琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

マヂカルラブリーの漫才論争について

マヂカルラブリー

 

漫才か漫才じゃないか論争に
私もコメントせざるを得ないのですが(全く「せざるをえなく」ないのですが笑)

 

この〇〇じゃないかどうかの議論の

基本的なアプローチは、

 

定義を理由付けをして定め
それに該当するか、という手法を使うのですが、

 

ちょっとそのアプローチじゃなく、
ド漫才から、明らかに漫才じゃないところのグラデーションの中で、
マヂカルラブリーのネタがどの位置になるかを
という観点から。

 

まず、
疑いようもなく漫才なのは
1.しゃべくり漫才
コントの設定に一切入らずに、
その漫才師の人格のまま、時系列もいじらずに、
そのまま話すネタ、

過去の決勝ネタだと、
ブラックマヨネーズ銀シャリですか、
今年だと見取り図、オズワルド、
あと昨年のかまいたちも。

これは明らかな漫才。

 

2.
次に、片方だけがコントに入って、
ツッコミだけは漫才師のママのネタ。

代表的なのはスーパーマラドーナですか、
田中さんが設定に入ると、武智さんの声は一切聞こえなくなる、

 

3.次に、
双方ともコントに入ったり、地の文に戻る漫才、
これが割と一番多いですかね。
多過ぎて挙げるのが難しいですが、
とろサーモンとか、

 

そして、
4.双方ともコントに入りっぱなしで、
冒頭と、締め以外が全部設定
これの代表がサンドイッチマン
「世の中興奮することってありますが」
と冒頭を無理矢理付けて(しかも、対して興奮はしないという笑)
設定に入り続ける。
アンタッチャブルもですね。
関東芸人はしゃべくりでは不利なので、
圧をあげられる手法として良く使われる。

(と、塙さんが解説してました笑)

 

 

更に、
5.双方ともコントに入りっぱなしで、
人格も設定に入る(自分ではない)
これが和牛ですか、
和牛はコントに入るし、
コントに入ったときは川西さんでないことが多い。

これが和牛の真骨頂で、
役の中にいながら、役の中の声でツッコむことができる。


ボケが設定に入って、ツッコミは本人ママは多いですが、
ツッコミが役なのが和牛。

 

ただ、本人の心の叫びではない感じがする、

ところは
逆に巨人師匠や中川家礼司からはマイナスポイントになっている、という。

(それも一つのトレンドなだけで、本来的には等価だと思いますが)

 

更にギリギリになると、
冒頭と締め以外が、コントでもなく、
始終ことば遊びなのが、
2018年ジャルジャルのピンポンパン、

 

とまぁ。このグラデーションですか。

そんな中、
議論となっているマジカルラブリーの二本目はどこかというと、
2. 片方だけがコントに入って、
ツッコミだけは漫才師のママのネタ。

 

野田さんが電車の中で設定に入っていても、
村上さんは漫才師のママで
お客さんと同じ目線でツッコミをしている。

 

野田さんが村上さんと掛け合わないのも、
設定に入ってるからだし、
話さないのは、揺れる電車にいるという必然性もある。

 

というわけで、
マジカルラブリーの二本目は
思いっきり漫才だ、という話ですね。

 

私見では、

本当に漫才の定義をギリギリをせめたのは、
すゑひろがりずさんで、


漫才で楽器持ってくのは、
従来の観念だと百歩譲ってギターがギリギリ、の中で小鼓

 

コント衣装も着てはいけないという価値観ありますが、
紋付、

 

これエクスキュースは、日本の正装で

スーツと等価だからアリだったのでしょうか笑。

 

まぁ、琵琶弾きとしても、紋付は正装であって

時代劇コントではないので、

現代曲を紋付で弾くことは全く問題ないんですが。

 

 

いずれにせよ、
「あれは〇〇ではない」と言われて議論が起きることって
最高にカッコいいことなので、

さて、私も言われるように新しいことに挑戦せねば。