楽琵琶とは別に

インド発祥の直頸の五弦琵琶を祖として、

奈良時代に九州に伝来していたとする説がありますが、

盲僧の起源伝説を無批判に採ったものとして現在は否定されています。

 

となれば、

三味線のサワリが盲僧琵琶や近代琵琶より前に存在していたことは明らかです。

 

次に、平家琵琶の山型の一柱によるサワリがいつ始まったかについて検討します。

 

まず平家琵琶の歴史は、

語り物の琵琶としては10世紀頃、

平家物語との結びつきは13世紀後半とされていますが、

楽器が楽琵琶と分岐して、小型化・撥の変化が見られるのはもっと後であろうと思われます。

 

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平家琵琶さわり 日本の伝統芸能講座第六章 薦田治子著 挿図より

 

まず、現在の平家琵琶の第一柱は、上図のように山型になっており、ネックに接着されておらず、二絃が柱を押さえているようになっています。
従って、第一柱には勘所(音階)としての機能はなく、純粋にサワリ装置として用いられています。

そして、二絃は第一柱を支える関係で、開放絃の音はありません。

よって、調弦の際には二絃は開放弦で調整することはできないため、

二絃は三柱を押さえた音で調弦することになります。

 

ここに、江戸時代の平家琵琶の曲集の中に、

平家琵琶調弦雅楽の風香調(黄鐘調)に由来すると書いたものがあります(「太平楽亭平曲集成」)。

黄鐘調は、一絃をAとするとACEAとする調弦法ですが、

開放弦をそのように調弦することは、当然ながらサワリ柱がないことを意味します。

仮にサワリ柱があるのであれば、二絃を開放弦で調弦することができないからです。

 

また、当道座の座頭や盲僧などの職業音楽家ではなく

愛好家の間では一般的に黄鐘調に調弦がされ、サワリはなかったといわれます。

 

従って、サワリ柱が平家琵琶に採り入れられたとしても、

江戸時代の初期ではないと考えられています(薦田治子・日本の伝統芸能講座 第六章 平家琵琶)。

 

とすれば、おそらく三味線でサワリが開発された寛永期(1624年〜1644年)が平家琵琶に先んじることになります。

むしろ、当時流行となった三味線のサワリ音を、平家琵琶において再現するために

サワリ柱が開発されたのではないかと考えられます。

 

次に、盲僧琵琶や薩摩琵琶でのサワリは

どのようにして生まれたのか、

 

これは明確に三味線が先んじるものであることから、三味線音楽の影響が多分にあると考えます。

三味線禁止令(1674年)によって三味線を手にすることが出来なくなった九州地方の盲僧は

様々な工夫で琵琶を「三味線化」していきます。

古盲僧の中には三味線のように細く、また三弦のものもありますし、

柱を取り外しができるようにして、

柱を外して三味線のようにノンフレットで弾くことを試みる盲僧もいたようです。

それに対して、藩から「柱を打ち付けるように」と命ぜられた記録があります。

 

それほど、当時の三味線は人気の楽器であり、

盲僧は琵琶を三味線のように弾くことを望んでいたことになります。

 

となれば、三味線のサワリ音を再現することも研究がされていたと推察されます。

フレットがなければ、ネックの調整でサワリを付けることは可能でしょうが、

フレットがある中で、高い絃高の中でサワリ音を再現するにはどうするか、

また、全ての音でのサワリを実現するためにはどうするか、

 

その工夫の過程で、厚い柱からサワリを取ることを考えついたものと考えます。

 

つまりは、琵琶におけるサワリは、

平家琵琶においても、盲僧琵琶においても、

三味線のサワリ音に大きく影響されて成立したものと考えます。

 

平家琵琶においては固定しないサワリ柱を設置することでサワリを獲得し、

盲僧琵琶において柱を打ち付けねばならないという制約から、

柱や糸口を平面にすることでサワリを獲得していったと考えます。

 

以上のように、日本音楽におけるサワリは、

三味線における上駒の工夫によって発見され、

それが琵琶に採り入れられたと推測します。

 

次に、それでは三味線のサワリがシタールやタンブーラのようなインド・アジア音楽の影響によるものかを検討します。

 

上述の吉川氏の考察のとおり、

三味線のサワリが、可動式の上駒をズラしたことによって偶然発見されたとすれば、

 

サワリ機構をシタールやタンブラなどの外来楽器からもたらされたとするのは

若干無理があるかと思います。

 

なぜなら、

ブリッジ付近に設置されたブロック・ジュワリによるサワリと、

上駒を外して複数点で接する三味線のサワリは、大きく方法論も異なります。

 

