琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

羽生善治九段 対 藤井聡太王将

羽生善治vs藤井聡太

 

王将戦の第1局

 

中継では凄すぎてよくわからず、
なんとなくヌルんと形勢が悪くなり、ヌルんと負けた印象で。
奨励会の将棋系ユーチューバーの解説きいて
その攻防の凄さがわかったのですが。

 

この夢の対決
とれだけのドリームマッチかを将棋に馴染みのない方に説明するのが難しい。


かつての絶対的王者対、若き天才チャンピオン

32歳差 失冠からの復調


それが通算タイトル100期と王将戦初防衛がかかってるとなると

 

小説や漫画だったら
途端にリアリティを失って、読者がシラけるレベルの出来事なのですよ。

 

これを将棋好きのサークルの先輩と
将棋にあまり馴染みのない人に説明する、他ジャンルのマッチで例えるなら
何になるかを考えたのです。

 

たとえば
野茂英雄vs大谷翔平
とか
グラフ対大坂なおみ
とか
吉田沙保里対マリールス

 

野茂英雄選手はパイオニアではあったけれども
絶対的な王者というと、少しイメージ違いますかね。

 

矢吹ジョー対はじめの一歩
とか
魔法使いサリープリキュア

 

しかし、幕之内一歩君も割と泥くさいファイトなので
涼やかな藤井聡太君とも違うような。

 

ツービート対ウエストランド
毒舌漫才のベテランと若きチャンプ

 

ほかにも

大山康晴全冠vs羽生善治全冠
呉清源vs井山裕太七冠

 

将棋分からない人に将棋で例えだすと意味ないのですが笑
でも大山対羽生の夢の対決を現実世界で見られていると思うと
ものすごいことか。

 

羽生善治九段と中原誠永世名人のタイトル戦も
中原さんが羽生さんほどプライムタイムが長くなく(それでも凄いのですが)
ギリギリ間に合わなかったので、

それを考えても羽生さんの凄みが。

 

自分的なお勧めは

ジョセフ=ジョースター対ジョルノ=ジョバーナ


これ割としっくりくるのでは
AI(スタンド)を駆使した現代将棋と
かつての最強の波紋戦士

 

そんな話をしていたら横で
「羽生さんと藤井君は喩える必要ないのでは」と

 

まぁ、それもそうですね。
羽生善治藤井聡太の凄さは、何かに喩えなくても凄い。

ケルト音楽と定番の話

ツイッターで少し話題になった話で
ケルト音楽の笛奏者の方の呟き

 

曰く、
ある公共施設主催の野外のミニコンサートしていたら
通りかかった年配男性が
「知ってる曲やって」と野次を飛ばされて
知ってる曲って何だろう、とモヤモヤしたという呟き

 

ケルト音楽でいうと一般の方に知られているとなると
埴生の宿か、ダニーボーイか、
サリーガーデンか

いや、もっと美空ひばりや泳げたい焼き君を吹いた方がよいのか、

という内容。

 

 

ツイ主の趣旨とは全く違う受け止め方ですが、

なるほどケルト音楽には一般の方に耳馴染みのある定番があるのだと考える。


もちろん、今の若い方には曲名だけではピンと来ませんでしょうが、
CMなり映画なりカバーなりで
「あ、聞いたことある」の曲

 

琵琶にはコレがないんですよ。
一般の方まで知られてる琵琶のフレーズ、メロディ
筝尺八でいう『春の海」
津軽三味線でいう『じょんがら節』
ハワイ音楽でいう『アロハオエ』的な

「待ってました感」のある曲

 

武満徹『ノヴェンバーステップス』が
現代音楽の世界的な名曲であることは間違いないのですが、

それ聞いて「あ、ノヴェンバーだ」となる人は
相当現代音楽ファンであって笑

 

紐解くと
革新性とキャッチさを共存させた宮城道雄という天才が突出していた
という話でもありますし。

 

