琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

M-1グランプリ2021 感想

M-1グランプリ2021

 

いやー、今年もよい大会でした。

敗者復活のアルコアンドピースまでは生で見れたのですが、
そこからは予定が連続したので
全ての情報をシャッタウトして録画。

 

フェイスブックツイッター
LINEも、Yahoo検索もせず
ひたすら外界を遮断して翌日を迎え、


さて見ようかと思ったのですが、薬局に薬取りに行ったらテレビで錦鯉おめでとう、になってしまい。

 

痛恨の結果を知る。

何があったんだ錦鯉って、、、。


さておき。

 

モグライダー
歌ネタが一発目、
2019年のニューヨークのように、
歌ネタの一発目は苦しいのですが、

 

フレーズを短くして、歌い出しても止めてツッコミしたりと
やりとりの手数ができたのに工夫が見えた。


あのリーゼントの芝さん。
両手をダラーンとする漫才師、最近じゃ珍しい。

カッコいい。

 

ランジャタイ
マイムがうまい。
ツッコミが「そもそもお前なにやってんだよ」と言わないのがオツで
きちんと設定の中のネコを突っ込んでるのが面白い。

 

マヂカルラブリーと比較すると
やはり村上さんの説明力と声の良さがわかる。

 

ユニバース
仕上がってたなぁ。
ユニバース優勝あるかと思ってたのだが。
2018年の宿泊ネタで「翼の折れたエンジェル」を30秒歌うとか、
下手だったらこその勢いが魅力でもあったので。
あの鮮烈を越えられたか、というと。

初見のインパクトを超えられるのかというのは永遠のテーマですね。

 

ハライチ
敗者復活はいつも、
天竺鼠なら決勝を掻き回してたんでは、とか
プラスマイナスに立たせたかった、とか思うのですが。


今年はハライチでよかった。
既にテレビスターのハライチでも勝てない、というのが
大会の質をあげてると思う。

 

人間、得意技って基本一個しかなくて
新しいものを見せようとすると、その得意技から外れる。


それがハライチでよくわかりますね。
岩井さんがキレるネタは新味はあったけど勝ち切れるネタではなかったか。

 

そういうと毎回切り口を変えて
その全部が一流だった和牛の凄みを知る。

和牛、今年がラストイヤーでここに居たら

全く違う大会になったんだろうな。

 

真空ジェシカ
奇抜な見た目と、せり上がりのカメラ睨みとかだったのに、
普通にしっかりした漫才でスカされたというか。
二進法の数え方と、お婆ちゃんのヘルプのハンドサインは笑ったなぁ

 

オズワルド
うまい。寿司ピッチングマシンや
マのセキュリティのネタのフォーマットを踏襲しつつ
クオリティを上げた、しゃべくり漫才
いよいよ関東初のしゃべくりのチャンピオンが出るかと思ったら。
アンタッチャブルはコント設定に入る)

逃した魚は大きいか、鯉だけに。

 

ロングコートダディ
「〇〇になりたいから練習してよい?」という
あり過ぎるコント設定かと思ったら、
それをフリにした天界の話でズラしてくれる。
二人とも演技うまいし、肉うどんの畳み掛けは笑った。
しかし、ワゴンRではなかったような。
ここの大喜利は確実に拍手笑い欲しかったところ。
なんでしょ、〇〇のー、と引っ張って、やはり肉うどんで良かったのでは。
ワルシャワの肉うどん、
稚内の肉うどん、

ワニの肉うどん、

 

まぁ、戯れ言ですが笑。

 

錦鯉
この芸風で二年連続出れたのがすごく、
トムブラウンも、メイプルも初見のインパクトに勝てない。
しかし、手を知られた中で勝ち上がってきたことの理由がよくわかる。
畳み掛けもして、この芸風なのに伏線回収していて
きちんと作り込んで勝ちに来てる。

 

錦鯉の優勝には
野田クリスタルさんの存在も大きくて
「どれだけバカになれるかじゃないっすかね」とコメントしたのが、
割と採点基準の軸になっていたように思う。


クレバーなオズワルドが煽りを喰らった格好になったか。

ツッコミが強いオズワルド対

ボケが強い錦鯉、

という構図でも面白い。

来年から寝っ転がらないと勝てないジンクスができたり笑。

 

インディアンス
コント設定に入るまでのやりとりが長い、というのが魅せ方。
ネタが飛んだ一昨年と、敗者復活の去年と

本領発揮が今年ですね。

ひたすら陽キャなので、家族で見られる。

 