もしかしたら、サワリ音という概念や価値観のみが伝来した可能性もありますが、

近世においてインド音楽が三味線の製作者に影響をもたらせたという文献が見つからない限りは、

「さわり」と「ジュワリ」の音が似ていることをもって、

インドから日本にサワリ音が伝達されたということは難しいと思われます。

 

以上のように、琵琶におけるサワリの歴史は

三味線の大きな影響を受けて江戸時代中期以降に成立したものであると考えます。

 

他方で薩摩琵琶においては柱でサワリを採る工夫から、全ての絃で全ての音階でサワリをとることを獲得し、現在の琵琶の特徴であるサワリ音を改良していったものと思われます。

 

琵琶のサワリの歴史についての考察は、まだ少ないのですが、

琵琶がサワリを獲得していく歴史について、またわかることが出てきたら追記していきます。

ウクライナのバンドゥーラ弾き~盲目の吟遊詩人と琵琶法師~ その1

ウクライナを、8000キロ離れた遥か東欧(西アジア)のことだと思わないために、
琵琶とウクライナを繋いで考えていきたいと思います。
 
ご存じ日本の琵琶は、
ペルシャのバルバット・オウドという楽器と祖を同じくしており、
シルクロードを通って日本にわたってきました。
 
バルバットは西欧に渡ってリュートとなり、
東にわたって、中国琵琶(ピパ)、朝鮮半島の琵琶(ビパ)、ベトナムの弾琵琶(ダンティエンパ)になりました。
 
バンドゥーラは、リュートとツィターを合体させたような楽器で、
フレットで弾く部分と、開放弦が張ってある部分があります。
ギターのようであり、ハープのような、斜めにする構え方も面白いです。
 
20世紀初頭までは、バンドゥーラ奏者は盲目の人が多く、
ドゥムカという叙事詩を歌いながら弾くようです。
平家物語を語る盲目の琵琶法師と似ていますね。
盲人の職業として音楽家が選ばれることは、ある意味では世界共通です。
 
ご紹介するのはウクライナの若きバンドゥーラ奏者
バレンティン=ライシェンコさん
白い現代風なバンドューラ
エレキバンドューラも開発したらしいです。
どこの分野でも新しいことに挑戦する人はいるようで。
スチール弦だから、そのままピックアップを付ければエレキになるのかな。
 
ウクライナ史をたどると、

今のウクライナの地は、

紀元前8世紀から、キンメリア人・スキタイ人、紀元前3世紀にはサルマティア人、

3世紀には東ゴート族、4世紀から5世紀にフン族

6世紀にアヴァール族が支配者となり、8世紀にはハザール・ハン国と様々な民族が入り乱れ、

 
9世紀にはキエフ・ルーシという国ができました。
キエフ大公国キリスト教に改宗したため、
東スラブ人のキリスト教国という、今のウクライナを構成する租はこの国にあります。
 
ただし、キエフ・ルーシ
キエフウクライナの首都ですし、ルーシはロシアの語源になっており、
ウクライナとロシア、ベラルーシの共通の祖である、と。
なので、ロシアの建国神話の土地(聖地)はほとんどがウクライナにあります。
ロシアがウクライナを「自分の地」として扱いたいという背景はここにもあります。
 
そのあとはモンゴル帝国の侵攻によって、キエフ・ルーシは消滅
その分家筋がモスクワに移行すると、
キエフ・ルーシはもっぱらロシアの祖であると捉えられるようになります。
 
中世から近世にかけては
様々な国の統治を受けつつ、
 

15世紀後半、ウクライナ地方では武装した人々が共同体「コサック」を作ります。

ポーランドリトアニアの臣下でありながら自治制を有する特殊な集団でした。

 

もっとも内乱を経てロシア・ポーランド戦争が起こり

1689年に永遠平和条約によって、ウクライナはロシアとポーランドで分割されます。

 

1863年には、ロシア下のウクライナは、

ウクライナ語の書物の出版や流通が禁止されるようになります。

ウクライナのロシア化政策の始まりです。

 
そのあと、僅かな独立時期と、
ロシア革命なども経てレーニン時代
束の間の、ロシアとウクライナの良好な関係の時代です。
 
共産党の支配を定着させるために1923年にウクライナ人の支持を取り付ける必要を感じ「ウクライナ化」政策が行われます。
ウクライナ共産党の幹部にはウクライナ人が登用されるようになり、ウクライナ語も推奨される。
政府職員でウクライナ語ができないものは履修して1年以内に習得しなければ解雇されることに。政府文書や刊行物はウクライナ語によることとされ、1922年には2割だったウクライナ語文書が1927年には7割になったという。
 
