琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

イランとバルバット

琵琶の起源はペルシャのバルバットという弦楽器
いまのイランですね。
琵琶は日本にはペルシャ系統とインド系統がきてるのですが、
インド系統は奈良時代には廃れてしまい、
ペルシャ系統の琵琶が、いまの楽琵琶薩摩琵琶筑前琵琶に繋がっています。
(一番有名な琵琶である、
正倉院宝物「螺鈿紫檀五弦琵琶」がインド系統なので、
まいど説明がややこしいのですが笑)

ということで、
中東問題を自分ごとにしてみる笑。

 

さて、このイランアメリカ問題は、
遡れば長いのですが、

覚えるのは、
イランの首長3人
モサデク首相→パフラビー国王→ホメイニ師

語呂 もっさりしたパフェを褒める
デキスギ君、スネ夫ジャイアン、のイメージ

 

出来事は、5つ
アングロイラニアン石油会社
アジャックス作戦
イスラム革命
アメリカ大使館人質事件
核合意

語呂 餡味、椅子飴か?
(アンコの味かと思ったらイス飴だった、)

 

1.対アングロイラニアン石油会社 1950年代

民主選挙で選ばれたモサデク首相
とりあえずこの人を善い奴だと感情移入しときましょう。イメージはドラえもんのデキスギ君です。
イギリス資本のアングロイラニアン石油会社が
イランの石油を搾取してるので、
イランの石油なんだからイランのものだ!

といって国営化しようとする

 

2.アジャックス作戦 1954年
それをされると旨味がなくなるイギリスとアメリカが、
モサデク邪魔なので消す作戦
CIAとMI6が暗躍して共同でクーデターを起こさせる
ジェームスボンドとイーサンハント(ミッションインポッシブル)が一緒にモサデク嵌めたと
イメージしてください(トムクルーズとショーンコネリーで映画化して欲しい笑)

これが紛争の根っこですね。
イランの人たちがせっかく民主化して首相選んだのに、
石油利権欲しさで政権転覆させる、
ザ・アメリカですね。
そんなことを世界中でやるから、こんなことになる。

それで、英米のいうこと聞く
パフラビー国王(スネ夫的イメージ)を据える。

 

3.イランイスラム革命 1978年
革命でスネ夫が下されて、ホメイニ師に替わる。
いうならジャイアンでしょうか。
宗教家が治める国になってしまった。
民主国家→アメリカ傀儡→イスラム国家へ

 

4.そんな最中にアメリカ大使館人質事件が起きる。1979年
ホメイニ支持層がイランのアメリカ大使館を占拠
なんと444日間も!(覚えやすい!)
これ映画にもなってます。
これが連日ニュースで流れたので、
世代のアメリカ人にはイラン=テロ国家のイメージが定着したそうな。
これは日本人的にはあまりピンと来ないですよね。
イランといえば親日国ですし、
ペルシャ絨毯とかペルシャコーヒーの牧歌的なイメージが。

イランの脅威を感じるとアメリカ人がメラメラするのは、
ココの体感があるからです。
以来二人はすこぶる仲が悪い
(そもそもはアジャックス作戦が最初のパンチだと思うんだが)

 

5.核合意 2015
そこを、オバマがうまくまとめて、
イランと核合意した。(飛びましたね笑)
若干の仲直りです。
まぁ、オバマがすごい、みたいに評価されますが、
対ISで共同戦線張ってくれたから、ご褒美に核開発を大目にみるよ(ウィンク)
的なニュアンスもあるので、
そこまでオバマが善なわけではない(それは政治ですから当たり前ですね)

 

6.トランプが、核合意破棄 2018
オバマのやることなすこと、全部嫌だ、の人。

と振り返って
何故いまソレイマニ司令官を殺害したのか、

反政府デモも起きてるし、政権が弱体してるから、
殺すならイマだと思ったのか、
戦争を始めると2期できるジンクスを踏襲したのか、
イラン潰すべしの支持層を取り付けたいのか、
戦争始めると儲かる支持層を取り付けたいのか、
中東オイルをガタガタさせてシェールオイルで覇権を握りたいのか、

 

