琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

琵琶のサワリの歴史

琵琶には、絃が糸口や柱において面で接することによって生じる

歪んだビビり音があります。

 

これは三味線の一絃にもあり、

日本音楽の特徴の一つとして数えられています。

 

このサワリが、いつどのような過程で成立したのか、

考察していきたいとと思います。

 

まず、サワリの構造は五つほどの種類に分けられると考えています。

 

1.近代琵琶型

薩摩琵琶や筑前琵琶のように糸口や柱を厚くすることによって

絃が柱に面で接することによって生じるもの

 

2.三味線型

一絃を上駒から外すことで、糸蔵とサワリの山に微妙に当たることによ

って生じるもの。

近代琵琶型が「面」でサワリをとっていることに対して

三味線は、糸蔵とサワリ山の2点で接することによって生じます。

 

面ではなく、複数点で絃が微妙に当たることで生じるサワリは

平家琵琶のサワリ、

一柱が開放弦に当たることによって生じるサワリと同じ構造と考えますので、

三味線型に分類します。

 

3.シタール

シタールはブリッジ側にジュワリという象牙や木でできた丸みを帯びたブロックを設置し

これも面で絃が接することによってサワリが生じます。

 

4.タンブーラ型

シタールと同じくジュワリが設置されてますが、

ブリッジ側に糸が挟み込まれており、

サワリの調整として機能します。

 

日向盲僧琵琶の永田法順も、糸口に紙縒りを巻く工夫をしており、

このタンブーラ型に分類されると考えます。

 

5.過渡期三味線型

これは上記のサワリ構造とは別のもので

絃自体に針金を巻く方法です。

絃が面もしくは複数点で接することによってサワリを生じさせるのではなく、

針金が絃の振動に影響を与えることによって生じます。

いわばサワリの変種と考えられます。

盲僧琵琶にもこの形式のサワリがあったようです。

 

f:id:tegeist:20220312081945j:plain

さわりの図 

著:千田崇文・吉川茂
『サワリ機構をもつ弦楽器モデルにおける撥弦振動に関する実験的考察 : 初期条件の影響について』

こちらの図を参考にさせて頂きました。

 

それでは、このサワリの起源はどこにあるのか。

 

シタールやタンブーラにおいてジュワリの歴史は未検討です。

シタールは、13世紀から14世紀にかけて活動した音楽家、アミール・ホスローが、シタール的な楽器を使用したと記録されている、とのことですが、

その時点からジュワリがあったのか、

それ以前の楽器でジュワリは存在していたのかについては、今後の課題とさせて頂きます。

 

なお、ジュワリとサワリの音が似通っていることから、

語源が共通することが指摘されていますが、

ブリッジでサワリを取る方法と、三味線や平家琵琶の二点で取るサワリとは

方法論が大きく異なるや、成立年代が異なることから、

後述するように、インド音楽の影響でサワリが伝達されたと考えることは難しいと考えています。

 

日本音楽のサワリの歴史に触れるものとして以下の研究があります。

『三味線のサワリに就いて』吉川英士

東亜音楽論叢―田辺先生還暦記念 (1943年) 193頁

 

三味線の祖である中国三弦や、琉球三線にサワリ音がないことと比較して

サワリが日本の三味線の特徴として考察されています。

 

サワリが認められる年代のわかる書物としては以下があります。

 

鶴沢新右・野沢喜立著 末吉梅笑編

「三絃独稽古」宝暦7年(1757年)刊行

 

「上駒 糸蔵の下一の糸を除きて二と三との糸を下え挟む。筆の鞘を細く割りて用ゆ」

と記載したうえで図解を載せております。

 

f:id:tegeist:20220312082630j:plain

三絃獨稽古 『三味線のサワリに就いて』吉川英士 挿絵より

上駒から一絃のみを外す方法でサワリを取っていたことがわかります。

少なくとも宝暦には三味線でサワリが発見されていたといえます。

 

また、吉川氏は京都山田長左衛門所蔵の二曲屏風

『婦女遊楽園』にある三味線には、一絃のみ上駒を外してある様子が認められるとしています。

 

この屏風の製作年は不明であるが、描かれている風俗から

寛永頃(1624年〜1644年)と推察されています。

f:id:tegeist:20220312083153j:plain

婦女遊楽園 『三味線のサワリに就いて』吉川英士 挿絵より

 

このサワリの発見については吉川氏は以下のように考察しています。

 

当時は上駒が固定されておらず、取り外しができるようになっていたこと。

その調整の際に、一部の絃のみを上駒に乗せた場合に生じる効果から、

サワリ音を発見したのでは、と考察しています。

 

上駒が固定されていないことは、

「二と三との糸を下え挟む」と、絃で上駒を「挟」んでいると表現していることから裏付けられる、とのことです。

 

では、この三味線のサワリが琵琶を起源にするものであったのか、

それとも三味線のサワリが琵琶に影響したものであったのかを考えていきたいと思います。

 

まずは、三味線のサワリが寛永期に成立していたのだとすれば、

盲僧琵琶の発祥に先んじるものといえます。

 

盲僧琵琶の成立は、以前も考察したとおり

1674年の三味線禁止令を基にして、三味線を使えなくなったという消極的な理由から

平家琵琶を改造し、次第に柱を高くする、小型化するなどの工夫が生まれて、成立していったと考えています。

 