1年以内に習得しないと解雇というのは、なかなかに自分に置き換えると恐怖感ありますね。
1年以内にビジネス英会話を使えないとクビ、、、
 
この時期にウクライナ文化・文学が花開くことになりますし、
今のウクライナ人のアイデンティティの部分も、この時期のウクライナ語教育に拠るものも大きいとのこと。
ウクライナとロシアが良好な関係であった時期です。
 
その揺り返しがスターリン
レーニン1924年に亡くなると、権力を掌握するのがスターリン
農業集団化を図り、土地から農民を切り離して移住させます。
 
農作物を強制的に取り立てる、ということで
1933年に「穀倉地帯であるウクライナ」で飢饉が起きるという異常事態が起きます。
 
ウクライナから強制徴収された穀物はロシアの都市住民にまわされ、更に国外輸出もされていたので、意図的な飢饉であるとされています。
農民はパンは食べることはできず、ねずみや木の皮や葉を食べたとも、
 
これで300万から600万人が餓死したというから恐ろしい。
この「意図的な飢饉」によって独立の気勢があったウクライナ東部やクリミア半島ウクライナ人が多く死に、ロシア系住民が移り住んだと言われています。
 
報道でも「クリミアやウクライナ東部では親ロ派住民が多い」とする伝え方がされますが。
確かに、現在にそのような傾向はあるとしても、
スターリン政策までさかのぼって言及する必要があると思います。
 
そして、スターリン政策は、バンドゥーラやコブザの奏者にも及びます。
スターリン民族主義的なものを嫌い、
1930年頃、盲目の吟遊詩人であるコブザやバンドゥーラの奏者がハルキフの大会で集まったのですが、
そこから郊外の谷間に移動させられて、数百人が殺されたといいます。
ハルキフではコブザやバンドゥーラの奏者の石碑が建っています。
 
ロシアはウクライナを、ときに兄弟の国と言いつつ、
その民族性を否定したり、「属国」として扱ってきたということもわかります。
 
スターリンウクライナに対する行いと
プーチンのそれとは、重なるところも大きいと感じます。
 
今回のウクライナ侵攻で、同様のことが起きないことを祈りつつ。
バレンティン=ライシェンコさんの無事を。
 

狭義の「薩摩琵琶」と広義の「薩摩琵琶」

琵琶史については何度か取り上げておりますが、

薩摩盲僧から薩摩琵琶となった以降、

幕末明治大正昭和の分岐と呼称のお話を一つ。

 

きっかけはTwitterの中で

「薩摩琵琶と錦琵琶を間違えると激怒する方がいるので気をつけないと」というもの、

更に、それを間違えることは礼を失することなのだ、と。

 

一度は、スルーをしたのです。

が、やはり。そのツイートのコメントなどをみると

そのような狭量な琵琶人が存在し、又は一般的であるような印象を受け取られているようなので、

そこは訂正をしなければと考えたのです。

 

歴史を紐解くと、

まずは薩摩盲僧琵琶、

伝説的には島津日新斎忠良(1492-1568)が淵脇寿長院に命じて

薩摩琵琶歌を創始したとされておりますが、

 

薦田治子先生の研究により、盲僧琵琶は1674年の「官位院号袈裟廃止」

いわゆる三味線禁止令をきっかけに、柱を高くするなどの改良を行ったことが

楽器としての盲僧琵琶に繋がったとされております。

 

そのような盲人音楽が晴眼者に対して開放されたのは

おそらく18世紀中ごろか

橘南渓『西遊記』(1795年)には、

薩摩大隅には「平家琵琶などよりは小さ」い琵琶があり、

「年若き武士皆琵琶をもて遊ぶ」とされており、これが晴眼者の琵琶としての初出。

この段階で風習となっていたので、創始は遡れるでしょうが、

18世紀中頃に、武士や町民が琵琶を弾き歌う風習があったと推測されております。

 

さて、そのような薩摩琵琶は

薩摩藩士の中央進出に伴って東京に紹介されていきます。

近代化・国威発揚を目指す明治維新政府のもとで、享楽的な三味線音楽よりも

勇壮・剛健な琵琶歌がもてはやされるようになりました。

 

その琵琶ブームに火をつけたのは東京虎ノ門出身の永田錦心(1885-1927)

優雅で洗練された声楽的技法を取り入れ、楽器の改良をするなどして錦心流を打ち立て、

「帝国琵琶」というコンセプトを打ち出します。

 