鶴田錦史先生も、
エレキ琵琶やオーケストラを使っての自作曲は
その方向性は向いていたと思われますが、
その後、芸術性に深化していったので。
(それは一つの成功ですが)

 

つまりは、

一般の方でも耳馴染みのあるレベルに浸透させるというのは
果てしない道のりですね。

 

これ割と怖いのが
業界の人だけが「定番」と思ってるだけのやつ。

バラエティ番組で「都々逸(どどいつ)」を扱って
その師匠にお笑い芸人が話を聞きにいったときに
「皆さまご存知の三千世界の...」といってて
その場に来た人が全員ポカン

 

高杉晋作が詠んだ(ともいわれる)、幕末好きだと知ってるかもしらん句なのですが。

 

あー、こうなったらアカンのだよな
と肝に銘じる。

M-1 2022に向けて

いよいよ迫ったM-1

 

M-1ウォッチャーとして
予測を

 

今回は、去年のオズワルドだったり、一昨年の見取り図のような、
一番人気という組がなく
誰が優勝しても驚きがある年

 

決勝経験組としては
真空ジェシカロングコートダディさや香ウエストランド

 

この中では、さや香に物語がある。
5年ぶりの決勝
2017年の博多大吉先生のラジオ講評とセットで聴き直すとよいのですが、
ダイアンのサンタクロースのネタの構成を下敷きに
チュートリアル徳井さんのテンションを参考にしていて

大吉さんから「先輩の影響が透けてる段階だと評価できない」と厳しくいわれ

 

そこからの苦節五年

 

マヂラブも錦鯉も、最近はM-1に繋がるまでのストーリーがプラスに働くので
さや香の優勝にはストーリーがある。

 

ほかだと、ウエストランドロングコートダディか、

 

初決勝だと
キュウやヨネダ2000がファイナルいくのも観たいですが、今年は爪痕かなと。

 

となると、
敗者復活組から
知名度でミキやオズワルド、からし蓮根も有力で、

ザマンザイのからし蓮根も仕上がっていたので
期待できる。

 

願望でよければ
敗者復活のコウテイとキュウとヨネダ2000がファイナルで競って

 

初の女性コンビの優勝、
というのが観てみたい。

3連単これでいこう。

もし藤原泰衡が源義経と共闘して源頼朝と闘っていたら

奥州藤原氏 平泉

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先日、初めて中尊寺を訪れたのですが

いや素晴らしかった。金色堂、あの中に藤原四代が眠っているかと思うと。

あと、泰衡の首を入れた漆器

恐ろしい。

 

源義経を大将にして、と遺言を残した秀衡と
義経を鎌倉に売った泰衡

歴史の面白いところです。

 

歴史にタラレバは禁物ですが、

さりとて考えてみたくなるもの。


有名なところでは、
光秀が本能寺で信長の首をとっていたら、とか
龍馬があの日に近江屋にいなかったら、とか

 

色々ありますが、

「もし藤原泰衡義経と共闘していたら」
というのも一つ。

 

この妄想は割と面白いのです。
戦略の天才である義経が指揮をとっていたら、
鎌倉といい勝負ができていたのでは。

 

これ大河ドラマの『鎌倉殿の十三人』でも取り上げられていて
義経菅田将暉)が衣川館で北条義時小栗旬)に解いている。

そんな場所にいるはずもないのに笑。

 

曰く、
藤原勢は白河関で鎌倉を迎え撃ちながら
主力を海路で由比ヶ浜へ付ける。
見張ってる三浦半島の三浦氏には予め内通しておいて、
由比ヶ浜から上陸して町に火をつけると同時に、
鎌倉の切り通しから攻め込む。

 

それを聞いた北条義時小栗旬)が、
「なるほど、ひとたまりもない」と感心する
というくだり。

 

この有名な妄想への三谷幸喜さんのアンサーがされていて面白い。

 