まぁ。
よくわかりませんが。
アメリカ大使館人質事件が当時の世代のアメリカ人の記憶に残ったように、
ソレイマニ殺害も、いま物心ついてるイランの小学生の世代にも残るのでしょうから。

仮にイランの現政権を転覆できて、「新米政権」つくれても、
将来のテロリスクは増える、と。
これ漫画「勇吾」でも描かれてましたね。

 

 

まとめ

https://youtu.be/UDYsDzphlIU
バルバットを聴くと、
日本に伝来した当時の楽琵琶を想像できるので面白いです。
シルクロードを東にわたるにつれて音数が増えて技巧的になっていくのですが、
何故か日本で音数が減る不思議。

広瀬すずさんと盲僧琵琶

https://youtu.be/bM0WcakLsNI

広瀬すずがCMで琵琶を!
嬉しい。

 

この琵琶が楽琵琶でも薩摩琵琶でも筑前琵琶でもなく、
いまは伝承が途絶えてしまった盲僧琵琶、
四絃五柱の薩摩盲僧ですね。

制作者のこだわりん感じる。
ストラップが背中に渡してあるのですが、
ソーヤマ式ストラップを使ってもらえたら
最後の練り歩きのシーンで歩きながら弾けて、更に画になっなよなー
という宣伝笑。

 

この琵琶はどなた所蔵でしょう。
宇多田ヒカルのPVの琵琶など、
辿っていくと〇〇先生の琵琶とか
すぐわかってしまうのですが。

 

ちなみに、
弁財天信仰は奈良時代に始まっていたので、
伝統的には楽琵琶を持っていたみたいですが、

伝承の由来である
ヒンドゥー教サラスヴァティーはヴィーナを
チベット密教ではダムニェンを弾いていて

時代や文化に応じて変容してるのですから

盲僧琵琶持っていても、
レスポール持っていてもよいのです!

薩摩琵琶発祥の地 中島常楽院

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桜島を臨んで

 

