琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

クリスタル撥

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クリスタル撥

 

和楽器を扱う武蔵野楽器さんが琵琶のクリスタル撥を開発したというので試奏しにいきました。

 

サークル時代にも鶴田錦史先生が開発したプラ撥を使ったことあったのですが、
重かったり引っかかったりして、弾きにくく、

あまり期待せずに弾いたところ。

 

いや、弾きやすい。

もちろん柘植撥とは違うのですが、
音の粒がクリアですし、程よい重量感で音量も大きく。
すごい進化だ。

 

早速注文してしまいました。

 

このクリスタル、色んな文脈があります。

 

第一には、もちろん見た目。
楽器も撥も、人間は透明にしたくなるもので、
ピアノもギターもドラムもバイオリンも三味線も三味線撥も。

およそ思いつく楽器は、
とりあえず透明になるのです笑。

 

そういった見栄えの印象を変えるという点の文脈。

 

第二に、新素材である点。
薩摩琵琶の撥は柘植や柊などの木材ですが。

木材以外の素材である点。
これは透明ですが、
マッドな木目の色合いにしてもよいです。
ギターのピックは、およそプラや金属から木や石、コインもありますが、
そういう新素材の可能性の点。

 

第三に、安価であるという点。
柊撥が6万円、柘植撥は、、、○十万円
初心者が始める上でもクリスタル撥は柊の半額で試しやすい。

 

第四に、象牙レス

筑前だと象牙撥がありますが、
象牙色で染めれば象牙撥の代替品という試みも可能かと。

 

最後には、鶴田先生の遺志ですね。
さきほど鶴田錦史先生がプラ撥を開発していた、とサラリと書きましたが、
それは30年前の話、
金型をン百万円で発注して作製したというのですから、時代から考えても飛び抜けた話なのです。

 

琵琶で新しいことやろうとすると
鶴田先生が大体やってる、という『鶴田先生の壁』にぶち当たるのです。

 

ストラップもエレキも新素材撥も
映画音楽もオーケストラもバンドも、

思いつくところは鶴田先生が実行しているか思いついている。

 

とはいえ、鶴田先生と比べても仕方ないので、
現代人としてやれることをやりたいと思います。

脱象牙

www.chunichi.co.jp

 

象牙

 

竹由来の箏爪か『Sera Creations』さんから開発されたという嬉しいニュース

筝曲家の明日佳さんからも「音の伸びがよい」と評価されているとのこと。

 

割と大事なのが、記事の中の

「海外公演で象牙を使うと説明するとショックを受ける方もいる」というところ。

ずいぶんとオブラートに包んだ言い方になっていますが、

本当は「ドン引き」に近いのです。

これ日本にいると感覚を掴みにくい。

 

中国が国内取引を禁止したので、

日本は商取引が合法である「非常に稀な国」になっています。

今でもハンコ屋さんにいっても普通に象牙のハンコを売ってますし、

邦楽器店でも象牙撥は買えますから海外との感覚がズレているのですが、

多くの方は「引く」んですよね。

 

ジョッキーの前に馬肉が出された、とか

唐揚げ食べたら、実は日本トキでした、

に近い。

 

せめて

「かつては象牙を使ってましたが、今は、、、」と

説明できるように。

NHK FM 「邦楽のひととき」 湖水乗切

NHKFM『邦楽のひととき』にて

 

11月24日(水)午前11時20分
再放送11月25日(木)午前5時20分~
是非とも!

 

スマートフォンアプリ・「らじるらじる」で1週間聴けます。

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「花吹雪」
弘沢雨水:作詞
松田静水:作曲
(琵琶)荒井靖水

 

「湖水乗切」
葛生桂雨:作詞
鶴田錦史:作曲
(琵琶)双山敦郎

 

「壇ノ浦」
青山旭子:編曲
(琵琶)尾方蝶嘉

 

NHKFM『邦楽のひととき』にて

11月24日(水)午前11時20分
再放送11月25日(木)午前5時20分~
是非とも!

スマートフォンアプリ・「らじるらじる」で1週間聴けます。

「花吹雪」
弘沢雨水:作詞
松田静水:作曲
(琵琶)荒井靖水

「湖水乗切」
葛生桂雨:作詞
鶴田錦史:作曲
(琵琶)双山敦郎

「壇ノ浦」
青山旭子:編曲
(琵琶)尾方蝶嘉

古典の難しいところは、
その時代背景や歌詞がわかりにくいところ。
逆に、そこを知るとグッと面白くなりますので、
是非とも歌詞を先に知ってもらえましたら。

---------------------

武士(もののふ)の八十氏川に結渡す
義の柵(しがらみ)は越えかねて 
主と頼める人のため 命も名をも陣頭の 馬蹄(ばてい)の塵と蹴り捨てし
弓矢の道こそ、哀れなれ