ただ、実はこれだと駒が足りない、と思うのです。

そもそも三谷幸喜義経案だと、
軍勢を三つに分けるのですが、そもそも鎌倉と奥州では総力に差があるので、さらに厳しくなる。


そもそも奥州藤原氏勢は、泰平の100年でそんなに強くない。
あと、結局は豪族連合なので鎌倉ほどの結束力もない。

 

やはり鎌倉に打って出て勝つのではなく、
鎌倉に、奥州圏の統治を許容してもらう
という落とし所にする。互いに攻めず。停戦ですね。

 

とはいえ、
頼朝にとっては奥州は源頼義以来の「宿意の地」
簡単に諦めるわけにはいかない。

 

とすればどうする。

 

まずは秀衡の死を隠す、武田信玄のように。
権勢を誇った名将秀衡が存命とあれば鎌倉も足が鈍る。
そして義経を総大将ではなく、局所戦のリーダーにする。
彼は戦術家なので前線にいた方が発揮するので。
ここで白河関あたりで局所戦を勝っておく。

 

さらに、やはり朝廷工作
奥州の黄金を注ぎ込んで後白河法皇とつながる。
頼朝討伐の院宣はもらわなくてよい。
奥州討伐の院宣を出させない、という消極的なもので十分。
これで鎌倉の参集も減る。

 

ただ、これでも駒が足りない。
まだ圧倒的な兵力差なので。

 

そこで、やはり内部
鎌倉に味方が欲しい。

 

だれか。
真っ先に思いつくのが有力御家人比企能員
後に北条氏とも対立しているぐらいなので、
力もあるし、権力欲もある。

ただ、頼家の外戚となって北条氏と緊張関係になるので、
頼朝存命中に奥州と繋がるメリットはない。

 

とすれば誰か。
頼朝の権力集中に脅威を感じるもの、
頼朝に、「敢えて奥州を攻めることもない」「放っておきましょう」と進言できるもの、

 

ここは単純に北条時政なのでは、、、

 

 

まとめると。

泰衡は秀衡の死を隠し、
忠衡と仲良くして義経に兵団を与えて戦術のアドバイザーにして、局所戦で勝つ

朝廷工作して鎌倉に院宣を出させず、
時政を通して頼朝に和平を働きかける。

 

そして、頼朝が亡くなったあたりで
次は後鳥羽院と組んで鎌倉を牽制して

 

朝廷、鎌倉、奥州と、
ちょうどよい三すくみの位置で権力を持ち続ける。

 

なんか無理矢理なツッコミ所が随所にありましたね笑。

 

あと、頼朝亡くなったあたりで、
義経はやっぱり奥州には邪魔になってきそうで、
いつのまにか病死しそうな気もしますね笑。

 

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新・信長公記 ドラマの撮影

ドラマの撮影

 

琵琶の演奏指導について書きましたが、

先日、そのドラマの撮影をしてきました。

 

撮影場所である某県の某中学校へ、

玲絃(特注の大型琵琶)と私の古典で使っている琵琶の2面と琵琶立てと、

かなりの大荷物

イメージに合うように、クリスタル撥と、クリスタル糸巻きを装着

 

着くと雰囲気のある学校ですね。

新しくてレンガ張りで。

 

離れた場所で楽器をチューニングしたりフレーズを確認したり、

 

音は事前にスタジオでこもって録音したもので、映像はその音に当てて頂くことに。

「激しくほとばしるように」というオファーに応えられるように、このドラマのために作曲しました。

上杉謙信公の知性と大胆不敵さ、そして義をイメージして、

琵琶の余韻や静寂の部分も盛り込んだので、1分弱の演奏ですが、琵琶の魅力を感じ取ってもらえたら嬉しいところです。

 

撮影現場に入ると、学校内を大勢が行き来して、

俳優さんやカメラ・監督さんはもちろん、

ケータリング、衣装さん、助手さんと、せわしなく動いて、

それでも撮影が始まると全てが静寂となってホールに台詞が響く

いいものですね。

 