ここに、盲僧琵琶は楽琵琶とは別に

インド発祥の直頸の五弦琵琶を祖として、

奈良時代に九州に伝来していたとする説がありますが、

盲僧の起源伝説を無批判に採ったものとして現在は否定されています。

 

となれば、

三味線のサワリが盲僧琵琶や近代琵琶より前に存在していたことは明らかです。

 

次に、平家琵琶の山型の一柱によるサワリがいつ始まったかについて検討します。

 

まず平家琵琶の歴史は、

語り物の琵琶としては10世紀頃、

平家物語との結びつきは13世紀後半とされていますが、

楽器が楽琵琶と分岐して、小型化・撥の変化が見られるのはもっと後であろうと思われます。

 

f:id:tegeist:20220312083901j:plain

平家琵琶さわり 日本の伝統芸能講座第六章 薦田治子著 挿図より

 

まず、現在の平家琵琶の第一柱は、上図のように山型になっており、ネックに接着されておらず、二絃が柱を押さえているようになっています。
従って、第一柱には勘所(音階)としての機能はなく、純粋にサワリ装置として用いられています。

そして、二絃は第一柱を支える関係で、開放絃の音はありません。

よって、調弦の際には二絃は開放弦で調整することはできないため、

二絃は三柱を押さえた音で調弦することになります。

 

ここに、江戸時代の平家琵琶の曲集の中に、

平家琵琶調弦雅楽の風香調(黄鐘調)に由来すると書いたものがあります(「太平楽亭平曲集成」)。

黄鐘調は、一絃をAとするとACEAとする調弦法ですが、

開放弦をそのように調弦することは、当然ながらサワリ柱がないことを意味します。

仮にサワリ柱があるのであれば、二絃を開放弦で調弦することができないからです。

 

また、当道座の座頭や盲僧などの職業音楽家ではなく

愛好家の間では一般的に黄鐘調に調弦がされ、サワリはなかったといわれます。

 

従って、サワリ柱が平家琵琶に採り入れられたとしても、

江戸時代の初期ではないと考えられています(薦田治子・日本の伝統芸能講座 第六章 平家琵琶)。

 

とすれば、おそらく三味線でサワリが開発された寛永期(1624年〜1644年)が平家琵琶に先んじることになります。

むしろ、当時流行となった三味線のサワリ音を、平家琵琶において再現するために

サワリ柱が開発されたのではないかと考えられます。

 

次に、盲僧琵琶や薩摩琵琶でのサワリは

どのようにして生まれたのか、

 

これは明確に三味線が先んじるものであることから、三味線音楽の影響が多分にあると考えます。

三味線禁止令(1674年)によって三味線を手にすることが出来なくなった九州地方の盲僧は

様々な工夫で琵琶を「三味線化」していきます。

古盲僧の中には三味線のように細く、また三弦のものもありますし、

柱を取り外しができるようにして、

柱を外して三味線のようにノンフレットで弾くことを試みる盲僧もいたようです。

それに対して、藩から「柱を打ち付けるように」と命ぜられた記録があります。

 

それほど、当時の三味線は人気の楽器であり、

盲僧は琵琶を三味線のように弾くことを望んでいたことになります。

 

となれば、三味線のサワリ音を再現することも研究がされていたと推察されます。

フレットがなければ、ネックの調整でサワリを付けることは可能でしょうが、

フレットがある中で、高い絃高の中でサワリ音を再現するにはどうするか、

また、全ての音でのサワリを実現するためにはどうするか、

 

その工夫の過程で、厚い柱からサワリを取ることを考えついたものと考えます。

 

つまりは、琵琶におけるサワリは、

平家琵琶においても、盲僧琵琶においても、

三味線のサワリ音に大きく影響されて成立したものと考えます。

 

平家琵琶においては固定しないサワリ柱を設置することでサワリを獲得し、

盲僧琵琶において柱を打ち付けねばならないという制約から、

柱や糸口を平面にすることでサワリを獲得していったと考えます。

 

以上のように、日本音楽におけるサワリは、

三味線における上駒の工夫によって発見され、

それが琵琶に採り入れられたと推測します。

 

次に、それでは三味線のサワリがシタールやタンブーラのようなインド・アジア音楽の影響によるものかを検討します。

 

上述の吉川氏の考察のとおり、

三味線のサワリが、可動式の上駒をズラしたことによって偶然発見されたとすれば、

 

サワリ機構をシタールやタンブラなどの外来楽器からもたらされたとするのは

若干無理があるかと思います。

 

なぜなら、

ブリッジ付近に設置されたブロック・ジュワリによるサワリと、

上駒を外して複数点で接する三味線のサワリは、大きく方法論も異なります。

 

もしかしたら、サワリ音という概念や価値観のみが伝来した可能性もありますが、

近世においてインド音楽が三味線の製作者に影響をもたらせたという文献が見つからない限りは、

「さわり」と「ジュワリ」の音が似ていることをもって、

インドから日本にサワリ音が伝達されたということは難しいと思われます。

 

以上のように、琵琶におけるサワリの歴史は

三味線の大きな影響を受けて江戸時代中期以降に成立したものであると考えます。

 

他方で薩摩琵琶においては柱でサワリを採る工夫から、全ての絃で全ての音階でサワリをとることを獲得し、現在の琵琶の特徴であるサワリ音を改良していったものと思われます。

 

琵琶のサワリの歴史についての考察は、まだ少ないのですが、

琵琶がサワリを獲得していく歴史について、またわかることが出てきたら追記していきます。