SOUL’d OUT
シーンの中にいるか
SOUL’d OUT
がトレンドに入ってるので、思い出して。
(スタバの新作ドリンクが売り切れだった、というのを
誰かが間違えてツイートしただけでしたが。)
「あのアーティストはシーンの中にいない」
という言い方をすることがあって、
ヒップホップが一つのブームになったときは
アイドルグループも、サビのあとにラップ風の歌詞が続いたりして
いわく要素だけを借りた、という意味で
シーンにいないとか、シーンから評価されていないとか、
これはおそらく全ての音楽ジャンルにあって
肯定的にも、否定的な文脈(こちらの方が多い)でも使われる。
そう言う意味で
SOUL’d OUT ほど誤解されたグループはなかったのでは。
世の常で、最初に注目されたジャンルで括られがちなのですが、
例えばマイケルジャクソンもオフザウォールまではダンスミュージックとして括られることもあったし、
宇多田ヒカルのデビューの頃も
R&B歌手として紹介されている記事やニュースが多かった。
マイケルジャクソンは、その後
スリラーで王道ポップスを
デンジャラスでラップやファンクを入れて、
スクリームではノイズを取り入れてと
オールジャンルのポップスターとして確立した。
宇多田ヒカルも、
二曲目のMovin' on without youからR&B歌手じゃないよ、と打ち出して
ポップのシンガーソングライターであるという評価を得た。
しかし、SOUL’d OUTは
今でこそ、
洋楽ポップスと日本の歌謡曲をミックスした
ジャンルと時代を越えた類稀なミュージシャンという評価が妥当しますが、
当時はラップが上手すぎたり器用すぎたり売れすぎていて
当時のヒップホップシーンがこぞって「剥がし」にきたんですよね。
思い出すのが、
琵琶サークルの部室でSOUL’d OUTを聴いていたら
「先輩、何ダサいの聴いてんすか」とヒップホップフリークの後輩に言われたもんで。
でも当時の空気感ってまさにそれで。
SOUL’d OUTにとっては荒波立つアーバンナイトだったわけです。
でも、
マイケルジャクソンに、「お前はダンスミュージックじゃない」っていう批判が当てはまらないことと同じく
宇多田ヒカルに、「彼女はR&Bのシーンには居ない」という批判が当てはまらないと同じく、
SOUL’d OUTがヒップホップに収まるわけがなく、
それは大げさな話ではなく、
黙示録と共に研ぎ澄ます話で、
そういう意味では聴く側もシーンも無知だった。
悲運な。
それでもR指定みたいなSOUL’d OUTをきっかけに日本語ラップを始めた世代がSOUL’d OUTの再評価の波を作ってくれたのは嬉しい。
マイケルジャクソンも、
亡くなってThis is itから再ブームがきたので
今となってはピンときませんが、
デンジャラス以降、ずいぶんと「ダサい」と言われてしまう時期があった。
ニルバーナのドラムスのデイブグロールが
ライブでマイケルのステージ衣装っぽいのを着て
ファンにダセーとブーイングさせて盛り上げる、みたいな悪ノリをしたり。
汚いジーンズで無造作でそのまま歌うのがカッコいい、という新しい価値観の中で
金フンドシやスリラージャケットなどのステージ衣装で、
非日常を演出するスターだったマイケルは
当時は「古いミュージシャン像」の象徴でもあった。
転換期が、
マイケルジャクソンを聴いて育った世代
ジャスティン・ティンバーレイクが
マイケルジャクソンのオマージュで再評価の波を作っていく。
つまりは、
R指定とジャスティン・ティンバーレイクが重なってくるわけですね。
まぁ、長々と書きましたが、
カッコいいものはカッコいいし、
必ずしもシーンに評価される必要はない、という話。