ここに明智左馬之助、光俊は羽柴の勢に追い立てられ
最後の戦せんものと三百余騎を引具して、大津の方へと打たせ行く

命惜しまぬ人々は、我に続けと大音に
味方の勇気励まして、飛電の如く突きかかる

一萬余騎の敵軍も、この勢いに堪ええず 算を乱して崩れけり
日本一の湖を、明智左馬之助光俊が、乗切る様を見おいてぞ武辺の語りに遺せかし、

いざやと手綱かいぐりて一鞭あつれば忽ちに駒はさながら飛ぶ如く
ざんぶと波に 打ち入ったり

さしもに広き湖を真一文字に乗切る様
さすがの敵も茫然と鳴りを静めて見送りけり

----------------------------
少しずつ見ていきますと、

まずは「謡い出し」
琵琶では曲の始まりを「謡い出し」といって
合戦の描写の前のエピローグの部分があります。

「武士(もののふ)の八十氏川(やそうじがわ)に結渡す」

一行目からよくわかりませんね笑。
「八十氏川」ってどこの川?
と調べるとどこにもありません。

これは実は下敷きになる句がありまして、
百人一首でもお馴染みの柿本人麻呂さん

柿本人麻呂
もののふの 八十氏川の 網代木(あじろき)に いさよふ波の ゆくへ知らずも 」

宇治川網代木にしばし滞りいさよう波、この波はいったい何処へ流れて行くのであろうか。(いく末が分からないのは、わが身も同じだが。)

物部(もののふ)は宮中の武官、それが八十の枕詞となり、沢山の武官という意味から八十氏となり、その氏から繋いで宇治川を連想させる、と
いう
まさに日本語の高等テクニックです笑。

湖水乗切の合戦の舞台となったのは
琵琶湖、そこにかかるのが瀬田橋であり、
琵琶湖から大阪湾に流れるのが瀬田川
これが京都にいくと名前が変わって宇治川となっていきます。
ちなみにこれが大阪にいくと淀川になります。
(関東人は、この三つの川が同じ川だと知りませんでした笑)

これから瀬田川で繰り広げられる沢山の武士たちを表現するために、

・武士(もののふ)の八十氏川

この7文字でスタートさせたわけです。
オシャレです。

後段
「義の柵(しがらみ)は越えかねて」
字義では、「忠義の精神から逃れることはできない」というところ。

しかし、ここは語るうえでは少し解釈を加えさせて頂きます。
左馬之助と光秀は、
一説によると光秀の娘倫(さと)の婿であるとも、光秀の従弟であるとも、
そして明智の姓を賜った純粋な家臣であるとも言われます。

いずれにおいても、左馬之助は光秀が浪人となって諸国を浮浪していた時代から、朝倉家で客分となっていた時代から共に過ごしてきた存在、
忠義の心はもちろんありますが、そのような強い縁があるのです。

光秀殿は山﨑合戦から無事逃げ延びているかもしれない、いや無事であってほしい、
いや絶対無事である、と心に決めながら、

「自らの物語」としても、坂本城に向かっていたと思います。

二行目
「主と頼める人のため命も名をも陣頭の
馬蹄(ばてい)の塵と蹴り捨てし
弓矢の道こそ、哀れなれ」

主人と信頼していた人のために、
命も名声も馬蹄(馬の蹄)の塵と思って蹴り捨てる。
弓矢の道(武士の道)こそ、趣深いものである。

ここも、字義では忠誠心が押し出されていますが、
上述の主従を越えた縁の想いと共に、
左馬之助は坂本城に妻子が残る。家臣団もいる。
だからこそ自分は坂本城に辿り着かねばならない。という強い意志を謳いたいと思います。
ちなみに、「弓矢の道」の表現
武士の魂が刀になったのは江戸時代以降、
戦国時代までは武士のアイデンティティは「弓矢」なのです。
「街道一の弓取り」の今川義元や、「弓流し」の源義経
弓に纏わるエピソードも追っていくと面白いです。

「ここに明智左馬之助、光俊は羽柴の勢に追い立てられ最後の戦(いくさ)せんものと三百余騎を引具して、大津の方へと打たせ行く」

ここは主人公の紹介です。
琵琶は必ずココがありまして、いつどこで誰が何をした、という句があります。

これが「語り」と「歌」の音楽の違うところですね。

琵琶語りは講談のように、ト書きやナレーションのように客観的な目線の語りがあります。

ちなみに明智左馬之助は史実としては「秀満」ですが、「光春」や「光俊」として語られることも多いです。

真田幸村が本当は真田信繁であるような感じですね。

湖水での戦いは羽柴勢の堀秀政軍との戦い
300余騎とありますが、琵琶歌も講談も「盛る」ので笑
おそらくはもっと多かったんではないかと思います。

この「最後の戦」というところも趣深く、
本当なら、坂本城にいったあと、諸国からの参集を募って
もう一戦秀吉と勝負する、ということも考えられたかもしれませんし、
籠城戦がありえたかもしれません。

