琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

『湖水乗切』の曲解説 明智左馬之助秀満の湖水渡り伝説について

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ラジオ収録

 

琵琶楽コンクールに準優勝となったので、

NHK・FMラジオの収録と相成りました。

『邦楽のひととき』

11月24日(水)午前11時20分

再放送11月25日(木)午前5時20分~

スマートフォンアプリ・「らじるらじる」で1週間聴けますので、

おそらくそちらが一番聴きやすいかもしれません。

 

ここから曲解説となります。

『湖水乗切』は、明智光秀の家臣である明智左馬之助秀満が

四方を敵方に囲まれた中で、琵琶湖を愛馬と共に泳ぎ渡ったという

「湖水渡り伝説」を題材にしています。

 

左馬之助が琵琶湖を渡るに至るまでは、

明智光秀織田信長との因縁やら野望やら黒幕やら

色々な説がうごめいておりまして、日本史ファンには垂涎ものの話です。

 

まずは是非とも「本能寺の変」がどうして起こったのか。

なぜ明智光秀が主君である織田信長を討ったのか、これを調べてみると面白いです。

本能寺の変の筋書きを、「どの説」を採るかで物語も大きく印象が変わってくるのです。

ちなみに、私は光秀の「野望説」

 

「信長は天下を取りたかった、秀吉も天下を取りたかった、

そして明智光秀も天下を取りたかった」

この光秀像をベースにしたいと思っています。

 

1・「本能寺の変」の各説解説

biwa-souyama.hateblo.jp

 

 

続いてが明智左馬之助秀満がどのような人物か、

一説によると光秀の従兄弟であり、一説によると光秀の娘婿

はたまたは明智姓を授かった家臣か、

これも曲を考えるうえで面白いと思います。

私は、明智姓を賜った家臣説、をベースにしています。

 

2・明智左馬之助秀満の人物像に迫る!

biwa-souyama.hateblo.jp

 

続いては余白の部分ですね。

曲の中では語られない部分を、何をイメージするか。

本能寺の変』は、ある意味では失敗だったのです、

その失敗を左馬之助がどう考えていたか、

安土城から出て坂本城に向かうときに、頭には何があったか、

これを考えてみるのも面白いと思います。

 

3・光秀の朝倉家客分時代と琵琶歌のイントロ

biwa-souyama.hateblo.jp

 

 

4、そして最近の史書の発見。

文書「山岡景以舎系図」です。

本能寺の変があってから440年も経つというのに新しい発見があり、

新しい見方ができるのが面白いところですね。

 

本能寺の変は皆さまご存じの1582年(十五夜に、信長自害の本能寺)

本能寺の変」で信長と信忠親子を討った光秀と左馬之助は

瀬田橋を通って信長の居城であった安土城に向かいます。

このときに瀬田城の城主山岡景隆と舟戦があったことが、

昨年見つかった文書「山岡景以舎系図」で裏付けられました。

mainichi.jp

 

 

もし瀬田での戦いが元ネタとなれば、

山﨑の合戦のあとに安土城から坂本城に向かうときの逃走ではなく、

本能寺の変のあとに安土城へ天下人として向かう凱旋となります。

ずいぶんと趣が違う作品になります。

 

今までは、左馬之助の「湖水渡り」は

あくまでも講談で作られた創作と思われていましたが、

このときの海戦が下敷きになっているならば、俄かに真実味が出てきます。

 

5 というところで

上の各記事を読んでみてもよいですし、

読まずにここから読んで頂いてもOKです。

 

大まかな歴史は以下です。

 

1582年6月2日「本能寺の変」 光秀が信長・信忠親子を討ち取る

6月5日 安土城の開城 左馬之助が城主となる

6月13日「山崎の戦い」光秀が秀吉軍の堀秀政に討ち取られる

6月14日 左馬之助が山﨑の戦いの敗戦を知り、坂本城へ向かう

 

6月3日

備中(岡山県)で城攻めをしていた羽柴秀吉が「本能寺の変」を知って、毛利氏と講和をまとめて急いで京に戻ります。

中国大返し」ですね。

この中国大返しがあまりにも速いので、小説では「秀吉は本能寺の変を知っていたのでは」「光秀と連携していて裏切ったのでは」なんて推察されたりもしています。(その点は「その1」で詳しく書いています。)

 