こちらは、琵琶サークル琵沙門の創設18年記念誌に寄せたものです。
薩摩琵琶発祥の地、鹿児島県日置市の中島常楽園を訪れたレポートとなります。

1 はじめに
 平成26年4月に私は薩摩琵琶発祥の地とされる鹿児島県日置市吹上町にある中島常楽院跡地を訪れました。そのレポートをお送りします。
 この薩摩琵琶発祥の地は前々から耳には挟んでおり、訪れたいとは思っていたのですが大学在学中は九州に来る機会もなく願いは叶わないままでした。
 しかし、この年になって仕事帰りにふと手にした津軽三味線をテーマにした漫画「ましろのおと」の4巻を読んだ際に、津軽三味線部の部員達が津軽三味線発祥の地を訪れるシーンを読んで、ますますこの地を訪れたいと思うようになりました。
ましろのおと」のシーンでは、顧問の先生が部員を津軽三味線の発祥の地に連れて行き、黎明期に門付け芸人として寒風吹きすさぶ中で弾いた先人に畏敬の念を持ちなさい、と語ります。
 今琵琶サークル琵沙門で皆さんが練習している琵琶は鶴田流をベースにしておりますので、流派の発祥自体は東京になります。でも、薩摩地方の盲僧琵琶や薩摩琵琶(正派)から錦心流・錦琵琶と派生したうえでバトンが鶴田流に繋がって、現在の琵沙門の皆さんまでバトンが渡されたのですから、やはりその発祥の地を一度訪れて、創設者・初代幹事長として一つ御礼申し上げねばと思った次第でありました。
 などと思っておりましたら、幸運なことに出張で鹿児島県を訪れる機会がありまして、何とか一泊二日の予定を組めそうだったので、是非とも行こうと計画をしました。
 さて、ここでレポートに入る前に薩摩琵琶の歴史を少しだけ予習しておきましょう。
2 琵琶の歴史について
 まず、ここに薩摩琵琶の歴史は昨今において研究が進められており、従来の説と新しい説とに大きく分かれております。
3 従来の説について
 従来の説は田辺尚雄氏の『日本琵琶楽体系』の解説に拠ります。
 従来の説によると琵琶は楽琵琶が属する第1の系統と、盲僧琵琶・平家琵琶・薩摩琵琶・筑前琵琶が属する第2の系統に分かれます。
 琵琶の起源は第1系統も第2系統も、古代ペルシャに起こったバルバットと称された楽器となります。それが紀元前2世紀頃の中ごろに漢に伝わり、管弦合奏の形態となりました。それが奈良朝の初め頃に日本に伝わり、楽琵琶として雅楽の管弦の一員として用いられております。第1系統の琵琶は楽器の頚部が後方へ直角に折れ曲がっているため曲頸琵琶といわれます。
 第2系統は、バルバットが紀元後2世紀頃にインドに伝わり、インド古来の弦楽器ヴィナと融合してインド琵琶となります。それらは中央アジアの亀茲を経て中国に伝わり、亀茲琵琶ともいわれます。この種の楽器は頚部が直立しているため直頸琵琶といわれます。
 また、インド琵琶は盲僧によって中国を経て奈良朝時代に九州に伝来しました。これが盲僧琵琶となり、平家琵琶・薩摩琵琶・筑前琵琶はその流れを汲むものとなります。
 もっとも、平家琵琶・薩摩琵琶・筑前琵琶は外形を楽琵琶に象っているため曲頸琵琶となっておりますが、奏法は直頸琵琶のものとされます。
 そして、奈良朝の末から平安朝初期にかけて、筑前博多に玄清という名僧が出て筑前盲僧の基を開きます。その門弟である満正院が京都に移り、天台宗に属して京都盲僧を保持していたものですが、その京都盲僧の宝山検校が源頼朝の命により島津忠久に従って建久七年・西暦1196年に薩摩に移り常楽院を建立したことから、薩摩盲僧の系統となり、代々島津家の保護の下に継続することになります。
 その後、室町時代に薩摩の島津忠良(日新公)が、16世紀に盲僧淵脇寿長院とともに、武士の士気を鼓舞する目的で、教訓的な内容の歌詞による「琵琶歌」を作ったのが薩摩琵琶の起源とされております。
 以上となります。
4 新しい説について
 次に新しい説について説明致します。
 新しい説は薦田治子氏の『日本の伝統芸能講座―音楽』(第17章「琵琶楽の流れ、薩摩琵琶、筑前琵琶、現代へ」)を基にさせて頂きます。
 本説に拠ると、正倉院螺鈿紫檀五弦琵琶のように後世に受け継がれなかったものを除き、日本にもたらされた琵琶は楽琵琶のみであり、平家琵琶・盲僧琵琶・薩摩琵琶・筑前琵琶はいずれも楽琵琶から派生した形態であると説明されます。
 古代に伝来した楽琵琶が、西暦1000年頃までに、民間の盲人音楽家の手にわたり、琵琶法師として活動することになります。彼らは平家物語を語って活躍したので、平家琵琶と呼ばれるようになります。
 16世紀頃に三味線が日本に伝来すると、琵琶法師たちは三味線を手にするようになりますが、その興行権をめぐって琵琶法師のグループである「座」の間で争いが起きるようになります。
 延宝2年(西暦1674年)に、京都を中心に全国的な組織を作っていた当道座が九州地方の琵琶法師座との争いに勝ったことから、三味線禁止令が出され、九州地方の琵琶法師座は三味線を手にすることができなくなります。そこでやむなく、ノンフレットで音の高さを自由に出せる三味線のように、琵琶の音高に幅を持たせるために、平家琵琶の柱を高くする等の改造を行います。この改造によって、柱間の押し込みによって音高に幅を持たせることができることになります。