しかし、「最後」だと思っていた。
最後だという覚悟で向かったところでしょう。

実際には左馬之助は籠城戦はせずに、逃げられる家臣は逃げさせて
宝物類も引き渡して自害するので、実際にこの戦いが最後となりました。

坂本城のある大津へ向かう。

ここで琵琶の手(弾き方)も徐々に激しくなっていきます。
3拍子をベースにして、変拍子が入ってきて、
序盤戦を表現しています。

「命惜しまぬ人々は、我に続けと大音に
味方の勇気励まして、飛電の如く突きかかる」

ここが歌としては一番の大きいところ(ffですね)。
左馬之助が配下を鼓舞するところ。
多勢に無勢ですが、精鋭の左馬之助配下で堀秀政軍のど真ん中を突き進むイメージです。

「一萬余騎の敵軍も、この勢いに堪ええず 算を乱して崩れけり」

ここは、少し趣を変えて
私は堀秀政の主観で語っています。
堀秀政は後に小牧長久手の戦いの功績で十八万石を得る大名、
対する左馬之助は、生え抜きではありますが光秀の側近にすぎない。

この格の違いから、「天晴れ左馬之助」という心持ちであったのではないか。

このあと、琵琶の「くずれ」
ギターソロのような部分ですね。少し長めの琵琶のインストの部分があります。
ここでは、是非とも獅子奮迅の活躍をする左馬之助軍をイメージして頂きたい。

堀秀政軍を駆け割って突き進む、

しかし、だんだんと包囲網は狭まっていきます。
琵琶湖沿いを走り抜けるルートも狭まってくる。
そんな苦しさも思い描いて頂けたら。

「日本一の湖を、明智左馬之助光俊が、乗切る様を見おいてぞ
武辺の語りに遺せかし、
いざやと手綱かいぐりて一鞭あつれば忽ちに駒はさながら飛ぶ如く
ざんぶと波に打ち入ったり」

ここがいよいよと切羽詰まったところです。
湖岸を走るルートが潰され、窮地に立たされる。
しかし、ここで唯一、琵琶湖を泳ぎ渡るルートに活路を見出す。

講談などでは、この段階で左馬之助はただ一人となっています。
そうしないと、自分だけ琵琶湖わたったことになるので笑。

単騎で湖に入っていく
おそらくは入水だと思ったんではないでしょうか。
または、天晴れ左馬之助と思ったか。

那須与一が矢を射るときに平家側が攻撃しなかったように
左馬之助が湖水を渡ることができなのも、そんな合戦の美学があったからなのではな
いか、と想像します。

「武辺の語りに遺せかし」
後々の戦の語り草にしてくれ、という左馬之助の台詞

「ざんぶと」
ここで琵琶は、撥を弦に押し当てて

スリ上げる音が入ります。琵琶はこうやって撥を腹に叩いたり、弦をこすったりと

物語の効果音として使うこともあります。

ここから、琵琶の手は
シャララーンとゆったりとしたリズムを刻みます。

これは左馬之助と愛馬である大鹿毛(おおかげ)が悠然と泳いでいる姿を表現しています。

「さしもに広き湖を真一文字に乗切る様
さすがの敵も茫然と鳴りを静めて見送りけり」

ここも、茫然としつつも、武士(もののふ)の美学として静観する様が見られますね。

左馬之助が主人公の伝説ではありますが、堀秀政のカッコよさもあると思うのです。

おそらくは秀吉からは左馬之助を討ち取れなかったことを怒られたでしょうが笑、

それでも、この伝説を目の当たりにできたことはよかったのではないか。

ちなみにこの後は、明智秀満坂本城にたどりつきまして、光秀の敗死を知ります。その落胆はいかほどか。

頼みの綱である細川藤考・筒井順慶からも見限られ、いよいよ秀吉側に参集する軍勢は日増しに多くなる。

ここで左馬之助は籠城戦で味方を損傷することなく、女性や子ども、家臣は逃げられるものは逃げられるように手配をして、宝物も目録つけて引き渡して、自分は家族諸共に自害して(ここは悲しいところですが、時代背景からは致し方がな
いんでしょう)。

武将としても見事だったといわれています。
だからこそ、今の今でもヒーローとして語り継がれているんでしょうか。

そんな左馬之助の湖水渡り伝説、是非ともお楽しみください!!