急ピッチで戻ってきた秀吉軍と明智軍が戦うのが「山﨑の戦い」6月13日

このときの戦いでは「天下分け目の天王山」や「洞ヶ峠を決め込む」といった成句が生まれました。

 

安土城を守っていた左馬之助が光秀敗走を知り、

軍勢を整えるために坂本城へ向かいます。

それを迎え撃つのが秀吉軍勢の堀秀政

 

堀秀政としては左馬之助が坂本城に向かうのを阻止せねばならない。

坂本城は城主不在のママ陥落させたいのです。

 

左馬之助は何としてでも坂本城に辿り着かねばならない。光秀が落ち延びて坂本城で合流できるかもしれない。坂本城には明智軍勢が残っているので、そこで立て直せば勝負にはなる。

 

決死の覚悟で、手勢僅か300名で向かう左馬之助

対する堀秀正は1万、

瀬田橋を越えるところで包囲された左馬之助が、活路を見出すために琵琶湖を泳ぎ渡った、とされています。

 

もちろんといいますか、

これは後に講談や書籍で脚色されたお話で、

史実には左馬之助の湖水渡りを裏付ける史料はありません。

上述の「山岡景以舎系図」にしても琵琶湖で海戦があったことしかわかりません。

 

しかし、逆にいえば、

この伝説が無かったとはいえないのです!(笑)

琵琶湖を泳ぎ渡った、まではないとしても、

僅かな手勢で獅子奮迅の戦いを見せ、琵琶湖沿いを猛進する左馬之助から、伝説が生まれたのではないでしょうか。

 

6 歌詞解説

はい、というわけで漸く曲解説です。

 

歌詞は以下です。葛生桂雨作詞

---------------------

武士(もののふ)の八十氏川に結渡す

義の柵(しがらみ)は越えかねて 

主と頼める人のため 命も名をも陣頭の 馬蹄(ばてい)の塵と蹴り捨てし

弓矢の道こそ、哀れなれ

 

ここに明智左馬之助、光俊は羽柴の勢に追い立てられ

最後の戦せんものと三百余騎を引具して、大津の方へと打たせ行く

 

命惜しまぬ人々は、我に続けと大音に

味方の勇気励まして、飛電の如く突きかかる

 

一萬余騎の敵軍も、この勢いに堪ええず 算を乱して崩れけり

 

日本一の湖を、明智左馬之助光俊が、乗切る様を見おいてぞ武辺の語りに遺せかし、

いざやと手綱かいぐりて一鞭あつれば忽ちに駒はさながら飛ぶ如く

ざんぶと波に 打ち入ったり

 

さしもに広き湖を真一文字に乗切る様

さすがの敵も茫然と鳴りを静めて見送りけり

----------------------------

 

少しずつ見ていきますと、

まずは「謡い出し」

琵琶では曲の始まりを「謡い出し」といって

合戦の描写の前のエピローグの部分があります。

「武士(もののふ)の八十氏川に結渡す」

 

一行目からよくわかりませんね笑。

八十氏川という川は無いので、それをみてみますと

これは実は下敷きになる句がありまして、

柿本人麻呂

もののふの 八十氏川の 網代あじろきに いさよふ波の ゆくへ知らずも 」

宇治川網代木にしばし滞りいさよう波、この波はいったい何処へ流れて行くので

あろうか。(いく末が分からないのは、わが身も同じだが。)

 

物部(もののふ)は宮中の武官、それが八十の枕詞となり、

沢山の武官という意味から八十氏となり、その氏から繋いで宇治川を連想させる、という

高等テクニックですね。

 

湖水乗切の作詞にあたっては、

当然ながら合戦の舞台となった瀬田橋・瀬田川

これが京都にいくと名前が変わって宇治川となっていきます。

ちなみにこれが大阪にいくと淀川になります。

 

これから瀬田川で繰り広げられる沢山の武士たちを表現する

・武士の八十氏川

この7文字で完結させる。素敵ですね。

 

「義の柵(しがらみ)は越えかねて」

字義では、「忠義の精神から逃れることはできない」というところ。

 

しかし、ここは語るうえでは少し解釈を加えさせて頂きます。

左馬之助と光秀は、

一説によると光秀の娘倫(さと)の婿であるとも、光秀の従弟であるとも、

そして明智の姓を賜った純粋な家臣であるとも言われます。

 