 この改造された平家琵琶をもって、地神経や荒神経などを読んで宗教活動をしたのが盲僧琵琶の基となるようです。
 また、この改造を機に盲僧琵琶は晴眼者たちも演奏するようになり、その後武家風の薩摩琵琶歌が作られるようになっていくようです。楽器としての薩摩琵琶の成立は更に時代が下がり、19世紀初頭から約30年間の間に現在のような薩摩琵琶の形ができあがったとされます。
5 私見
 上記の2説につき僭越ながら見を述べさせていただきます。
 まず、従来の説によると楽琵琶とそれ以外の琵琶は大きく系列が違うことになりますが、平家琵琶と楽琵琶とに、柱の数や大きさに多少の違いがあるにせよ、ほとんど構造的な違いがないとことへの説明が難しいのではないかと思います。
 また、構造的に曲頸琵琶である盲僧琵琶・平家琵琶・薩摩琵琶・筑前琵琶を直頸琵琶の系列と説明したうえで、構造を楽琵琶に象ったからとすることもやや無理があるのではないかと思います。そうだとすれば、古い時代の盲僧琵琶について直頸琵琶に近い形式のものや、その移行期のものがあっても不思議ではありませんが、そのような移行期の琵琶というものは(私の勉強不足によるものかもしれませんが)まだ見つかっておりません。
楽器において基となる形(祖形)は、どのような過程を経ても、一部は残るのではないかと思われます。
 他方、我が国に根付いた琵琶は全て楽琵琶を起点とする新しい説は、曲頸琵琶の分布からも自然ですし、
楽琵琶・平家琵琶と異なり、盲僧琵琶・薩摩琵琶・筑前琵琶の柱が高いことの理由付けもなされていて、
より説得であると考えます。
4 従来の説における常楽院について
 従来の説によると、楽琵琶とそれ以外の琵琶とは全く違うルートで日本に入ったことになり、かつ、その祖先は曲頸琵琶と直頸琵琶と大きく系統が異なることになります。
 また、九州の盲僧は奈良朝の末から平安朝初期の段階で筑前盲僧が開かれており、薩摩盲僧についても鎌倉時代初期には起こったことになります。
 そして、常楽院の住職である淵脇寿長院と島津忠良が、薩摩盲僧琵琶を基に薩摩琵琶を開発したことから、常楽院が薩摩琵琶発祥の地とされております。
4 新しい説における常楽院について
 新しい説においては、日本に根付いた琵琶は曲頸琵琶のみであり、楽琵琶が全ての琵琶の祖となったことになります。そして、延宝2年の三味線禁止令が決定的な役割を果たし、三味線が使えないといういわば「消極的な理由」から琵琶の改造に繋がったとしています。
 新しい説によると、平家琵琶(≒楽琵琶)の改革は延宝2年(1675年)の禁止令をきっかけにしますので、建久七年(1196年)の宝山検校による常楽院設立についても淵脇寿長院(16世紀)についても薩摩琵琶の発祥とするには時代を異にします。
 もっとも、ここからは私の個人的かつ推測的な考えとなりますが、
新しい説に立ったとしても常楽院が薩摩琵琶の発祥に関して何らかの役割を担ったものと考えることができるのではないかと思います。
すなわち、常楽院に残っている盲僧琵琶からも平家琵琶からの改良の過程が認められますし、常楽院が島津家の保護を受け代々の住職が琵琶を演奏していました。
とすれば、禁止令後の琵琶の改良についても、直接改良に携わった住職がいたかもしれませんし、少なくとも常楽院が薩摩地方の琵琶界のサロン的役割ないし精神的支柱となるなどして一定程度の役割を果たしたのではないかと考えられます。
また、これは歴史的事実とは別の観点からの意義となりますが、少なくとも幕末から明治期にかけて活躍した薩摩琵琶の演奏家や、彼らによって広まった全国の琵琶愛好家にとっては、「島津忠良・淵脇寿長院らの手による常楽院における薩摩琵琶発祥」とは、ある意味では「真実」だったわけです。そのような受け止め方を長くされ続けてきた地、という意味ではやはり常楽院には重要な意義があるように思います。
5 解説について
 さて、少しだけ復習するつもりが長々とした記載となってしまいました。正直に述べれば、実は上記の新しい説についてはこの記事を書くにあたって勉強したことであって、常楽院を訪れた際には従来の説しか知りませんでした(偉そうに解説してすみません)。
 ですので、常楽院を訪れても、従来の説に則って「あぁ!ここがまさに薩摩琵琶発祥の地だ!」と大きく感激できたわけなのです(笑)。今回は記事を書くにあたっていろいろと調べた際に、各説があることがわかって、つい説明のボリュームが多くなってしまいました。
 なお、上記の各説についての記載も私の不勉強とさまざまな制約ゆえにいろいろと間違いがあるかもしれませんが、その点はご容赦のうえ、差し支えなければご指摘いただけますと幸甚に存じます。
6 出発にあたって
 出発にあたりまして、実は一泊二日の予定で前乗りをする予定だったのですが、直前に都合が変わり日帰りにすることになり、この時点で常楽院に行くことはほぼ諦めておりました。
 平成26年4月の羽田の早朝便に乗り込みまして、鹿児島空港から鹿児島市内へ乗り継ぎ、午前中に仕事を終え、また市内中心部に戻ります。ここで佐賀県で琵琶奏者をしている琵沙門三代目幹事長北原香菜子さんに電話をして琵琶にゆかりのある料亭のお勧めを教えてもらい昼食へ行くことにしました。

