琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

多柱琵琶について

多孔尺八と多柱琵琶

 

琵琶は、柱(フレット)がありまして、
楽琵琶が四柱
平家琵琶が、初期は四柱、多くは五柱
盲僧琵琶は各人の工夫が多様で、四柱から六柱

薩摩琵琶は、正派と錦心流が四柱

錦琵琶と鶴田流が五柱

現代的な取り組みとして、塩高和之さんの半分の長さの六柱など

 

と様々です。

 

この「柱」をいくつにするか、
これが割と面白いテーマで、昭和初期に全国紙で激論が交わされたり、
お家騒動からの琵琶ブームの終焉などに繋がる。


たかが柱ではないのです。

 

尺八もトラディショナルは五孔、
現代曲に対応する七孔や九孔、オークラウロに対する古典派の奏者の想いは色々あるようで(これも最近は風向きが変わったのでしょうか)。

尺八の多孔と琵琶の多柱は、なんとなく意味合いは近いようなイメージ

 

歴史の話でいうと

17世紀後半に平家琵琶から盲僧琵琶に発展する中で
筑前盲僧など九州北部は六柱になっていき
薩摩盲僧は、逆に二柱がなくなって四柱になっていき、

という大雑把な傾向があるものの、


中島・常楽院に六柱の薩摩盲僧琵琶が保存されていたり、
日向(宮崎県)盲僧の永田法順氏の琵琶は六柱だったりと

各盲僧が自分なりに工夫をしていた模様です。

 

基本的に、三味線が使えなくなったという消極的理由で盲僧琵琶が発展していったので、
まずは三味線並みの広い音域を目指したい、
それの実現のために、多柱か、締め込みか、
という方法論ですね。

 

これが近代琵琶になっていくと、

薩摩琵琶は四柱へ、
筑前盲僧の六柱から筑前琵琶の五柱へ、

と移行します。

 

その薩摩琵琶が、
永田錦心大正14年に五柱の錦琵琶を開発して
水藤錦穣に託す

ここの柱が一つ増えることのバトルがあります。


当時の琵琶新聞や琵琶雑誌をみるとすごいです。

琵琶のお家騒動が全国紙を飾ったのですから

ある意味で華やかな時代ですね。

柱が一つ増えることが、破門や流派の創設に繋がったわけです。

 

その五柱が六柱になるのは、また更に時間が必要で、
「新しいことを全部やる人」の鶴田錦史先生も
六柱は試さなかったようです。

 

私の知る限りでは、塩高和之さんが20年前に六柱を導入していたことでしょうか、
(ちなみに、筑前で六柱にしている方は、一番早い方はどなたでしょう。)

 

塩高さんが三絃と四絃・五絃だけを乗せる
半分の長さの柱を付けることを始め、

割と鶴田流で現代曲を取り組んでいる奏者は
六柱やってますよね。

 

さて、この多柱琵琶、

これが「正しい」といえるか、
正しい、とは難しいですね。「新しい」というか、
若しくは「琵琶の意思に沿う」か、とか、
「弁財天の意思に沿うか」、みたいな笑。

 

 

これが、割と新しいことに取り組んでいる奏者でも
六柱以上にすることに心理的抵抗が大きいような感触です、

その根っこは、おそらくは中国琵琶との差異があります。

 

中国琵琶も日本琵琶と同じくバルバットを起源としたシルクロードを通った絃楽器なのですが、
中国琵琶が半音単位で細かいフレットが増えた楽器であることに比べて、

日本の琵琶は7世紀の楽琵琶からフレットは多く増えていない。


この、「引き算の美学」こそが、日本音楽のアイデンティティである、
という。

 

次はもう少しあとの
18から19世紀の話、
薩摩盲僧が平家琵琶から柱を外したことのアイデンティティ
二柱がなくなって、締め込みで表現することが
楽琵琶や平家琵琶から脱した
「薩摩琵琶」である、という。

 

こういうことを考えるときは歴史を遡るとよいのです。
切り取った一部分の歴史をみるのではなく
千年単位の歴史をみる。


明治以降の極めて短い歴史を「伝統」などと言うことなかれ。

 

まずは、六柱または七柱にしても
半音単位の多フレットとは違って、音域拡大のための多フレットなので、
締め込みの妙味は変わらない。


中国琵琶やベトナムの弾琵琶の多フレットとは方向性の違うものであると考えます。

 

次に、薩摩琵琶のアイデンティティとしての四柱

これは、なかなかメンションが難しいのですが、
締め込みのための二柱を「抜いた」ことと、
音域のために四柱より下に柱を増やすことは矛盾しないと思うんでよね。

この二柱を抜いたことで一柱から二柱(五柱だと三柱)までをダイナミックにポルタメントで弾けるのですが、

かといって、そこからの柱の配置は錦琵琶や鶴田流と同じく

全音と一音半で配置されてるため、

締め込みを重視するといっても比較の中の話です。

また、四柱(ないし五柱)以上の音域は

四弦だと締め込みが強く調整できるのですが、

当時の古典曲において鳴らす必要が無かっただけで、

全部締め込みで音作りをすべきである
という価値観で造られていたとは思えない。

 

また、錦琵琶以降に関しては
器楽的な奏法と音量の拡大という方向に発展することがアイデンティティなので、
「五柱で止める」こと自体に、さほど意味はない。

 

また琵琶全体の話でいえば六柱の薩摩盲僧や筑前盲僧がいる以上、
彼らの創意工夫の延長として現代の奏者が多柱にすることも、
琵琶史の線上の話であろう、かと思います。

 

さらにいえば、
「そのための音楽」という話、
多孔尺八の議論も同じく
「多孔尺八のための音楽を多孔尺八で吹く」

古典を多孔で吹くことに違和感があるように、
多孔のために作曲された曲を五孔で吹くことも、同じように違和感がある、と。

七柱琵琶でないと弾けない曲を七柱琵琶で弾く、
古典はトラディショナルな五柱琵琶で弾く、

「そのための音楽をそのための楽器で弾く」

弁財天が希求していることはソレだろう。

 

とまぁ、また色々と踏まえて、
七柱を試してみたい。

 

 

音域としても、
五柱だと1オクターブと半音が限界なところを
七柱だと1オクターブ半出せる
3本のチューニングだと、高音のAとBが出る
Eのsus4や、Aのパワーコードが弾けるので
選択肢が全然違うのです。

 

とまぁ色々いいましたが、
こういうのって、
「新しいことやってやるぜ」だけの七柱と
歴史を踏まえた地続きの七柱は違うと思うんです。少なくとも自分にとっては。

 

逆にいうと、これをしないと試せないのでフットワークが重いのですが笑。