いずれにおいても、左馬之助は光秀が浪人となって諸国を浮浪していた時代から、

朝倉家で客分となっていた時代から共に過ごしてきた存在、

忠義の心はもちろんありますが、そのような強い縁があるのです。

光秀殿は山﨑合戦から無事逃げ延びているかもしれない、いや無事であってほしい、いや絶対無事である、と心に決めながら、

「自らの物語」としても、坂本城に向かっていたと思うのです。

 

続きます。

 

「主と頼める人のため命も名をも陣頭の

馬蹄(ばてい)の塵と蹴り捨てし

弓矢の道こそ、哀れなれ」

 

主人と信頼していた人のために、

命も名声も馬蹄(馬の蹄)の塵と思って蹴り捨てる。

弓矢の道(武士の道)こそ、趣深いものである。

 

ここも、字義では忠誠心が押し出されていますが、

上述の主従を越えた縁の想いと共に、

左馬之助は坂本城に妻子が残る。家臣団もいる。

だからこそ自分は坂本城に辿り着かねばならない。という強い意志を謳いたいと思います。

 

「ここに明智左馬之助、光俊は羽柴の勢に追い立てられ

最後の戦(いくさ)せんものと三百余騎を引具して、大津の方へと打たせ行く」

 

ここは主人公の紹介です。

琵琶は必ずココがありまして、いつどこで誰が何をした、という句があります。

これが他の歌の音楽とは違うところですね。

講談のように、ト書きやナレーションのように客観的な目線の語りがあります。

ちなみに明智左馬之助は史実としては秀満ですが、

光春や光俊として語られることも多いです。

真田幸村が本当は真田信繁であるような感じです。

 

湖水での戦いは羽柴勢の堀秀政軍との戦い

300余騎とありますが、琵琶歌も講談も「盛る」ので笑

おそらくはもっと多かったんではないかと。

 

この「最後の戦」というところも趣深く、

本当なら、坂本城にいったあと、諸国からの参集を募って

もう一戦秀吉と勝負する、ということも考えられたかもしれませんし、

籠城戦があったかもしれません。

が、「最後」だと思っていた。最後だという覚悟で向かったところでしょう。

実際には左馬之助は籠城戦はせずに、逃げられる家臣は逃げさせて

宝物類も引き渡して自害するので、実際にこの戦いが最後となりました。

 

坂本城のある大津へ向かう。

 

ここで琵琶の手(弾き方)も徐々に激しくなっていきます。

3拍子をベースにして、変拍子が入ってきて、

序盤戦を表現しています。

 

「命惜しまぬ人々は、我に続けと大音に

味方の勇気励まして、飛電の如く突きかかる」

 

ここが歌としては一番の大きいところ(ffですね)。

左馬之助が配下を鼓舞するところ。

多勢に無勢ですが、精鋭の左馬之助配下で堀秀政軍のど真ん中を突き進むイメージです。

 

「一萬余騎の敵軍も、この勢いに堪ええず 算を乱して崩れけり」

 

ここは、少し趣を変えて

私は堀秀政の主観で語っています。

堀秀政は後に小牧長久手の戦いの功績で十八万石を得る大名、

対する左馬之助は、生え抜きではありますが光秀の側近にすぎない。

この格の違いから、「天晴れ左馬之助」という心持ちであったのではないか。

 

このあと、琵琶の「くずれ」

ギターソロのような部分ですね。少し長めの琵琶のインストの部分があります。

ここでは、是非とも獅子奮迅の活躍をする左馬之助軍をイメージして頂きたい。

堀秀政軍を、モーゼのように突き進む、

 

しかし、だんだんと包囲網は狭まっていきます。

琵琶湖沿いを走り抜けるルートも狭まってくる。

そんな苦しさも思い描いて頂けたら。

 

「日本一の湖を、明智左馬之助光俊が、乗切る様を見おいてぞ

武辺の語りに遺せかし、

いざやと手綱かいぐりて一鞭あつれば忽ちに駒はさながら飛ぶ如く

ざんぶと波に 打ち入ったり」

 

ここがいよいよと切羽詰まったところです。

湖岸を走るルートが潰され、窮地に立たされる。

しかし、ここで唯一、琵琶湖を泳ぎ渡るルートに活路を見出す。

 

講談などでは、この段階で左馬之助はただ一人となっています。

そうしないと、自分だけ琵琶湖わたったことになるので笑。

 