もも

ミルクボーイの発明も彷彿させる
行ったりきたりする「〇〇顔」
芸歴浅くて勝ち抜いてくるコンビは
必ず何か武器を持ってますよね。

今年一番発明していたのは、ももかもしれない。

 

ファイナル
圧巻の錦鯉
2ネタ目に強いネタを残すのが優勝するパターンですね。
わかってても難しいのでしょうが。

 

振り返って一番再生してるのは
モグライダー

 

敗者復活入れたら、
ヨネダ2000ですかね。

 

あと痺れたのが
途中で入った、結果発表前の振り返り
番組の最初からのハイライトをBGMとテロップ入れて

これを放映中に編集してテロップ入れて
最後のネタから5分後に流してる、
この振り返りの20秒入れるためにどれだけの技術があるのか。
M-1は漫才師だけが作ってるのではない。

さて、反省会もみよ。

 

今年も最高の大会でした。

映画『ひまわりと子犬の七日間』リトルトゥース必見

『ひまわりと子犬の七日間』

 

8年前の堺雅人主演の、さほどヒットもしなかった邦画なのですが、

ラジオ好きには著名な映画で。

 

オードリー若林君の朴訥な演技と
アカデミー賞でのスピーチの大滑り、
事前にナイナイ岡村さんとスピーチの対策を考えたくだりや、

もっといえば岡村さんの謎スピーチの歴史も含めて

 

全部が最高に面白いのですが、
そういえば映画自体を観てなかったので観る。

 

保健所に勤める堺雅人
娘(十才ぐらい)に子犬の里親探しを手伝ってもらっていて
その娘さんはお父さんは里親探しの仕事をしてる、としかわかっておらず、
友達のお母さんから聞いて父親に反発する

そんな中で母子で保護された犬を
保護期間の七日間で人間への慣らしと里親探しに奔走させる話。

 

犬や猫の殺処分の話で、
最後は、まぁエンタメ映画の中でハッピーエンドにはなるのですが、
割といい映画だった。


若林君の演技は、東京から来たヤル気の無い若者で、
ハマっているとこもありつつ、

 

 

しかし、
里親探しを子どもに手伝ってもらうのは、
さすがに酷というか、
年齢や大人度にもよるんでしょうけど、自分が見つけられないときは死ですから、
それを抱えられる年齢まではやらない方がよいのでは。

この殺処分問題は、「解」はわかっていて
ペットショップの廃止
ブリーダーの免許制度
悪徳の「引き取り」業者の摘発

 

これだけ。やるだけ。


が、いろいろと利権が絡む。
ペットショップ業者が全員廃業するので。

 

しかし、イギリスでもドイツでも
ペットが欲しいときは保健所や保護施設に行って引き取るのが原則なので、

それが当たり前になれば、当たり前になるんでしょうか。

 

とニューヨークシティボーイを聴きながら考える。

竹由来の代替象牙素材 サスティナブル・マテリアル展にいってきました。

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サスティナブルマテリアル展

ブログでも何度か取り上げている象牙レス琵琶

 

邦楽器は象牙と切っても切り離せない関係にあります。

三味線の撥や駒、筝爪・琴柱

琵琶ですと、薩摩琵琶の糸口、一の駒、三日月、覆寿

筑前琵琶の撥でしょうか。

しかし、その象牙はおそらく数年内に取引が禁止になると思われます。

 

象というと動物園には必ずいますし、

絵本の世界でも沢山目にする。

象が絶滅の危機に瀕しているといっても、日本には原生しないため遠い世界の話のような気がしていますが

 

マルミミゾウは近絶滅種(Critically Endangered)

サバンナゾウはその次の絶滅危惧種(Endangered)

 

近絶滅種(Critically Endangered)よりも絶滅危機レベルが高いのは、

野生絶滅 (EW)※だけ、これは佐渡のトキ保護センターのように

動物園や保護センターでのみ保護されており、野生種としては絶滅している状態ですね。

 

なので、野生絶滅の一つ手前の状況です。

これを食い止めねばならない。

 

それが象牙だということです。

象牙の国際取引は、1990年にワシントン条約によって原則禁止となりました。

日本でも、以降は条約締結以前に国内にある象牙の国内取引のみとなりました。

 

しかし、個体数現象は変わらず、むしろ加速する。

2016年8月31日付けでオンライン学術誌「PeerJ」で発表された研究によると、アフリカの18カ国では2007年から2014年までの間にサバンナゾウが30%減少した。

