琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

これからの琵琶楽の展望

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先日の琵琶クラブハウスで
昭和から令和編を話したところの話

 

奈良時代から大正までは琵琶楽は邦楽の中でメインストリームだった、という話。


楽琵琶は雅楽の中で重要なパートであり、
かつソロ楽器としても人気があった。


中世では語り物音楽に結びつき
平家琵琶として、まさに庶民が手にできる最もメジャーな弦楽器だった。


これは篳篥や笙といった雅楽の枠内にしか存在できなかった楽器達との違いですね。


近世では、三味線人気に押されて存在感は低くなりましたが
古典芸能としての平家琵琶があり、
九州地方では各地域の盲僧琵琶文化が花開いた。

 

そして明治大正は、まさに近代琵琶のブーム期になる。

 

 

が、そこから昭和十年代からは、
いわゆる邦楽が西洋音楽を咀嚼していく歴史の中で殆ど記載されなくなる。

 

宮城道雄らの新日本音楽、
戦後の現代音楽、現代邦楽、
90年代以降の何度か訪れた邦楽ブーム

 

これらの中で、

琵琶の専門誌は除いて、
いわゆる日本音楽史の文献で名前があるのは、
三人

 

1.ソナタやロンドなどの
西洋音楽の形式を踏まえた琵琶曲を作った
三世橘旭翁先生

 

2.武満徹と黄金コンビを築いた鶴田錦史先生

 

3.2000年ゼロ年代
吉田兄弟、箏森川弘恵、東儀秀樹らと並んだ
邦楽ニューウェーブ坂田美子先生

 

 

もちろん、文献に載ってないだけで、
色んな活躍した演奏家がいて作曲家がいたのは間違いないのです。

 

しかし、他のジャンルも含めた

俯瞰した音楽史にはこの3名だけ。

 

そのうち、多くの文献では鶴田錦史先生のみの記載

 

という話をした流れで

MCの方から「今後の琵琶界は〜?」
みたいな話になってしまい、

そんなことを言える立場では全く全くないのですが、
まぁ、逆に、こんな琵琶楽史オタクから言った方が無影響かもと思って
話してしまったことのまとめ。↓

 

 

1.器楽専門の演奏家の広まり
琵琶は元は600年ほどインストの楽器だった、
それが語り物と結びついて800年ほど語り物の伴奏楽器になってますが、
これを再度、器楽の音楽として再評価されるべきだろう、と。


これは
長唄では四世杵屋佐吉が、
箏曲では古くは八橋検校と、宮城道雄でしょうか、
中国琵琶では劉天華が、

 

明治以降に
歌の伴奏から脱却して、楽器本体の魅力とする音楽を創設していった。

 

琵琶も武満徹の『エクリプス』は
語り物のない琵琶曲

 

これをもっと進めて
器楽専門の演奏家が広まること、

 

というのも、
琵琶サークルを運営してた中で
やっぱり楽器だけ弾きたい子ってのは必ずいて、
それはそのとおりで、中高でギターやってたみたいなギター少年は
楽器だけ弾きまくりたいのですよ。


だって、スティーブバイもイングウェイマルムスティーン
歌わないじゃないですか。

辻井伸之も押尾コータローも歌わない。

 

私も当時は頭が凝り固まってたので、
「琵琶は語りをやらねばダメだ」とか、
「好き嫌いは別にしてちょっとやってみようか」なんて強く働きかけて

 

今考えると
相当、潜在的な部員を失ったんだろうな。と。


琵琶史を俯瞰すれば器楽音楽の歴史から始まっているのに。

 

これで大事なのが、
語り物の琵琶楽は語り物の琵琶楽として
大事にしていく、ということ。


それはそれ、
それに選択肢が追加される。


語らない琵琶奏者、楽器だけで勝負する琵琶奏者

これが広まると、また始めたい人も増えるはず。


いまの津軽三味線の人気って
YouTubeの「弾いてみた」系をみていても、
器楽だけで成立することが、ギター少年気質とマッチするんだろうな、と。 


新たな裾野を獲得できるのではないか、と。

 

 

2.楽器の改良、電気化
次が楽器の改良、
楽琵琶→平家琵琶→盲僧琵琶→薩摩琵琶
と音楽形態が変わる中で、
楽器自体が変わっているんですよね。
新しい琵琶楽のためには〇〇琵琶と
新しい名称が必要なのではないか、

 

これは七孔尺八や九孔尺八、オークラウロに通ずるというか、
1960年代以降にジャズ尺八やロックポップスと結びつく中で
「あんなの尺八音楽じゃない!」というご批判はあったのです、


が、
「この音楽は七孔尺八の音楽である」と切り替えた。

五孔尺八には五孔尺八のための音楽があるように
多孔には多孔の音楽があり、それは逆に五孔には適さない、と


棲み分けができた。 

 

それはエレキギターのジョージビーチャムも
筑紫箏を改良した八橋検校も、
新しい楽器をすることで棲み分けをする。

 

琵琶も、〇〇琵琶ができるとよいのでは。

 

 

3.語り物の現代語化
器楽からのアプローチの現代化とは別に
琵琶歌から、なりけり、を卒業させる。
普通の人が普通に話す言葉で語る。
正岡子規ですね。
(卒業させるっていっても古典は古典で大切にするのですよ)

 

4.怒られる

怒られる、これが割と大事で
琵琶楽って怒られてきた歴史なんですよ。


楽琵琶から平家琵琶に変遷したときも
めちゃくちゃ怒られた、雅楽という体系的な音楽理論を学んだ楽人の器楽音楽を
お経や説教と、また戦記と結びつけるなんて、
楽人、伶人からすれば「けしからん」ことなんですよ。

 

平家琵琶から盲僧琵琶への変遷は
明確に論争になり、血が流れてたことが文献に残っています。
当道座の平家琵琶の座頭からみれば
荒神経や地神経という偽経を語り、
変形させた琵琶を弾くというのは
邪道も邪道なのです。

 

盲僧琵琶から薩摩琵琶も、
いかに薩摩藩が盲僧に比較的優しい政策だったとしても、
盲人の専門職の琵琶楽を晴眼者が弾く、
経ではなく、武士風、町風に作詞する
というのは盲僧にとっては非常に苦々しいものだったに違いなく。
相対的に自身の芸能の役割が下がりますからね。

 

 

また、これは狭い了見の話ですが、
吉水錦翁先生が女性に門戸開放したときも
男性奏者の中では、猛批判した方がいたそうで。。

 

 

また薩摩琵琶の中でも
正派→錦心→錦→鶴田と
全過程で怒られてますよね。

 

筑前の怒られる歴史は把握してないのですが、
改革の影にあるのでしょう。

 

 

なので、
怒られる歴史なのですから、
怒られましょう、と笑。

 

いや、琵琶ストラップ って
多少は怒られるんじゃと思いながら作ったのですが、
一切怒られなかったのが若干寂しく、笑。
(知らないところで怒られているのかもしれませんが。)

逆にいえば、怒られるぐらいでないと
新しくないんでしょうね。

 

 

とまぁ、
ハジのハジから恥を忍んで