琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

もし藤原泰衡が源義経と共闘して源頼朝と闘っていたら

奥州藤原氏 平泉

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先日、初めて中尊寺を訪れたのですが

いや素晴らしかった。金色堂、あの中に藤原四代が眠っているかと思うと。

あと、泰衡の首を入れた漆器

恐ろしい。

 

源義経を大将にして、と遺言を残した秀衡と
義経を鎌倉に売った泰衡

歴史の面白いところです。

 

歴史にタラレバは禁物ですが、

さりとて考えてみたくなるもの。


有名なところでは、
光秀が本能寺で信長の首をとっていたら、とか
龍馬があの日に近江屋にいなかったら、とか

 

色々ありますが、

「もし藤原泰衡義経と共闘していたら」
というのも一つ。

 

この妄想は割と面白いのです。
戦略の天才である義経が指揮をとっていたら、
鎌倉といい勝負ができていたのでは。

 

これ大河ドラマの『鎌倉殿の十三人』でも取り上げられていて
義経菅田将暉)が衣川館で北条義時小栗旬)に解いている。

そんな場所にいるはずもないのに笑。

 

曰く、
藤原勢は白河関で鎌倉を迎え撃ちながら
主力を海路で由比ヶ浜へ付ける。
見張ってる三浦半島の三浦氏には予め内通しておいて、
由比ヶ浜から上陸して町に火をつけると同時に、
鎌倉の切り通しから攻め込む。

 

それを聞いた北条義時小栗旬)が、
「なるほど、ひとたまりもない」と感心する
というくだり。

 

この有名な妄想への三谷幸喜さんのアンサーがされていて面白い。

 

ただ、実はこれだと駒が足りない、と思うのです。

そもそも三谷幸喜義経案だと、
軍勢を三つに分けるのですが、そもそも鎌倉と奥州では総力に差があるので、さらに厳しくなる。


そもそも奥州藤原氏勢は、泰平の100年でそんなに強くない。
あと、結局は豪族連合なので鎌倉ほどの結束力もない。

 

やはり鎌倉に打って出て勝つのではなく、
鎌倉に、奥州圏の統治を許容してもらう
という落とし所にする。互いに攻めず。停戦ですね。

 

とはいえ、
頼朝にとっては奥州は源頼義以来の「宿意の地」
簡単に諦めるわけにはいかない。

 

とすればどうする。

 

まずは秀衡の死を隠す、武田信玄のように。
権勢を誇った名将秀衡が存命とあれば鎌倉も足が鈍る。
そして義経を総大将ではなく、局所戦のリーダーにする。
彼は戦術家なので前線にいた方が発揮するので。
ここで白河関あたりで局所戦を勝っておく。

 

さらに、やはり朝廷工作
奥州の黄金を注ぎ込んで後白河法皇とつながる。
頼朝討伐の院宣はもらわなくてよい。
奥州討伐の院宣を出させない、という消極的なもので十分。
これで鎌倉の参集も減る。

 

ただ、これでも駒が足りない。
まだ圧倒的な兵力差なので。

 

そこで、やはり内部
鎌倉に味方が欲しい。

 

だれか。
真っ先に思いつくのが有力御家人比企能員
後に北条氏とも対立しているぐらいなので、
力もあるし、権力欲もある。

ただ、頼家の外戚となって北条氏と緊張関係になるので、
頼朝存命中に奥州と繋がるメリットはない。

 

とすれば誰か。
頼朝の権力集中に脅威を感じるもの、
頼朝に、「敢えて奥州を攻めることもない」「放っておきましょう」と進言できるもの、

 

ここは単純に北条時政なのでは、、、

 

 

まとめると。

泰衡は秀衡の死を隠し、
忠衡と仲良くして義経に兵団を与えて戦術のアドバイザーにして、局所戦で勝つ

朝廷工作して鎌倉に院宣を出させず、
時政を通して頼朝に和平を働きかける。

 

そして、頼朝が亡くなったあたりで
次は後鳥羽院と組んで鎌倉を牽制して

 

朝廷、鎌倉、奥州と、
ちょうどよい三すくみの位置で権力を持ち続ける。

 

なんか無理矢理なツッコミ所が随所にありましたね笑。

 

あと、頼朝亡くなったあたりで、
義経はやっぱり奥州には邪魔になってきそうで、
いつのまにか病死しそうな気もしますね笑。

 

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