また、2013年3月4日付けで学術誌「PLOS ONE」に掲載された報告によると、マルミミゾウの個体数は10年に満たない間に62%も減少した。

 

国際取引が禁止されても、象牙の密漁は続きます。

ワシントン条約締結前に保管されていた在庫の象牙だ」という名のもとに

取引がされるため、マーケットが存在する以上は密漁の動機が存続されるからです。

そこで、各国は国内取引も禁止にしていきますが、

2017年12月に、象牙の最大のマーケットであった中国が国内取引を禁止にします。

2018年1月から、中国ではワシントン条約締結前の在庫の象牙であっても、

商取引が禁止されることとなりました。

 

そこで、日本は世界に残された

象牙取引が合法である世界最大のマーケットとなってしまいました。

 

我々は、

象の絶滅を回避するうえでも、

国際的な視線に応えるうえでも、

近々国内取引も禁止になることが予想されることからも、

 

象牙に頼らない邦楽器

象牙レス琵琶を探っていこうと考えております。

 

さて、前置きが長くなりましたが、

象牙の代替素材を開発しているSera CreationさんからDMを頂きまして、

琵琶の部品の開発を検討したい、とのことで。

一昨日に幕張メッセのサスティナブル・マテリアル展に伺いました。

 

このような企業展、初めていったのですが、

やたら広い、他にも再生医療だとか、先端科学だとか面白そうな展示もあるのですが、

とりあえず中越パルプの展示の中にあるSera Creationさん

セルロースナノファイバーという竹由来の素材で邦楽器の部品を作っています。

 

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展示

 

筝爪がこちら

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筝爪

開発者の方が筝をお弾きになるとのことで、ご自身の筝爪のようです。


私も展示されている筝に当てて音を出してみたのですが(左右逆に展示されていましたが笑)。
全く違いがわかりませんでした。

このわかりませんというのは、象牙と新素材との弾きやすさに違いがない、という意味ではなく、

筝を弾いたことないので、「何もわからない」という意味です笑。

でも、質感も色も象牙そのままですね。

プラスチックだと汗を吸わずに滑る感じがしますが、それは無いです。

 

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三味線の駒

三味線と二胡の駒はこちら。

 

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琵琶の糸口

琵琶を出して説明。

琵琶の糸口の、この曲がっているブロックが全部象牙です。

三味線の撥や筝の爪と違って、「引っかくもの」ではなく、「乗るもの」です。

そういう意味では琴柱や、ギターのブリッジに近いと思います。

 

もちろん素材が違えば音の伝導率は違うのですが、

手にもって弦を引っかける

撥や爪に求められる精度までは必要ではない、と思います。言い方難しいですが。

 

そういう意味では、撥先に象牙を使用している筑前琵琶の奏者の方が、

精度の高い意見を伝えられると思います。

 

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成型体

琵琶の場合は、これ、この円盤を買って加工することになります。
筝爪や撥は、完成部品を購入することになりますが、

琵琶の糸口は流派でも形や大きさが異なりますし、

同じ流派でも女性用・男性用でも大きく違います。

 

従って、特に開発は必要なく、

この円盤を琵琶店に持参して加工を依頼することになるだろうと思います。

 

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糸口のイメージ

こんな感じですね。

厚みが足りませんが、木で足せば問題ないと思います。

琴柱は、ボディに別部品として乗っかっているなので、素材が割と伝導率を変えてくるのですが、

琵琶の場合にはニカワで接着していますし、琵琶によっては糸口が細かったり薄いものもあるので、

ここの厚みで音が変わるようにも思えないんですよね。

変わるとしても、嫌な変わり方ではないといいますか。

 

むしろ重要なのがサワリ

ノミやヤスリをかけたときの感触、減り具合、

速く減るのは困りますし、削れないほど硬くても困る。

薩摩琵琶の糸口に求められる精度は、むしろココですね。

そういう意味では、筝爪や琴柱とは別の観点の難しさがあると思います。

 

こればかりは試してみないと何ともいえないので、

早速円盤を購入して、試してみようと思います。

 

いずれにせよ、

将来の演奏家・愛好家のためにも、象牙ではない素材を試して発信していければと考えています。

象と琵琶が継続できる理想郷を、

語呂合わせてゾートピア(象と琵琶)と呼んでいるのですが、勝手に笑

 

ゾートピアを目指して。

クリスタル撥

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クリスタル撥

 