無声映画と琵琶

活弁士と琵琶

 

岡田斗司夫さんが鬼滅の刃の考察していて、
無声映画からトーキー(音付きの映画)に移り変わる時代背景を話しているのですが、

その頃の映画館と琵琶奏者の話。

 

無声映画
チャップリンやバスターキートンを見たことがあるかな、とか
映像の世紀』で歴史物語として見るぐらいですが、

滑稽なドタバタ演技にラグタイムのピアノが鳴ってるアレですね。

セリフが字幕でながれる。

 

アメリカだと映画館で生のオーケストラ演奏がついたりもしていたのですが、
日本だと活弁士がパンパンとハリ扇で台座を叩いて、
ナレーションをしていた。

 

それで、実は活弁士と同じように
琵琶奏者も映画館でナレーション兼BGMをしていた、らしい。

 

鶴田錦史先生も伝記で
琵琶ブームが少し落ち着いた頃に
長野の映画館をハシゴするようすが描かれています。

 

琵琶だと箏や三味線と違って
いつどこで誰がどうした、というト書きを語れるので、
まぁ無声映画を彩るにはちょうどよかったんですよね。


そんな役割があり、
演奏収入が落ち着いた頃には貴重な定期収入となっていた。

 

ところが、
まぁ、ご存知のとおりトーキー、音声付きの映画が普及すると、
活弁士が軒並み廃業することになります。

 

これ映画『アーティスト』でその辺りの時代がよくわかる。
無声映画だと、訛りがあったり、声が良くない俳優も人気になれたのですが、
トーキーが始まると人気が聚落していくんですね。

 

映画のモデルは、おそらくジョン・ギルバートという俳優
口髭の似合うダンディな紳士で
甘い低音ボイスで囁きそうな見た目なんですが、
イメージに合わない甲高い声だったそうで。

 

日本でもバンツマこと阪東妻三郎
古畑任三郎田村正和のお父さんも
トーキー移行期は苦労して、喉を潰して低い声にしたそうな。

 

琵琶奏者もトーキー普及とともに
映画館のBGMの仕事は終わる。
長唄なんかだと歌舞伎小屋の居付きの奏者ができますし、
洋楽ならフィルの一員という固定収入がありますが、

映画館専属が無くなるのは割と手痛いところ。

 

トーキー普及とラジオから流れるジャズやポップス、
そして戦争の始まりで、だんだんと琵琶ブームが終わっていく。

 

まぁ、一つの時代の終焉ですね。

そんなときに、次の時代にキャッチアップするか、何もしないか。


映画『アーティスト』の主人公は
「トーキーなんて子ども騙しさ、無声映画こそがアートなんだよ」と
自分でメガホンをとって大コケします。

 

他方、阪東妻三郎
声の演技に取り組んで、一時の低迷はあっても復活する。

 

「トーキーなんて子ども騙しさ」と
割といってしまってる古典芸能人を見るのですが。。。

 

新しいプラットフォームしかり、
新しい音楽フォーマットしかり、ですね。

 

ちなみに武満徹と鶴田先生のタッグでの
琵琶の映画BGMは、
ある意味では映画館を彩っていた琵琶の復権ともいえるんでしょうか。

 

そういえば学生映画のときに
切腹』みたいなBGMをやりたいんですよ、とお声がけ頂いて、
琵琶のサントラをしたことを思い出します。

 

ということで、

新しいプラットフォーム、

TikTokもやらねば、なぁ。
(そんなの子ども騙しだよ、と言ってしまいそう笑)

『湖水乗切』の曲解説 明智左馬之助秀満の湖水渡り伝説について

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ラジオ収録

 

琵琶楽コンクールに準優勝となったので、

NHK・FMラジオの収録と相成りました。

『邦楽のひととき』

11月24日(水)午前11時20分

再放送11月25日(木)午前5時20分~

スマートフォンアプリ・「らじるらじる」で1週間聴けますので、

おそらくそちらが一番聴きやすいかもしれません。

 

ここから曲解説となります。

『湖水乗切』は、明智光秀の家臣である明智左馬之助秀満が

四方を敵方に囲まれた中で、琵琶湖を愛馬と共に泳ぎ渡ったという

「湖水渡り伝説」を題材にしています。

 

左馬之助が琵琶湖を渡るに至るまでは、

明智光秀織田信長との因縁やら野望やら黒幕やら

色々な説がうごめいておりまして、日本史ファンには垂涎ものの話です。

 

まずは是非とも「本能寺の変」がどうして起こったのか。

なぜ明智光秀が主君である織田信長を討ったのか、これを調べてみると面白いです。

本能寺の変の筋書きを、「どの説」を採るかで物語も大きく印象が変わってくるのです。

ちなみに、私は光秀の「野望説」

 

「信長は天下を取りたかった、秀吉も天下を取りたかった、

そして明智光秀も天下を取りたかった」

この光秀像をベースにしたいと思っています。

 

1・「本能寺の変」の各説解説

biwa-souyama.hateblo.jp

 