単騎で湖に入っていく

おそらくは入水だと思ったんではないでしょうか。

または、天晴れ左馬之助と思ったか。

 

那須与一が矢を射るときに平家側が攻撃しなかったように

左馬之助が湖水を渡ることができなのも、そんな合戦の美学があったからなのではないか、と想像します。

「武辺の語りに遺せかし」

後々の戦の語り草にしてくれ、という左馬之助のセリフへのアンサーかもしれません。

 

「ざんぶと」

ここで琵琶は、撥を弦に押し当てて

スリ上げる音が入ります。琵琶はこうやって撥を腹に叩いたり、弦をこすったりと

物語の効果音として使うこともあります。

 

ここから、琵琶の手は

シャララーンとゆったりとしたリズムを刻みます。

これは左馬之助と愛馬である大鹿毛(おおかげ)が悠然と泳いでいる姿を表現しています。

 

「さしもに広き湖を真一文字に乗切る様

さすがの敵も茫然と鳴りを静めて見送りけり」

 

ここも、茫然としつつも、武士(もののふ)の美学として静観する様が見られますね。

左馬之助が主人公の伝説ではありますが、堀秀政のカッコよさもあると思うのです。

 

おそらくは秀吉からは左馬之助を討ち取れなかったことを怒られたでしょうが笑、

それでも、この伝説を目の当たりにできたことはよかったのではないか。

 

 

ちなみにこの後は、明智秀満坂本城にたどりつきまして、

光秀の敗死を知ります。その落胆はいかほどか。

 

頼みの綱である細川藤考・筒井順慶からも見限られ、

いよいよ秀吉側に参集する軍勢は日増しに多くなる。

 

ここで左馬之助は籠城戦で味方を損傷することなく、

女性や子ども、家臣は逃げられるものは逃げられるように手配をして、

宝物も目録つけて引き渡して、

自分は家族諸共に自害して(ここは悲しいところですが、時代背景からは致し方がないんでしょう)。

 

武将としても見事だったといわれています。

だからこそ、今の今でもヒーローとして語り継がれているんでしょうか。

 

そんな左馬之助の湖水渡り伝説、是非ともお楽しみください!!

ラヂオ収録 明智左馬之助秀満の湖水渡り

ラヂオ収録

コンクールで幸運にも2位だったので、
NHKで放送されることに。

 

ということで、
来週に収録なのですが、

コンクールが7分のところ、
ラジオ版には9分にする。

 

この2分が難しい。

 

そもそもは琵琶曲は大概が長く
『湖水渡り』もたっぷりやれば20分超でしょうか。
それを7分なのでダイジェストなのです。

 

M-1グランプリと一緒で
劇場のネタを4分にカットする。
カットの仕方がかなり左右するのです。

 

が、この7分で
それこそコンクール用にン百回と弾きこんでるので、
あと2分が難しい。


ワンシーン足すには短く、
「くずれ」(ギターソロのようなもの)を足すには若干長い。

 

悩んで悩んで。

このワンフレーズだけ足すことに。


「一萬余騎の敵軍もこの勢いに堪ええず
算を乱して崩れけり」

 

秀吉軍の急先鋒、堀秀政が一万
対する明智秀満は、手勢僅か300

 

明智左馬之助秀満は、なんとかして琵琶湖を迂回して坂本城に辿り着いて、
山﨑合戦から逃げ延びてる(かもしれない)光秀と合流し、体勢を立て直したい。


対する堀秀政は、左馬之助が坂本城に立て篭もられたら長くなる。
城主不在のまま城を落としたい。

 

そこで、
普通に考えれば堀秀政が優勢
この琵琶歌の群勢は、かなり「盛って」るんですが、
それでも数千と数百の、一桁の差はあっただろう。

 

しかし。
なんでもそうですが、大将の周りには精鋭・手練れが配置される。
左馬之助に近づくにつれて純度が高くなる。
また、多勢の側も急先鋒は死亡率高めなのでさほど優秀な兵は配置されてない。


また、円周が小さくなると同士討ちが怖いので弓鉄砲も使えなくなる。
だからこそ、多勢に無勢でも、最後の討ち取るまでは手こずるわけです。


真田幸村もしかり。

 

左馬之助と、それを守る数騎も、
堀秀政軍の、真ん中を突っ切るイメージですね。
堀軍は備中岡山から戻るので疲労していたのもあった。

 