この「帝国琵琶」という名称が、

薩摩琵琶を単なる郷土楽器から全国的な楽器に拡大することの大きな要因となりました。

東京出身の永田錦心の改革がなければ、

薩摩琵琶は薩摩竪琴や天吹と同じく地方楽器の地位であったろうと思われます。

 

この錦心流の独立をもって、それまでの薩摩琵琶は正派を名乗るようになります。

ある意味では、最も狭義の「薩摩琵琶」は薩摩正派を指す呼称といえます。

 

永田錦心は更に楽器の改良も考え、

勘所を増やすことの器楽的な改良、

女性奏者へ負担となっていた押し干奏法の軽減などを目的に

大正14年に五柱の錦琵琶を考案し、翌15年10月に発表します。

 

これを若き天才琵琶奏者である水藤錦穣に託して錦琵琶と名付けます。

永田錦心はそれから夭折したのですが、

水藤錦穣は更に四絃から五絃にするという改良も行っています。

それが四絃を切れにくくして、復絃による音響効果も多くなります。

 

この錦琵琶を開発したときに、

それまでの薩摩正派と錦心流の四柱の琵琶は狭義の薩摩琵琶となり、

五柱の新琵琶は錦琵琶として区別されるようになります。

 

もっとも、当時の琵琶新聞や雑誌『水聲』においても

薩摩琵琶の中の新琵琶、という捉え方で認識されておりましたので、

錦琵琶についても「広義の薩摩琵琶」に含まれていたと考えられます。

 

そのあと、水藤錦穣と錦心流の宗家争いが全国紙を飾り、

天才永田錦心が亡くなったことも相まって琵琶ブームが終息することになります。

この宗家争いが「狭義の薩摩琵琶」がセンシティブになる一つ目の要素があります。

 

そこから30年の戦後

国威発揚の一助となった琵琶はGHQの統制を受けて衰退をしていたところ、

鶴田錦史が新しい琵琶を打ち立てます。

五絃五柱の錦琵琶を基に、

腹板を薄くする、菊水型の駒を開発してオクターブピッチのズレを解消する

撥を薄くしてスリやハタキ奏法の開発など

「鶴宇琵琶」として発表します。

なお、オクターブピッチは、その後糸口に段差をつけることで解消されたため、

今では菊水型の駒を使うことは稀になりました。

以上の点から、外見から錦琵琶と鶴田流琵琶を見分けるのは難易度が高いです。

 

しかし、当時の琵琶界のフィクサーである水藤枝水が

新しい名称である「鶴宇琵琶」での集客が難しいと考えて、

「薩摩琵琶鶴田流」と称することを勧めます。

鶴田錦史は幼少期から17歳までは「薩摩琵琶錦心流」としてプロ活動をしており、

「薩摩琵琶」に愛着とアイデンティティをもっていたため、

「薩摩琵琶鶴田流」を名乗るようになります。

これには、正派や錦心流からの反発も少なくなかったのですが、

当時のフィクサーである水藤枝水と、実力者鶴田錦史の影響力の中で、次第に定着していきます。

(「狭義の薩摩琵琶」がセンシティブとなる要素の二つ目がここにあります。)

 

以上のように、薩摩琵琶には

最狭義は正派のみ、

狭義は正派と錦心流

広義では、正派・錦心流・錦琵琶・鶴田流

となっていきます。

 

この広義の「薩摩琵琶」は音楽史の中では一般的な用法であり、

日本伝統音楽講座『音楽』監修:小島美子

十七章『琵琶楽の流れ』薦田治子先生

においても、以下の挿図で説明がされております。

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琵琶分類

また、旧説の紹介であっても、

『日本琵琶楽体系』における田邉久雄先生の解説においても

錦琵琶は薩摩琵琶の項目の一つとして紹介されており、

「広義の薩摩琵琶」の中の流派であるという認識が示されております。

 

以上のとおり、単に「薩摩琵琶」としても

例えば薩摩盲僧琵琶から脱して晴眼者の琵琶となった趣旨の文脈なのか、

同じく近代琵琶の一つである筑前琵琶との対比の文脈なのか、

はたまた、錦心流が創設された際の従来派閥である正派を意味するのか、

若しくは、五柱の琵琶と対比するうえで四柱の琵琶という趣旨で指すのか、

広く日本音楽史の研究の中での「薩摩琵琶」の用法なのか。

 

以上のとおり

「薩摩琵琶」は時代と文脈と場面によってさまざまに射程が異なってくる用法となります。

 