 

続いてが明智左馬之助秀満がどのような人物か、

一説によると光秀の従兄弟であり、一説によると光秀の娘婿

はたまたは明智姓を授かった家臣か、

これも曲を考えるうえで面白いと思います。

私は、明智姓を賜った家臣説、をベースにしています。

 

2・明智左馬之助秀満の人物像に迫る!

biwa-souyama.hateblo.jp

 

続いては余白の部分ですね。

曲の中では語られない部分を、何をイメージするか。

本能寺の変』は、ある意味では失敗だったのです、

その失敗を左馬之助がどう考えていたか、

安土城から出て坂本城に向かうときに、頭には何があったか、

これを考えてみるのも面白いと思います。

 

3・光秀の朝倉家客分時代と琵琶歌のイントロ

biwa-souyama.hateblo.jp

 

 

4、そして最近の史書の発見。

文書「山岡景以舎系図」です。

本能寺の変があってから440年も経つというのに新しい発見があり、

新しい見方ができるのが面白いところですね。

 

本能寺の変は皆さまご存じの1582年(十五夜に、信長自害の本能寺)

本能寺の変」で信長と信忠親子を討った光秀と左馬之助は

瀬田橋を通って信長の居城であった安土城に向かいます。

このときに瀬田城の城主山岡景隆と舟戦があったことが、

昨年見つかった文書「山岡景以舎系図」で裏付けられました。

mainichi.jp

 

 

もし瀬田での戦いが元ネタとなれば、

山﨑の合戦のあとに安土城から坂本城に向かうときの逃走ではなく、

本能寺の変のあとに安土城へ天下人として向かう凱旋となります。

ずいぶんと趣が違う作品になります。

 

今までは、左馬之助の「湖水渡り」は

あくまでも講談で作られた創作と思われていましたが、

このときの海戦が下敷きになっているならば、俄かに真実味が出てきます。

 

5 というところで

上の各記事を読んでみてもよいですし、

読まずにここから読んで頂いてもOKです。

 

大まかな歴史は以下です。

 

1582年6月2日「本能寺の変」 光秀が信長・信忠親子を討ち取る

6月5日 安土城の開城 左馬之助が城主となる

6月13日「山崎の戦い」光秀が秀吉軍の堀秀政に討ち取られる

6月14日 左馬之助が山﨑の戦いの敗戦を知り、坂本城へ向かう

 

6月3日

備中(岡山県)で城攻めをしていた羽柴秀吉が「本能寺の変」を知って、毛利氏と講和をまとめて急いで京に戻ります。

中国大返し」ですね。

この中国大返しがあまりにも速いので、小説では「秀吉は本能寺の変を知っていたのでは」「光秀と連携していて裏切ったのでは」なんて推察されたりもしています。(その点は「その1」で詳しく書いています。)

 

急ピッチで戻ってきた秀吉軍と明智軍が戦うのが「山﨑の戦い」6月13日

このときの戦いでは「天下分け目の天王山」や「洞ヶ峠を決め込む」といった成句が生まれました。

 

安土城を守っていた左馬之助が光秀敗走を知り、

軍勢を整えるために坂本城へ向かいます。

それを迎え撃つのが秀吉軍勢の堀秀政

 

堀秀政としては左馬之助が坂本城に向かうのを阻止せねばならない。

坂本城は城主不在のママ陥落させたいのです。

 

左馬之助は何としてでも坂本城に辿り着かねばならない。光秀が落ち延びて坂本城で合流できるかもしれない。坂本城には明智軍勢が残っているので、そこで立て直せば勝負にはなる。

 

決死の覚悟で、手勢僅か300名で向かう左馬之助

対する堀秀正は1万、

瀬田橋を越えるところで包囲された左馬之助が、活路を見出すために琵琶湖を泳ぎ渡った、とされています。

 

もちろんといいますか、

これは後に講談や書籍で脚色されたお話で、

史実には左馬之助の湖水渡りを裏付ける史料はありません。

上述の「山岡景以舎系図」にしても琵琶湖で海戦があったことしかわかりません。

 

しかし、逆にいえば、

この伝説が無かったとはいえないのです!(笑)

琵琶湖を泳ぎ渡った、まではないとしても、

僅かな手勢で獅子奮迅の戦いを見せ、琵琶湖沿いを猛進する左馬之助から、伝説が生まれたのではないでしょうか。

 

6 歌詞解説

はい、というわけで漸く曲解説です。

 

歌詞は以下です。葛生桂雨作詞

---------------------

武士(もののふ)の八十氏川に結渡す

義の柵(しがらみ)は越えかねて 

主と頼める人のため 命も名をも陣頭の 馬蹄(ばてい)の塵と蹴り捨てし

弓矢の道こそ、哀れなれ

 