いよいよ進退が極まって
琵琶湖沿いのルートが消えたので
琵琶湖を泳ぐウルトラCを敢行したのですが。

 

その、まだ数騎いる中で一矢報いているくだり。

これを、堀秀政の視点で語ろうかと。

基本的に湖水は、ナレーション視点か左馬之助視点なのですが、
ここは「天晴れよ左馬之助」という視点で語りたい。

 

というのも、
堀秀政と左馬之助の格ですね。
左馬之助は光秀の側近として朝倉家の客分時代からの生え抜き

 

とはいえ、
堀秀政は、信長秀吉と仕え、
小牧長久手の戦いで活躍して最終的には18万石の大名

 

天晴れ左馬之助という

おそらくは、左馬之助が琵琶湖を渡ることができたのも、
堀秀政のその気持ちがあったからこそ、静観したんではないか。

 

ここは、日本史的にはマイナーキャラの堀秀政の視点で語りたい。

 

とまぁ、
気持ちを作って、また9分を仕上げねば。

キングオブコント 2020

キングオブコント

 

漫才と違って明確なフォーマットがないので
逆にルール無用でコンテストがしにくい、ということがあったのですが、

 

今年から割とメッセージが出たというか、
きちんと小道具と衣装を使った、作家性のあるコント


映画にもなれそうなスペクタルがあって、
どんでん返しがあって、不思議な余韻があって、

 

これになってきたか、と。
なるほど、これだと漫才コントでは味わえない
コントならではの魅力が。

 

そして、これで割りを食ったのがニューヨークとマヂカルラヴリー

 

ニューヨークは、
そのまま漫才コントの形にしてM-1持っていけそうな
「こんなウェディングプランナーは嫌だ」の大喜利

実際ニューヨークは、ネタの中に一本軸を設けつつ
伏線回収したり、途中で展開が変わるみたいなのが苦手で
(恥ずかしいと思ってる節がある)

 

2020のM-1決勝のネタも(小さな犯罪のネタ)
小ネタ20連発、みたいな。

 

2020キングオブコントの披露宴の友人も
基本的に「こんな披露宴の友人は嫌だ」のコントなので、

 

というわけで、
去年から競技が変わってしまった、ということか。

 

まぁ、平場のやりとりで
既にテレビスターなのは見せつけたのとですし。


ニューヨークが、映画のような作家性のあるコントをやりだしたら、
それはそれで違う気もする笑。

 

マヂカルラブリーも、
鏡とか魔法陣とか使って、もう少しコント感だせたらよかったのかな。


三面鏡からみる野田さんが面白い、みたいなカラクリがあってもよかったような。


そのままM-1に持ってけるのが、既に吊革でネタバレしている中では不利な展開に。

しかし、マイムの上手いこと。

 

ほかは、
ファイナルに進んだ3組は文句無し素晴らしかったですが、

 

ニッポンの社長、笑ったなぁ。
去年のケンタウロスも好きなんですが、
彼らは基本的にボケない。
不思議な設定の中で芝居に徹するのが潔い。

 

来年はかが屋とアルピーが決勝に残って欲しい。

アルコアンドピースの得意なメタ

メタの中のメタの中のメタ

みたいなネタで勝負したら、面白かったんではないか。

ゴーストバスターズとエイクロイド家と琵琶

ゴーストバスターズ

 

Netflixで「ボクらを作った映画たち」という
名作映画の裏話の番組があって、

バックトゥザフューチャーやダイハード、
フォレストガンプジュラシックパークなど
時代を変えた名作の裏話がみえて面白いのですが、

 

ゴーストバスターズ、これの見方が変わったというか。
近所の子らも好きなようで昨年のハロウィンにはコスプレしていて
37年前の映画の引力の強さに感嘆するのですが。

 

あの作品
ド・ハリウッドの、
人気脚本家がハリウッド資本で人気俳優キャスティングして、お金かけてCG使って、

 

という映画だと思っていたらそうではなく。
ゴーストバスターズのメンバーの一人である
ダン・エイクロイドの話


エイクロイド家の歴史から辿られる話だった、という。

 

ダン・エイクロイドはメンバーの向かって左の、
メガネかけてない方、鼻が大きな方

モジャモジャじゃない方

世代の方には、ブルースブラザーズの方といえばわかりますでしょうか。

 

彼が幽霊研究の家系で
曾祖父は降霊会を主催して、家には住み込みの霊媒師がいる、という。(住み込みの霊媒師!)


