琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

無声映画と琵琶

活弁士と琵琶

 

岡田斗司夫さんが鬼滅の刃の考察していて、
無声映画からトーキー(音付きの映画)に移り変わる時代背景を話しているのですが、

その頃の映画館と琵琶奏者の話。

 

無声映画
チャップリンやバスターキートンを見たことがあるかな、とか
映像の世紀』で歴史物語として見るぐらいですが、

滑稽なドタバタ演技にラグタイムのピアノが鳴ってるアレですね。

セリフが字幕でながれる。

 

アメリカだと映画館で生のオーケストラ演奏がついたりもしていたのですが、
日本だと活弁士がパンパンとハリ扇で台座を叩いて、
ナレーションをしていた。

 

それで、実は活弁士と同じように
琵琶奏者も映画館でナレーション兼BGMをしていた、らしい。

 

鶴田錦史先生も伝記で
琵琶ブームが少し落ち着いた頃に
長野の映画館をハシゴするようすが描かれています。

 

琵琶だと箏や三味線と違って
いつどこで誰がどうした、というト書きを語れるので、
まぁ無声映画を彩るにはちょうどよかったんですよね。


そんな役割があり、
演奏収入が落ち着いた頃には貴重な定期収入となっていた。

 

ところが、
まぁ、ご存知のとおりトーキー、音声付きの映画が普及すると、
活弁士が軒並み廃業することになります。

 

これ映画『アーティスト』でその辺りの時代がよくわかる。
無声映画だと、訛りがあったり、声が良くない俳優も人気になれたのですが、
トーキーが始まると人気が聚落していくんですね。

 

映画のモデルは、おそらくジョン・ギルバートという俳優
口髭の似合うダンディな紳士で
甘い低音ボイスで囁きそうな見た目なんですが、
イメージに合わない甲高い声だったそうで。

 

日本でもバンツマこと阪東妻三郎
古畑任三郎田村正和のお父さんも
トーキー移行期は苦労して、喉を潰して低い声にしたそうな。

 

琵琶奏者もトーキー普及とともに
映画館のBGMの仕事は終わる。
長唄なんかだと歌舞伎小屋の居付きの奏者ができますし、
洋楽ならフィルの一員という固定収入がありますが、

映画館専属が無くなるのは割と手痛いところ。

 

トーキー普及とラジオから流れるジャズやポップス、
そして戦争の始まりで、だんだんと琵琶ブームが終わっていく。

 

まぁ、一つの時代の終焉ですね。

そんなときに、次の時代にキャッチアップするか、何もしないか。


映画『アーティスト』の主人公は
「トーキーなんて子ども騙しさ、無声映画こそがアートなんだよ」と
自分でメガホンをとって大コケします。

 

他方、阪東妻三郎
声の演技に取り組んで、一時の低迷はあっても復活する。

 

「トーキーなんて子ども騙しさ」と
割といってしまってる古典芸能人を見るのですが。。。

 

新しいプラットフォームしかり、
新しい音楽フォーマットしかり、ですね。

 

ちなみに武満徹と鶴田先生のタッグでの
琵琶の映画BGMは、
ある意味では映画館を彩っていた琵琶の復権ともいえるんでしょうか。

 

そういえば学生映画のときに
切腹』みたいなBGMをやりたいんですよ、とお声がけ頂いて、
琵琶のサントラをしたことを思い出します。

 

ということで、

新しいプラットフォーム、

TikTokもやらねば、なぁ。
(そんなの子ども騙しだよ、と言ってしまいそう笑)