ここに明智左馬之助、光俊は羽柴の勢に追い立てられ

最後の戦せんものと三百余騎を引具して、大津の方へと打たせ行く

 

命惜しまぬ人々は、我に続けと大音に

味方の勇気励まして、飛電の如く突きかかる

 

一萬余騎の敵軍も、この勢いに堪ええず 算を乱して崩れけり

 

日本一の湖を、明智左馬之助光俊が、乗切る様を見おいてぞ武辺の語りに遺せかし、

いざやと手綱かいぐりて一鞭あつれば忽ちに駒はさながら飛ぶ如く

ざんぶと波に 打ち入ったり

 

さしもに広き湖を真一文字に乗切る様

さすがの敵も茫然と鳴りを静めて見送りけり

----------------------------

 

少しずつ見ていきますと、

まずは「謡い出し」

琵琶では曲の始まりを「謡い出し」といって

合戦の描写の前のエピローグの部分があります。

「武士(もののふ)の八十氏川に結渡す」

 

一行目からよくわかりませんね笑。

八十氏川という川は無いので、それをみてみますと

これは実は下敷きになる句がありまして、

柿本人麻呂

もののふの 八十氏川の 網代あじろきに いさよふ波の ゆくへ知らずも 」

宇治川網代木にしばし滞りいさよう波、この波はいったい何処へ流れて行くので

あろうか。(いく末が分からないのは、わが身も同じだが。)

 

物部(もののふ)は宮中の武官、それが八十の枕詞となり、

沢山の武官という意味から八十氏となり、その氏から繋いで宇治川を連想させる、という

高等テクニックですね。

 

湖水乗切の作詞にあたっては、

当然ながら合戦の舞台となった瀬田橋・瀬田川

これが京都にいくと名前が変わって宇治川となっていきます。

ちなみにこれが大阪にいくと淀川になります。

 

これから瀬田川で繰り広げられる沢山の武士たちを表現する

・武士の八十氏川

この7文字で完結させる。素敵ですね。

 

「義の柵(しがらみ)は越えかねて」

字義では、「忠義の精神から逃れることはできない」というところ。

 

しかし、ここは語るうえでは少し解釈を加えさせて頂きます。

左馬之助と光秀は、

一説によると光秀の娘倫(さと)の婿であるとも、光秀の従弟であるとも、

そして明智の姓を賜った純粋な家臣であるとも言われます。

 

いずれにおいても、左馬之助は光秀が浪人となって諸国を浮浪していた時代から、

朝倉家で客分となっていた時代から共に過ごしてきた存在、

忠義の心はもちろんありますが、そのような強い縁があるのです。

光秀殿は山﨑合戦から無事逃げ延びているかもしれない、いや無事であってほしい、いや絶対無事である、と心に決めながら、

「自らの物語」としても、坂本城に向かっていたと思うのです。

 

続きます。

 

「主と頼める人のため命も名をも陣頭の

馬蹄(ばてい)の塵と蹴り捨てし

弓矢の道こそ、哀れなれ」

 

主人と信頼していた人のために、

命も名声も馬蹄(馬の蹄)の塵と思って蹴り捨てる。

弓矢の道(武士の道)こそ、趣深いものである。

 

ここも、字義では忠誠心が押し出されていますが、

上述の主従を越えた縁の想いと共に、

左馬之助は坂本城に妻子が残る。家臣団もいる。

だからこそ自分は坂本城に辿り着かねばならない。という強い意志を謳いたいと思います。

 

「ここに明智左馬之助、光俊は羽柴の勢に追い立てられ

最後の戦(いくさ)せんものと三百余騎を引具して、大津の方へと打たせ行く」

 

ここは主人公の紹介です。

琵琶は必ずココがありまして、いつどこで誰が何をした、という句があります。

これが他の歌の音楽とは違うところですね。

講談のように、ト書きやナレーションのように客観的な目線の語りがあります。

ちなみに明智左馬之助は史実としては秀満ですが、

光春や光俊として語られることも多いです。

真田幸村が本当は真田信繁であるような感じです。

 

湖水での戦いは羽柴勢の堀秀政軍との戦い

300余騎とありますが、琵琶歌も講談も「盛る」ので笑

おそらくはもっと多かったんではないかと。

 

この「最後の戦」というところも趣深く、

本当なら、坂本城にいったあと、諸国からの参集を募って

もう一戦秀吉と勝負する、ということも考えられたかもしれませんし、

籠城戦があったかもしれません。

が、「最後」だと思っていた。最後だという覚悟で向かったところでしょう。

実際には左馬之助は籠城戦はせずに、逃げられる家臣は逃げさせて

宝物類も引き渡して自害するので、実際にこの戦いが最後となりました。

 

坂本城のある大津へ向かう。

 