父は幽霊研究家として著書もある、

ダン氏自身も何度も幽霊と遭遇しているそうな。


筋金入りすぎる。

 

そんなダン氏が、自分の体験や家系を踏まえて
自分なりの「解」を見つめるうえで書いた脚本がゴーストバスターズ

 

そんな奥深い話だったとは。

 

イタリア系ユダヤ人のロベルト・ベニーニ監督が
自身のルーツとアイデンティティの「解」として
『ライフイズビューティフル』を主演監督しましたが


あれに近いイメージですかね。

 

日本でいうなら、

高橋貞子(モデルの人)の子孫が『リング』を書いて貞子を演じた、ぐらいの。

 

琵琶も鎮魂はメインテーマですが

明智家の末裔が『湖水渡り』を弾いたり

平家の末裔が『壇ノ浦』を弾くような。

 

自分でいうなら両親が岩手南部藩出身なので、

佐幕派の悲劇、『白虎隊』には思い入れが

 

でもそんなルーツに纏わる深い話だと、
残穢』のような地味でダークな話になりそうなところを(竹内結子が美しい)、

 

光線銃とマシュマロマンの
ホラーコメディ映画に昇華させたのがすごい。
霊が身近だからこそポップな存在であることを知っていたのか、、、。


ハリウッドの俳優や脚本家である自分が霊に対してできることが、
あの回答だったのかもしれない。


凄みを感じる。

とまぁ、
ゴーストバスターズをエイクロイド家の業の話としてみると、
味わい深い。

 

フユゴンコー

お尻から琵琶の音が鳴る(ことわざ)

楽器のことわざ

いくつか思い浮かぶと思います。

 

和楽器ならば

「三味線を弾く」

意味:適当なことを行って相手を惑わすこと、または、人の話に適当に調子を合わせてごまかすこと

なんか失礼なことわざですね笑。

 

箏もいくつかあって
「琴瑟相和す」(きんしつあいわす)
意味:夫婦の仲がむつまじいことのたとえ。

 

瑟とは古代中国の雅楽の楽器で
二十五弦の大きな箏で、日本では根付かなかった楽器

琴や瑟が素晴らしい合奏をしている様からのようです。

 

雅楽のことわざはたくさんあり、
「呂律が回らない」は

雅楽の呂音階や律音階から


「打合せ」なんてほぼ毎日使いますが、雅楽の合奏からの用語

 

そんな中、残念ながら琵琶の諺はないんですよね。

しかし、調べたらお隣韓国には琵琶の諺がある。

 

 

そこで見つけたのがコレf:id:tegeist:20210924150236j:image

韓国ことわざ集

 

「尻から琵琶の音が出る」

「궁둥이에서 비파 소리가 난다」

 

コレ、意味なんだと思います?

 

調べる前は、
瓢箪から駒」のようなありもしないことが起きる、とか
「へそが茶をわかす」のような、
馬鹿馬鹿しさを表す用法だと思ったのですが、

 

意外なことに。

解説: 非常に忙しそうに立ち回ることの喩え

 

マジか。
忙しすぎると尻から琵琶が鳴り出すのか、

管楽器なら千歩譲ってわかる。


弦楽器、無理じゃないですか?(管楽器なら出せるわけではないですが笑)

どうやら、椅子に座って息をつく暇もない、ということの比喩みたいなんですが、

面白いですね。

 

琵琶は中国や朝鮮半島ベトナム

東アジアで親しまれた楽器なので、

そんな東アジア文化圏の国際的な楽器だということがわかります。

 

おそらく中国にも諺があるんでは。

どなたかご存知でしたら。

明智左馬之助の湖水渡り その3

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明智左馬之助

 

日曜日にコンクールなので、
そろそろ頭を切り替えて切り替えて

アフガニスタン史から
日本の戦国時代へ、と。

 

 

曲の初め、
琵琶だと「謡い出し」というのですが、
物語が始まるところ、
何をイメージするか。

 

謡い出しが終わると
安土城から坂本城へ向かう合戦へと
本題になるので、そこは合戦描写なのですが、

謡い出しは、流麗な句と、主君への想いが語られるので、
そこをどんな情景をイメージするかで、割と曲想が変わる。

 