待っていると、今回の上杉謙信役の犬飼さんがいらっしゃって、

音を流しながら演奏シーンの確認、

驚いたことに、かなり弾き込んでくれていたこと。

ギター経験があるのでレッスンでも飲み込みがはやかったのですが、

努力家でもありますね。

「バッチりタイミング合ってます」といったら、ニコっと、

まぶしい、笑顔に殺傷力が。

 

私も、手や撥先のアップの撮影のために同じ衣装を着てスタンバイ

 

このオファーを受けたその日から

腕に日焼け止めをしっかり塗って、オードリーヘップバーンがつけてたような手袋をつけて暮らして。

更に、撮影当日は腕毛と指毛をシェーバーで剃って望んだのです。

「犬飼さんのファンに私の腕毛を見せるわけにはいかない」(ロンドン五輪競泳風)

 

そして琵琶演奏シーン

すると、犬飼さんがレッスンのとき以上にカッコいいステージング

バックトゥザフューチャーのマイケルJフォックスを彷彿とさせるキレ

しかも、音と完璧に合わせる。

 

カット、と共に監督が振り返って「これ双山さんの別撮り無しでいけそうです」と

 

ということで、私の指アップ・手アップの別撮りはなくなりました笑。

ホッとしつつ、少し残念でもありつつ、

 

というわけでファンの皆様、あの琵琶演奏シーンは全部犬飼さんですので、

是非ともご堪能ください。

 

これをきっかけに琵琶に興味をもってくれる人が増えればいいなと願いつつ。

 

多柱琵琶について

多孔尺八と多柱琵琶

 

琵琶は、柱(フレット)がありまして、
楽琵琶が四柱
平家琵琶が、初期は四柱、多くは五柱
盲僧琵琶は各人の工夫が多様で、四柱から六柱

薩摩琵琶は、正派と錦心流が四柱

錦琵琶と鶴田流が五柱

現代的な取り組みとして、塩高和之さんの半分の長さの六柱など

 

と様々です。

 

この「柱」をいくつにするか、
これが割と面白いテーマで、昭和初期に全国紙で激論が交わされたり、
お家騒動からの琵琶ブームの終焉などに繋がる。


たかが柱ではないのです。

 

尺八もトラディショナルは五孔、
現代曲に対応する七孔や九孔、オークラウロに対する古典派の奏者の想いは色々あるようで(これも最近は風向きが変わったのでしょうか)。

尺八の多孔と琵琶の多柱は、なんとなく意味合いは近いようなイメージ

 

歴史の話でいうと

17世紀後半に平家琵琶から盲僧琵琶に発展する中で
筑前盲僧など九州北部は六柱になっていき
薩摩盲僧は、逆に二柱がなくなって四柱になっていき、

という大雑把な傾向があるものの、


中島・常楽院に六柱の薩摩盲僧琵琶が保存されていたり、
日向(宮崎県)盲僧の永田法順氏の琵琶は六柱だったりと

各盲僧が自分なりに工夫をしていた模様です。

 

基本的に、三味線が使えなくなったという消極的理由で盲僧琵琶が発展していったので、
まずは三味線並みの広い音域を目指したい、
それの実現のために、多柱か、締め込みか、
という方法論ですね。

 

これが近代琵琶になっていくと、

薩摩琵琶は四柱へ、
筑前盲僧の六柱から筑前琵琶の五柱へ、

と移行します。

 

その薩摩琵琶が、
永田錦心大正14年に五柱の錦琵琶を開発して
水藤錦穣に託す

ここの柱が一つ増えることのバトルがあります。


当時の琵琶新聞や琵琶雑誌をみるとすごいです。

琵琶のお家騒動が全国紙を飾ったのですから

ある意味で華やかな時代ですね。

柱が一つ増えることが、破門や流派の創設に繋がったわけです。

 

その五柱が六柱になるのは、また更に時間が必要で、
「新しいことを全部やる人」の鶴田錦史先生も
六柱は試さなかったようです。

 

私の知る限りでは、塩高和之さんが20年前に六柱を導入していたことでしょうか、
(ちなみに、筑前で六柱にしている方は、一番早い方はどなたでしょう。)