ここで琵琶の手(弾き方)も徐々に激しくなっていきます。

3拍子をベースにして、変拍子が入ってきて、

序盤戦を表現しています。

 

「命惜しまぬ人々は、我に続けと大音に

味方の勇気励まして、飛電の如く突きかかる」

 

ここが歌としては一番の大きいところ(ffですね)。

左馬之助が配下を鼓舞するところ。

多勢に無勢ですが、精鋭の左馬之助配下で堀秀政軍のど真ん中を突き進むイメージです。

 

「一萬余騎の敵軍も、この勢いに堪ええず 算を乱して崩れけり」

 

ここは、少し趣を変えて

私は堀秀政の主観で語っています。

堀秀政は後に小牧長久手の戦いの功績で十八万石を得る大名、

対する左馬之助は、生え抜きではありますが光秀の側近にすぎない。

この格の違いから、「天晴れ左馬之助」という心持ちであったのではないか。

 

このあと、琵琶の「くずれ」

ギターソロのような部分ですね。少し長めの琵琶のインストの部分があります。

ここでは、是非とも獅子奮迅の活躍をする左馬之助軍をイメージして頂きたい。

堀秀政軍を、モーゼのように突き進む、

 

しかし、だんだんと包囲網は狭まっていきます。

琵琶湖沿いを走り抜けるルートも狭まってくる。

そんな苦しさも思い描いて頂けたら。

 

「日本一の湖を、明智左馬之助光俊が、乗切る様を見おいてぞ

武辺の語りに遺せかし、

いざやと手綱かいぐりて一鞭あつれば忽ちに駒はさながら飛ぶ如く

ざんぶと波に 打ち入ったり」

 

ここがいよいよと切羽詰まったところです。

湖岸を走るルートが潰され、窮地に立たされる。

しかし、ここで唯一、琵琶湖を泳ぎ渡るルートに活路を見出す。

 

講談などでは、この段階で左馬之助はただ一人となっています。

そうしないと、自分だけ琵琶湖わたったことになるので笑。

 

単騎で湖に入っていく

おそらくは入水だと思ったんではないでしょうか。

または、天晴れ左馬之助と思ったか。

 

那須与一が矢を射るときに平家側が攻撃しなかったように

左馬之助が湖水を渡ることができなのも、そんな合戦の美学があったからなのではないか、と想像します。

「武辺の語りに遺せかし」

後々の戦の語り草にしてくれ、という左馬之助のセリフへのアンサーかもしれません。

 

「ざんぶと」

ここで琵琶は、撥を弦に押し当てて

スリ上げる音が入ります。琵琶はこうやって撥を腹に叩いたり、弦をこすったりと

物語の効果音として使うこともあります。

 

ここから、琵琶の手は

シャララーンとゆったりとしたリズムを刻みます。

これは左馬之助と愛馬である大鹿毛(おおかげ)が悠然と泳いでいる姿を表現しています。

 

「さしもに広き湖を真一文字に乗切る様

さすがの敵も茫然と鳴りを静めて見送りけり」

 

ここも、茫然としつつも、武士(もののふ)の美学として静観する様が見られますね。

左馬之助が主人公の伝説ではありますが、堀秀政のカッコよさもあると思うのです。

 

おそらくは秀吉からは左馬之助を討ち取れなかったことを怒られたでしょうが笑、

それでも、この伝説を目の当たりにできたことはよかったのではないか。

 

 

ちなみにこの後は、明智秀満坂本城にたどりつきまして、

光秀の敗死を知ります。その落胆はいかほどか。

 

頼みの綱である細川藤考・筒井順慶からも見限られ、

いよいよ秀吉側に参集する軍勢は日増しに多くなる。

 

ここで左馬之助は籠城戦で味方を損傷することなく、

女性や子ども、家臣は逃げられるものは逃げられるように手配をして、

宝物も目録つけて引き渡して、

自分は家族諸共に自害して(ここは悲しいところですが、時代背景からは致し方がないんでしょう)。

 

武将としても見事だったといわれています。

だからこそ、今の今でもヒーローとして語り継がれているんでしょうか。

 

そんな左馬之助の湖水渡り伝説、是非ともお楽しみください!!