和楽器を扱う武蔵野楽器さんが琵琶のクリスタル撥を開発したというので試奏しにいきました。

 

サークル時代にも鶴田錦史先生が開発したプラ撥を使ったことあったのですが、
重かったり引っかかったりして、弾きにくく、

あまり期待せずに弾いたところ。

 

いや、弾きやすい。

もちろん柘植撥とは違うのですが、
音の粒がクリアですし、程よい重量感で音量も大きく。
すごい進化だ。

 

早速注文してしまいました。

 

このクリスタル、色んな文脈があります。

 

第一には、もちろん見た目。
楽器も撥も、人間は透明にしたくなるもので、
ピアノもギターもドラムもバイオリンも三味線も三味線撥も。

およそ思いつく楽器は、
とりあえず透明になるのです笑。

 

そういった見栄えの印象を変えるという点の文脈。

 

第二に、新素材である点。
薩摩琵琶の撥は柘植や柊などの木材ですが。

木材以外の素材である点。
これは透明ですが、
マッドな木目の色合いにしてもよいです。
ギターのピックは、およそプラや金属から木や石、コインもありますが、
そういう新素材の可能性の点。

 

第三に、安価であるという点。
柊撥が6万円、柘植撥は、、、○十万円
初心者が始める上でもクリスタル撥は柊の半額で試しやすい。

 

第四に、象牙レス

筑前だと象牙撥がありますが、
象牙色で染めれば象牙撥の代替品という試みも可能かと。

 

最後には、鶴田先生の遺志ですね。
さきほど鶴田錦史先生がプラ撥を開発していた、とサラリと書きましたが、
それは30年前の話、
金型をン百万円で発注して作製したというのですから、時代から考えても飛び抜けた話なのです。

 

琵琶で新しいことやろうとすると
鶴田先生が大体やってる、という『鶴田先生の壁』にぶち当たるのです。

 

ストラップもエレキも新素材撥も
映画音楽もオーケストラもバンドも、

思いつくところは鶴田先生が実行しているか思いついている。

 

とはいえ、鶴田先生と比べても仕方ないので、
現代人としてやれることをやりたいと思います。

脱象牙

www.chunichi.co.jp

 

象牙

 

竹由来の箏爪か『Sera Creations』さんから開発されたという嬉しいニュース

筝曲家の明日佳さんからも「音の伸びがよい」と評価されているとのこと。

 

割と大事なのが、記事の中の

「海外公演で象牙を使うと説明するとショックを受ける方もいる」というところ。

ずいぶんとオブラートに包んだ言い方になっていますが、

本当は「ドン引き」に近いのです。

これ日本にいると感覚を掴みにくい。

 

中国が国内取引を禁止したので、

日本は商取引が合法である「非常に稀な国」になっています。

今でもハンコ屋さんにいっても普通に象牙のハンコを売ってますし、

邦楽器店でも象牙撥は買えますから海外との感覚がズレているのですが、

多くの方は「引く」んですよね。

 

ジョッキーの前に馬肉が出された、とか

唐揚げ食べたら、実は日本トキでした、

に近い。

 

せめて

「かつては象牙を使ってましたが、今は、、、」と

説明できるように。

NHK FM 「邦楽のひととき」 湖水乗切

NHKFM『邦楽のひととき』にて

 

11月24日(水)午前11時20分
再放送11月25日(木)午前5時20分~
是非とも!

 

スマートフォンアプリ・「らじるらじる」で1週間聴けます。

f:id:tegeist:20211123211808j:image

「花吹雪」
弘沢雨水:作詞
松田静水:作曲
(琵琶)荒井靖水

 

「湖水乗切」
葛生桂雨:作詞
鶴田錦史:作曲
(琵琶)双山敦郎

 

「壇ノ浦」
青山旭子:編曲
(琵琶)尾方蝶嘉

 

NHKFM『邦楽のひととき』にて

11月24日(水)午前11時20分
再放送11月25日(木)午前5時20分~
是非とも!