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 紹介してもらったのは郷土料理屋熊襲亭 (くまそてい)。入り口には薩摩琵琶が飾っておりました。「おぉ、琵琶だ。」と思ったのですが、特に食事中に琵琶演奏があるということはなく、芋焼酎を頂きながら美味しい郷土料理を楽しみました。


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店頭に飾られている薩摩琵琶
後ろはNHK大河ドラマ翔ぶが如く」の写真
若かりし鹿賀丈司がかっこいい。

7 仙巌園
 次に訪れたのが島津家第19代当主であった島津光久が造園した仙巌園へ。門には第17代当主島津義弘の甲冑が飾られております。従来の説の薩摩琵琶の祖である島津忠良は、島津義弘の祖父にあたります。仙巌園では特に琵琶に関する資料等に出会うことはなかったのですが、この仙巌園でも往時には薩摩琵琶がたくさん演奏されたのだと想像しながら周りました。

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7 ようやく常楽院へ
 そして、本当はこれで当初に予約していた飛行機の時間が来るのですが、やはり物足りない。薩摩琵琶の本場に来てこのまま帰るのは忍びないということで、万障繰り合わせて飛行機を最終便に変えて常楽院跡へ向かいました。
 なかなかに遠いです。鹿児島中央駅から路線バスで谷山・伊作経由に乗りまして、東本町のバス停で降ります。そこまでおよそ1時間。ここからバス亭そばのタクシー乗り場からタクシーで15分ほどかかります。もっと近いバス亭もあるらしいのですがタクシーがつかまらないので、東本町のバス亭がよいようです。
 途中に案内があり、大合奏形式で琵琶を弾いている様子が見えます。

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看板の記載は以下のとおりです。
「建久7年(1196)島津忠良は宝山検校を伴って薩摩に下ったと伝えられる。検校は天台宗常楽院(京都)の19代住職で島津氏の祈とう僧として本尊妙音天を捧持しこの地に常楽院を建立した。ここは昔、湖であったが検校の祈とうで水が枯れて平地になったと伝えられている。検校をはじめ歴代の住職は各地で島津氏の威徳高揚につとめ琵琶を吟弾して仏法を広めた。このとき弾奏された琵琶が後年薩摩琵琶に発展していったものである。今でも毎年10月12日に県内外から僧侶が集まり妙音十二楽を演奏する。」

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 奥にいよいよ薩摩琵琶の聖地が。
 新しい建物と古い建物があります。奥の建物で毎年10月12日に「妙音十二楽」という琵琶・太鼓・笛・ほら貝等の8種の楽器によって合奏する古典音楽が演奏されるといいます。この写真を見る限り、この合奏形式には楽琵琶の影響も多くあるのではと思います。演奏を聴くと、楽琵琶から盲僧琵琶への変遷の過程のヒントがつかめるかもしれません。これは是非とも演奏会のある日に再度来てみたいですね。