 

塩高さんが三絃と四絃・五絃だけを乗せる
半分の長さの柱を付けることを始め、

割と鶴田流で現代曲を取り組んでいる奏者は
六柱やってますよね。

 

さて、この多柱琵琶、

これが「正しい」といえるか、
正しい、とは難しいですね。「新しい」というか、
若しくは「琵琶の意思に沿う」か、とか、
「弁財天の意思に沿うか」、みたいな笑。

 

 

これが、割と新しいことに取り組んでいる奏者でも
六柱以上にすることに心理的抵抗が大きいような感触です、

その根っこは、おそらくは中国琵琶との差異があります。

 

中国琵琶も日本琵琶と同じくバルバットを起源としたシルクロードを通った絃楽器なのですが、
中国琵琶が半音単位で細かいフレットが増えた楽器であることに比べて、

日本の琵琶は7世紀の楽琵琶からフレットは多く増えていない。


この、「引き算の美学」こそが、日本音楽のアイデンティティである、
という。

 

次はもう少しあとの
18から19世紀の話、
薩摩盲僧が平家琵琶から柱を外したことのアイデンティティ
二柱がなくなって、締め込みで表現することが
楽琵琶や平家琵琶から脱した
「薩摩琵琶」である、という。

 

こういうことを考えるときは歴史を遡るとよいのです。
切り取った一部分の歴史をみるのではなく
千年単位の歴史をみる。


明治以降の極めて短い歴史を「伝統」などと言うことなかれ。

 

まずは、六柱または七柱にしても
半音単位の多フレットとは違って、音域拡大のための多フレットなので、
締め込みの妙味は変わらない。


中国琵琶やベトナムの弾琵琶の多フレットとは方向性の違うものであると考えます。

 

次に、薩摩琵琶のアイデンティティとしての四柱

これは、なかなかメンションが難しいのですが、
締め込みのための二柱を「抜いた」ことと、
音域のために四柱より下に柱を増やすことは矛盾しないと思うんでよね。

この二柱を抜いたことで一柱から二柱(五柱だと三柱)までをダイナミックにポルタメントで弾けるのですが、

かといって、そこからの柱の配置は錦琵琶や鶴田流と同じく

全音と一音半で配置されてるため、

締め込みを重視するといっても比較の中の話です。

また、四柱(ないし五柱)以上の音域は

四弦だと締め込みが強く調整できるのですが、

当時の古典曲において鳴らす必要が無かっただけで、

全部締め込みで音作りをすべきである
という価値観で造られていたとは思えない。

 

また、錦琵琶以降に関しては
器楽的な奏法と音量の拡大という方向に発展することがアイデンティティなので、
「五柱で止める」こと自体に、さほど意味はない。

 

また琵琶全体の話でいえば六柱の薩摩盲僧や筑前盲僧がいる以上、
彼らの創意工夫の延長として現代の奏者が多柱にすることも、
琵琶史の線上の話であろう、かと思います。

 

さらにいえば、
「そのための音楽」という話、
多孔尺八の議論も同じく
「多孔尺八のための音楽を多孔尺八で吹く」

古典を多孔で吹くことに違和感があるように、
多孔のために作曲された曲を五孔で吹くことも、同じように違和感がある、と。

七柱琵琶でないと弾けない曲を七柱琵琶で弾く、
古典はトラディショナルな五柱琵琶で弾く、

「そのための音楽をそのための楽器で弾く」

弁財天が希求していることはソレだろう。

 

とまぁ、また色々と踏まえて、
七柱を試してみたい。

 

 

音域としても、
五柱だと1オクターブと半音が限界なところを
七柱だと1オクターブ半出せる
3本のチューニングだと、高音のAとBが出る
Eのsus4や、Aのパワーコードが弾けるので
選択肢が全然違うのです。

 

とまぁ色々いいましたが、
こういうのって、
「新しいことやってやるぜ」だけの七柱と
歴史を踏まえた地続きの七柱は違うと思うんです。少なくとも自分にとっては。

 