以上を踏まえて、一番最初のツイートを検討致します。

すると、

これは「狭義の薩摩琵琶」の趣旨で、それと錦琵琶とを間違えることについてのものだと思われます。

 

しかし、「薩摩琵琶」という単語が上記のように場面・時代・文脈によって変化するもであるからこそ、

そのような複雑な用語の「間違い」について、琵琶に興味をもった方の素朴な指摘に

「激怒」することは、少なくとも一般的な態度ではありません。

 

万が一、本当に「激怒」するような方がいるのであれば、それは上記のとおり

琵琶史について、不勉強な方と言わざるを得ない。

 

いずれにしても、琵琶史や音楽史に限らずとも、

故意の間違いであれば格別、そうでない指摘に対して「激怒する」というのは、

いかなる学問においても、望ましい姿勢ではないことは明らかです。

 

そして、新規ファンを獲得していくことが課題の琵琶界においては

尚更にそれが妥当します。

 

ちなみに、以上のセンシティブな要素があるからこそ、

私自身としては「薩摩琵琶の錦琵琶」や「薩摩琵琶鶴田流」ではなく、

錦琵琶・鶴田流琵琶と呼ぶようにしていますが、

これは己に対するポリシーの話。

 

ビギナーがそれを言ったとしても、上記の用法があるからこそ間違いではありませんので、

それは、できるだけ琵琶の入り口を広めて、

琵琶を楽しんでもらうために、

ポジティブな言葉を選んでいきたいと考えております。

箏のコトと琴のコトと琵琶のコト

箏と琴とコト

NHK邦楽育成会の日本音楽学の中で、箏と琴の違いを習いまして。
どちらも床や台に置くツィター族の楽器ですが、
曰く、「箏」は開放弦を弾くもの。一絃一音のもの(チョーキングで音程変えたりはしますが)。

一番演奏者人口の多い、山田流や生田流の箏。箏曲部の箏です。

朝鮮半島だとカヤグムなど。


「琴」はフレットがあったり、ギターのスライドバーのような物を使って
一絃から何音も出るもの。
日本だとあまり馴染みはないのですが、
二弦琴とか、
中国だと古琴とか、朝鮮半島だとコムンゴなど。

 

なので、
その教えてもらった音楽学者の先生は
町の箏教室が、「お琴教室」とあると
電話して教えて差し上げてる。と。

 

さすが!!
と思ったのですが。

 

和琴(ワゴン)、雅楽で使う楽器です。
これ渡来した楽器ではなく日本にあった楽器。
源氏物語だと紫の上が弾いてて、
明石の君が琵琶弾いてて、明石女御が箏、
女三の宮が琴

 

家柄がよく正妻の三ノ宮が、当時格式の高かった琴を
知的で聡明な明石の君が琵琶(男性的なイメージもあるらしい)
和琴は理論が無いかわりに、心情を一番映し出すようですが
それが紫の上と、

 

多分それぞれの性格を知ると
「なるほどー」と面白いらしい。
ヴァイオリン弾いてる女性が気が強くて
オーボエ吹く男性が地味な、みたいな。

のだめカンタービレ」のキャラクター的な笑。

 

そんな和琴、
これ構造は箏なのですが、琴の字があてられている。

 

これは古くから琴の字で、
他にも新羅琴など、箏の構造のものも日本では「琴」の字が使われている。

 

これね、私は日本にきて琴の射程が曖昧になったのだろうと。
そもそも日本には大和言葉で「コト」という単語があり、
「箏のコト」「琴のコト」「琵琶のコト」と
広く弦楽器を指していた。

そして、コトを琴の字を当てた時に
琴が「箏のコト」と「琴のコト」を総称するようになったのでは、

と仮説を立てていたのです。

 

そもそも日本人は、呂音階が無くなったり
フレットが減ったりと、
理論的に深掘りしていったり
操作性を極める方向には興味はなかったのでは。

 

だからこそ、日本人にとって楽器の構造は重要な関心事ではなかった、と。

 

と思っていたら。
ツイッターで、雅楽をめっちゃ詳しい
おそらく学生さんが
朝鮮半島でも箏の構造に琴を使ってる例がありますし、
そもそも中国でも既に曖昧になっていたのでは」

と。


なるほど、私の仮説が崩れる。

そもそも「箏」と「琴」を厳密に使っていたのは
隋や唐の一時期、一部地域だけだったのかもしれない。

 

日本の文化論や日本語の射程に引き直す事柄ではない、

という。
ツイッターの巧用