本能寺の変の計画を聞かされたときに、止められなかった後悔、
山﨑合戦で敗走した光秀の無事を祈る気持ち
坂本城に残っている家族、
率いている300名弱の武将をどれだけ坂本城に辿り着けさせられるかの責任、

 

と、諸々、後悔や心配、責任や重圧、
といった重苦しいものがありますが、

 

私としては、
それらは頭にありつつも、
よかった時代の、在りし日の回想をして欲しい。

 

光秀と数人の配下で浪人をしていた時代、
朝倉家で客分として扱われつつも、
僅かな禄でつましく暮らしていた時期

 

あの頃、上を向いていた、
自分も光秀も若く、
主君光秀が、
このまま浪人で終わるはずがない、という確信を持ちながら、
信じて付き従っていたあの頃。

 

戦国の世ながらも、いっときの平和な時期

 

それが走馬灯のように駆け巡っていたのではないか、と。

 

それから足利義昭と出会い、
そこを軸にして信長に近づき、
そこからは怒涛の出世劇ですが、

 

 

朝倉家の時代を
懐かしんでいたのではないか。

 

あんまり後悔と焦燥だけで琵琶湖を渡って欲しくないんですよね。
天下の器と信じた主君が、一時でも確かに天下の器たり得たと
自分は間違っていなかった、と
胸を張って欲しい。

 

 

というわけで、
朝倉家時代に想いを馳せる。

クイーンズ・キャンビット 将棋の棋士でキャスティングしてみた

クイーンズ・キャンビット

 

ネットフリックスのオリジナルドラマ

チェスの天才少女ベス・ハーモンが
男性優位のチェス界で、どんどん勝ち進むドラマです。

 

将棋漫画や将棋映画はたくさんありますが、
チェス映画を初めてみたので色々新鮮で

 

チェスは棋譜を自分でつけるのか、とか
引き分けの申し出や、
投了でクイーンを倒したり、
封じ手のあとにチームで検討会をしたり、
違いが面白い。

 

逆に、
多面指しや詰将棋(詰チェス)は同じようにあるようで、
神童が多面指しで大人を打ち負かすシーンは
将棋漫画でも割と使われるプロットですよね。

 

このドラマを見てると
将棋の棋士でも出てきそうなキャラがたくさんいます。

 

ロシアチームに
モジャモジャ頭の癖の強い元世界チャンピオンがいるのですが、
これは絶対に加藤一二三さんだろうな、とか。

 

革ジャンきて対局中も帽子をとらない
風来坊なキャラ、ベニー・ワッツは
そうね、佐藤天彦九段だろうか、


漫画のキャラでよければ

まさに氷室将介(『月下の棋士』の主人公)ですね。

 

 

当初のライバルで
途中からよきアドバイザーになる
理論派のハリーは、
伊藤匠四段がおすすめです。

 

最強の、生きるレジェンド、ボルコフは
これが難しい。


将棋漫画とかだと最強キャラは基本的に元ネタが羽生善治九段で
サラりとスマートな、涼やかなキャラなんですが、

 

ロシアの世界チャンピオンのボルコフは
ダブルのスーツをかっちり着て
無表情、いかにも重厚なキャラ、

 

棋士だと、
敢えていえば森内俊之九段でしょうか。

 

メキシコ戦で出てきた
天才少年は、若き頃の藤井聡太二冠がハマるかと、
シーズン2では主人公と激闘を繰り広げたり、

そんな展開に期待したいです。

 

 

それで主人公、
ヒロインの天才棋士
ベス・ハーモンが難しい。


チェスの世界だと女性も上位で活躍していて
ユディット・ポルガーというハンガリーのプレーヤーが
世界ランク8位になった。


将棋ではA級棋士ですね。

 

日本の将棋界だと、女性棋士がタイトル戦を争うのは
まだまだ道のりがありますね。


それでも
今なら中七海三段に期待ですね。

女性棋士がタイトル戦に絡むと、更に将棋界が面白くなると思います。

 

ドラマを見ていて思ったのですが

チェスの立体的な駒が魅力的ですよね。


将棋も、世界的な普及を考えて
漢字を使わず、立体的でカラフルな駒を使うのは
どうなんだろう(既に試みているかもですが)。

 

というところで、

クイーンズ・キャンビット

将棋好きにもおすすめなドラマです。
「見る将」向けですね笑。