 先に進みますと、像が何体か会った後に、ありました。薩摩琵琶発祥の地を示す石碑が!この石碑に会いに東京から来たのです。

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 奥にいきますと検校・歴代住職らの墓石がありましたので合掌。現代の琵琶まで脈々とバトンを渡してくれた先輩たちに感謝の念を込めました。
 この検校・歴代住職が琵琶の改造に手をつけて頂けなかったら(従来の説と新しい説では、その役割の程度に差があるにせよ)、もっと素朴な形の琵琶のままだったでしょう。また、語りの内容についても宗教色の強いままだったと思われます。
もちろん、それはそれとして古式ゆかしい魅力があるのでしょう。
 しかし!小林正樹監督の映画「切腹」や「怪談」の琵琶を初めて聴いて衝撃を受けた私としては、今の形まで琵琶バトンを繋いでくれていなければ、おそらく琵琶を始めていなかったと思います。そう思うと、大先輩達に自然と頭が下がってきました。

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ちなみに、上の私が写っている写真は全てここまで乗せてくれたタクシーの運転手の方に撮っていただきました。見ている間も、また呼ぶと大変だろうからとずっと待ってくれました。そして何度も「こんなところに来るなんて酔狂な人だねぇ」と言われましたが(笑)。

8 終わりに
 帰りは急いでタクシーに乗ってバス停に戻り、鹿児島空港行きのバスに乗ってぎりぎり最終の東京行きに間に合うことができました。
 この常楽院跡自体は本当に何もないようなところで、かつ鹿児島市中心地からも距離があるので、観光で訪れるのであれば妙音十二楽の演奏が行われる十月に合わせて来ることをお勧めします。私も妙音十二楽を聴いた際にまたレポートを寄せたいと思っております。
 このレポートを読んで、少しでも発祥の地(…かもしれない地)で琵琶を弾いていた先人達に思いを馳せて、自分の琵琶に少しでもプラスになるように何かを掴んでいただけると幸いです。

耳なし芳一の耳まんぢう

https://rocketnews24.com/2016/02/01/702190/

 

耳なし芳一の「耳」のお菓子!

食べたいんだか食べたくないんだか、

でも、実は耳なし芳一の「耳」は縁起がよいんです。

小泉八雲の「怪談」の耳なし芳一は、
意外なことに、物語としてはハッピーエンドなんですね。

耳は千切られたけれど、
琵琶の名手として名が広まり裕福となった、
めでたしめでたし、となります。

このハッピーエンドの構成は、
元となった民話である、
曽呂利物語や、臥遊奇談でも、
その後長生きした、
その後琵琶の評判が高まった
などなど。

つまりは、「耳」は
結果としてはブランディングに、営業ツールに繋がった、
と現代的に解釈できるのかもしれません笑。

なので、
現代を生きるビジネスマンの貴方も、
島根県にきたら耳のお菓子を!

 

モンゴルメタル THE HU

https://youtu.be/v4xZUr0BEfE

The Huというモンゴルのメタルユニット
カッコいい

擦弦楽器馬頭琴と、
打弦楽器のトブショールを弾き、
ホーミーや喉歌を駆使するメタルバンド

 

これを、
やられてしまっかた、という衝撃。

世界各国で、伝統音楽にロックやポップに混ぜ合わせて
エンターテイメント音楽に昇華させる、

という試みは、
どこを始点にするかにも拠りますが、
それこそ100年近く世界中の国がチャレンジしてきました。

 

日本でも、
宮城道雄から上妻宏光和楽器バンドに至るまで、
試行錯誤の系譜があるのです。

それはある意味では国内的に成功したり評価されることもあるのでしょうが、
少なくとも世界的なエンターテイメント音楽の文脈から「成立」したことはなく。

 

テクノ音楽ではYMOがいたり、
西洋クラシックの中の武満徹だったり、
評価される音楽家はいても、

ユッスーンドゥール•ジプシーキングのような
世界的な伝統楽器の演奏家•歌い手•アーティストは出てきてなかった。

まぁ、
これは厳しく言えばアジアからも出ていなく、
それこそ近年では女子十二楽坊ぐらいですかね。
伝統楽器バンド、的なもので世界市場で健闘したのは。

 

という状況の中、
いつ、日本から、世界音楽ができるのか、
もしくは永遠にでることはないのか、
と思いながら日々を過ごしていたら、

 

モンゴルから出てくるとは。
(まだ可能性ですが)

 