ラヂオ収録 明智左馬之助秀満の湖水渡り

ラヂオ収録

コンクールで幸運にも2位だったので、
NHKで放送されることに。

 

ということで、
来週に収録なのですが、

コンクールが7分のところ、
ラジオ版には9分にする。

 

この2分が難しい。

 

そもそもは琵琶曲は大概が長く
『湖水渡り』もたっぷりやれば20分超でしょうか。
それを7分なのでダイジェストなのです。

 

M-1グランプリと一緒で
劇場のネタを4分にカットする。
カットの仕方がかなり左右するのです。

 

が、この7分で
それこそコンクール用にン百回と弾きこんでるので、
あと2分が難しい。


ワンシーン足すには短く、
「くずれ」(ギターソロのようなもの)を足すには若干長い。

 

悩んで悩んで。

このワンフレーズだけ足すことに。


「一萬余騎の敵軍もこの勢いに堪ええず
算を乱して崩れけり」

 

秀吉軍の急先鋒、堀秀政が一万
対する明智秀満は、手勢僅か300

 

明智左馬之助秀満は、なんとかして琵琶湖を迂回して坂本城に辿り着いて、
山﨑合戦から逃げ延びてる(かもしれない)光秀と合流し、体勢を立て直したい。


対する堀秀政は、左馬之助が坂本城に立て篭もられたら長くなる。
城主不在のまま城を落としたい。

 

そこで、
普通に考えれば堀秀政が優勢
この琵琶歌の群勢は、かなり「盛って」るんですが、
それでも数千と数百の、一桁の差はあっただろう。

 

しかし。
なんでもそうですが、大将の周りには精鋭・手練れが配置される。
左馬之助に近づくにつれて純度が高くなる。
また、多勢の側も急先鋒は死亡率高めなのでさほど優秀な兵は配置されてない。


また、円周が小さくなると同士討ちが怖いので弓鉄砲も使えなくなる。
だからこそ、多勢に無勢でも、最後の討ち取るまでは手こずるわけです。


真田幸村もしかり。

 

左馬之助と、それを守る数騎も、
堀秀政軍の、真ん中を突っ切るイメージですね。
堀軍は備中岡山から戻るので疲労していたのもあった。

 

いよいよ進退が極まって
琵琶湖沿いのルートが消えたので
琵琶湖を泳ぐウルトラCを敢行したのですが。

 

その、まだ数騎いる中で一矢報いているくだり。

これを、堀秀政の視点で語ろうかと。

基本的に湖水は、ナレーション視点か左馬之助視点なのですが、
ここは「天晴れよ左馬之助」という視点で語りたい。

 

というのも、
堀秀政と左馬之助の格ですね。
左馬之助は光秀の側近として朝倉家の客分時代からの生え抜き

 

とはいえ、
堀秀政は、信長秀吉と仕え、
小牧長久手の戦いで活躍して最終的には18万石の大名

 

天晴れ左馬之助という

おそらくは、左馬之助が琵琶湖を渡ることができたのも、
堀秀政のその気持ちがあったからこそ、静観したんではないか。

 

ここは、日本史的にはマイナーキャラの堀秀政の視点で語りたい。

 

とまぁ、
気持ちを作って、また9分を仕上げねば。

キングオブコント 2020

キングオブコント

 

漫才と違って明確なフォーマットがないので
逆にルール無用でコンテストがしにくい、ということがあったのですが、

 

今年から割とメッセージが出たというか、
きちんと小道具と衣装を使った、作家性のあるコント


映画にもなれそうなスペクタルがあって、
どんでん返しがあって、不思議な余韻があって、

 

これになってきたか、と。
なるほど、これだと漫才コントでは味わえない
コントならではの魅力が。

 

そして、これで割りを食ったのがニューヨークとマヂカルラヴリー

 

ニューヨークは、
そのまま漫才コントの形にしてM-1持っていけそうな
「こんなウェディングプランナーは嫌だ」の大喜利

実際ニューヨークは、ネタの中に一本軸を設けつつ
伏線回収したり、途中で展開が変わるみたいなのが苦手で
(恥ずかしいと思ってる節がある)

 

2020のM-1決勝のネタも(小さな犯罪のネタ)
小ネタ20連発、みたいな。

 

2020キングオブコントの披露宴の友人も
基本的に「こんな披露宴の友人は嫌だ」のコントなので、

 

というわけで、
去年から競技が変わってしまった、ということか。

 

まぁ、平場のやりとりで
既にテレビスターなのは見せつけたのとですし。


ニューヨークが、映画のような作家性のあるコントをやりだしたら、
それはそれで違う気もする笑。

 

マヂカルラブリーも、
鏡とか魔法陣とか使って、もう少しコント感だせたらよかったのかな。


三面鏡からみる野田さんが面白い、みたいなカラクリがあってもよかったような。


そのままM-1に持ってけるのが、既に吊革でネタバレしている中では不利な展開に。

しかし、マイムの上手いこと。

 

ほかは、
ファイナルに進んだ3組は文句無し素晴らしかったですが、

 

ニッポンの社長、笑ったなぁ。
去年のケンタウロスも好きなんですが、
彼らは基本的にボケない。
不思議な設定の中で芝居に徹するのが潔い。

 

来年はかが屋とアルピーが決勝に残って欲しい。

アルコアンドピースの得意なメタ

メタの中のメタの中のメタ

みたいなネタで勝負したら、面白かったんではないか。