逆にいうと、これをしないと試せないのでフットワークが重いのですが笑。

SOUL’d OUT

シーンの中にいるか

 

SOUL’d OUT
がトレンドに入ってるので、思い出して。

(スタバの新作ドリンクが売り切れだった、というのを

誰かが間違えてツイートしただけでしたが。)

 

「あのアーティストはシーンの中にいない」
という言い方をすることがあって、

ヒップホップが一つのブームになったときは
アイドルグループも、サビのあとにラップ風の歌詞が続いたりして

 

いわく要素だけを借りた、という意味で
シーンにいないとか、シーンから評価されていないとか、

 

これはおそらく全ての音楽ジャンルにあって
肯定的にも、否定的な文脈(こちらの方が多い)でも使われる。

 

そう言う意味で
SOUL’d OUT ほど誤解されたグループはなかったのでは。

 

世の常で、最初に注目されたジャンルで括られがちなのですが、

例えばマイケルジャクソンもオフザウォールまではダンスミュージックとして括られることもあったし、

宇多田ヒカルのデビューの頃も
R&B歌手として紹介されている記事やニュースが多かった。

 

マイケルジャクソンは、その後
スリラーで王道ポップスを
デンジャラスでラップやファンクを入れて、
スクリームではノイズを取り入れてと

オールジャンルのポップスターとして確立した。

 

宇多田ヒカルも、
二曲目のMovin' on without youからR&B歌手じゃないよ、と打ち出して
ポップのシンガーソングライターであるという評価を得た。

 

しかし、SOUL’d OUT
今でこそ、
洋楽ポップスと日本の歌謡曲をミックスした
ジャンルと時代を越えた類稀なミュージシャンという評価が妥当しますが、

当時はラップが上手すぎたり器用すぎたり売れすぎていて

 

当時のヒップホップシーンがこぞって「剥がし」にきたんですよね。

 

思い出すのが、
琵琶サークルの部室でSOUL’d OUTを聴いていたら
「先輩、何ダサいの聴いてんすか」とヒップホップフリークの後輩に言われたもんで。

でも当時の空気感ってまさにそれで。


SOUL’d OUTにとっては荒波立つアーバンナイトだったわけです。

 

でも、
マイケルジャクソンに、「お前はダンスミュージックじゃない」っていう批判が当てはまらないことと同じく
宇多田ヒカルに、「彼女はR&Bのシーンには居ない」という批判が当てはまらないと同じく、

 

SOUL’d OUTがヒップホップに収まるわけがなく、
それは大げさな話ではなく、
黙示録と共に研ぎ澄ます話で、

 

そういう意味では聴く側もシーンも無知だった。
悲運な。

 

それでもR指定みたいなSOUL’d OUTをきっかけに日本語ラップを始めた世代がSOUL’d OUTの再評価の波を作ってくれたのは嬉しい。

 

マイケルジャクソンも、
亡くなってThis is itから再ブームがきたので

今となってはピンときませんが、
デンジャラス以降、ずいぶんと「ダサい」と言われてしまう時期があった。

 

ニルバーナのドラムスのデイブグロールが
ライブでマイケルのステージ衣装っぽいのを着て
ファンにダセーとブーイングさせて盛り上げる、みたいな悪ノリをしたり。

 

汚いジーンズで無造作でそのまま歌うのがカッコいい、という新しい価値観の中で
金フンドシやスリラージャケットなどのステージ衣装で、

非日常を演出するスターだったマイケルは
当時は「古いミュージシャン像」の象徴でもあった。

 

転換期が、
マイケルジャクソンを聴いて育った世代
ジャスティン・ティンバーレイク
マイケルジャクソンのオマージュで再評価の波を作っていく。

 

つまりは、
R指定ジャスティン・ティンバーレイクが重なってくるわけですね。

 

 

まぁ、長々と書きましたが、
カッコいいものはカッコいいし、
必ずしもシーンに評価される必要はない、という話。