これ、何がすごいって、
企画物ではないのです。
馬頭琴でメタルやってみました、
ホーミーで歌ってみました、という代物ではない。
その点で女子十二楽坊とは次元が違う。
次元であれなら、目線でしょうか。

 

上妻宏光さんも、
デビューしたときの衝撃はすごくて、
「游」なんて、ファンクと津軽三味線をお洒落でかっこよく融合させていたんですが、

彼は基本的に「三味線愛」で取り組んでいるので、
三味線を軸足に、
次のアルバムではフラメンコ試してみました、
次は打込みやってみました、
という一回的な取り組みになってしまう。

 

自分の楽器スタートなので、
掛け合わせるジャンルへのこだわりが希薄で。
そうなると、なかなかジャンルにはなりにくい。

 

このThe Huは、
馬頭琴が出発点ではなく、
メタルが根っこにあって、
マインドはメタルミュージシャンなんですよね。
ベースとなる音楽にこだわりを持っている。
それが、自分の声で自分のことを歌うときに、
英語でメタルを歌うではなく、
ホーミーや喉歌を使い、馬頭琴を弾くことに必然性があったんでしょうね。

 

この点、氷室京介
英語のフィーリングを日本語に近づける努力をして、
それが国内的には成功したのですが、
残念ながらBOØWYにとって、
三味線を手に取ったり、
伝統的な歌唱を取り入れることは、
ロックではなかった。

 

彼らは、
モンゴル語のまま、
馬頭琴を手に取ることがメタルだったし、
伝統歌唱がメタルになることに気付いた。

 

これは、時代もあるんでしょうし、
日本にとって西洋音楽が近かったこともあるのか、
はたまた彼らが突然変異で、
世界音楽を作ろうという気概があるバンドが突如出てきたのか

カッコよく、羨ましい

琵琶アルアル早く言いたい その1

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琵琶アルアルのご紹介

琵琶アルアルとは、琵琶を弾いていると遭遇する
琵琶弾きなら、そうそう!と頷いてくれる
アルアルネタです。

これから随時アルアルネタを書いていこうと思います。

琵琶弾きアルアル その1

・琵琶を弾いてますというと、「じゃぁ琵琶法師なの?」と言われる
(僧籍を持っていないので、琵琶法師ではないのです)
・楽器ケースが妙な形なので、たまに見知らぬ人から「これ何の楽器ですか?」と聞かれる。…
・楽器が重い(三味線と違って空洞ではなく木が割合と詰まってます)ので、軽い楽器の人に憧れる。
・ギタリストがライブでピックを投げるシーンに憧れるけど、撥は危ないし高いのでやめておく。
・話の途中で相手が三味線を前提に話していることに気付き、「それは三味線で、琵琶というのは…」と訂正を入れる。
・猫好きな人、犬好きな人に、「それは三味線で、琵琶は桑の木ですから大丈夫です。」と訂正して安心をさせる。
・なぜか「琵琶を弾いているなんて、偉いわねぇ」と言われる。(エレキギターやピアノを弾いている人と比べて偉いわけではないと思うのですが…)
・耳はまだ取られてないんだね、と言われる。
(耳とられた琵琶奏者は、多分あの人一人だけです

活動履歴

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双山 敦郎
そうやま あつろう

早稲田大学において
全国唯一となる琵琶サークル「琵沙門」を創設初代幹事長となる。
同サークルからは多数の琵琶奏者を輩出。
テクノミュージックとのセッションや
演劇・ファッションショーのバックトラック制作
アニメのサウンドトラックに参加するなど幅広い音楽活動を展開中。

立奏のための「ソーヤマ式琵琶ストラップ」を開発
多数の琵琶奏者に提供する。

日本ケニア有効協会主催
ノーベル平和賞受賞 ワンガリ=マータイ女史
来日レセプションにて琵琶演奏

エクアドル大使館主催
エクアドルの現代舞踏家 ウィルソン=ピコ氏との共演

テレビ東京系列
アニメ「陰陽大戦記」のサウンドトラック参加

ムーブマン主催
「群読・平家物語」にて耳なし芳一役・琵琶演奏

第55回 全国琵琶楽コンクール 秀位入賞