スマートフォンアプリ・「らじるらじる」で1週間聴けます。

「花吹雪」
弘沢雨水:作詞
松田静水:作曲
(琵琶)荒井靖水

「湖水乗切」
葛生桂雨:作詞
鶴田錦史:作曲
(琵琶)双山敦郎

「壇ノ浦」
青山旭子:編曲
(琵琶)尾方蝶嘉

古典の難しいところは、
その時代背景や歌詞がわかりにくいところ。
逆に、そこを知るとグッと面白くなりますので、
是非とも歌詞を先に知ってもらえましたら。

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武士(もののふ)の八十氏川に結渡す
義の柵(しがらみ)は越えかねて 
主と頼める人のため 命も名をも陣頭の 馬蹄(ばてい)の塵と蹴り捨てし
弓矢の道こそ、哀れなれ

ここに明智左馬之助、光俊は羽柴の勢に追い立てられ
最後の戦せんものと三百余騎を引具して、大津の方へと打たせ行く

命惜しまぬ人々は、我に続けと大音に
味方の勇気励まして、飛電の如く突きかかる

一萬余騎の敵軍も、この勢いに堪ええず 算を乱して崩れけり
日本一の湖を、明智左馬之助光俊が、乗切る様を見おいてぞ武辺の語りに遺せかし、

いざやと手綱かいぐりて一鞭あつれば忽ちに駒はさながら飛ぶ如く
ざんぶと波に 打ち入ったり

さしもに広き湖を真一文字に乗切る様
さすがの敵も茫然と鳴りを静めて見送りけり

----------------------------
少しずつ見ていきますと、

まずは「謡い出し」
琵琶では曲の始まりを「謡い出し」といって
合戦の描写の前のエピローグの部分があります。

「武士(もののふ)の八十氏川(やそうじがわ)に結渡す」

一行目からよくわかりませんね笑。
「八十氏川」ってどこの川?
と調べるとどこにもありません。

これは実は下敷きになる句がありまして、
百人一首でもお馴染みの柿本人麻呂さん

柿本人麻呂
もののふの 八十氏川の 網代木(あじろき)に いさよふ波の ゆくへ知らずも 」

宇治川網代木にしばし滞りいさよう波、この波はいったい何処へ流れて行くのであろうか。(いく末が分からないのは、わが身も同じだが。)

物部(もののふ)は宮中の武官、それが八十の枕詞となり、沢山の武官という意味から八十氏となり、その氏から繋いで宇治川を連想させる、と
いう
まさに日本語の高等テクニックです笑。

湖水乗切の合戦の舞台となったのは
琵琶湖、そこにかかるのが瀬田橋であり、
琵琶湖から大阪湾に流れるのが瀬田川
これが京都にいくと名前が変わって宇治川となっていきます。
ちなみにこれが大阪にいくと淀川になります。
(関東人は、この三つの川が同じ川だと知りませんでした笑)

これから瀬田川で繰り広げられる沢山の武士たちを表現するために、

・武士(もののふ)の八十氏川

この7文字でスタートさせたわけです。
オシャレです。

後段
「義の柵(しがらみ)は越えかねて」
字義では、「忠義の精神から逃れることはできない」というところ。

しかし、ここは語るうえでは少し解釈を加えさせて頂きます。
左馬之助と光秀は、
一説によると光秀の娘倫(さと)の婿であるとも、光秀の従弟であるとも、
そして明智の姓を賜った純粋な家臣であるとも言われます。

いずれにおいても、左馬之助は光秀が浪人となって諸国を浮浪していた時代から、朝倉家で客分となっていた時代から共に過ごしてきた存在、
忠義の心はもちろんありますが、そのような強い縁があるのです。

光秀殿は山﨑合戦から無事逃げ延びているかもしれない、いや無事であってほしい、
いや絶対無事である、と心に決めながら、

「自らの物語」としても、坂本城に向かっていたと思います。

二行目
「主と頼める人のため命も名をも陣頭の
馬蹄(ばてい)の塵と蹴り捨てし
弓矢の道こそ、哀れなれ」

主人と信頼していた人のために、
命も名声も馬蹄(馬の蹄)の塵と思って蹴り捨てる。
弓矢の道(武士の道)こそ、趣深いものである。

ここも、字義では忠誠心が押し出されていますが、
上述の主従を越えた縁の想いと共に、
左馬之助は坂本城に妻子が残る。家臣団もいる。
だからこそ自分は坂本城に辿り着かねばならない。という強い意志を謳いたいと思います。
ちなみに、「弓矢の道」の表現
武士の魂が刀になったのは江戸時代以降、
戦国時代までは武士のアイデンティティは「弓矢」なのです。
「街道一の弓取り」の今川義元や、「弓流し」の源義経
弓に纏わるエピソードも追っていくと面白いです。

「ここに明智左馬之助、光俊は羽柴の勢に追い立てられ最後の戦(いくさ)せんものと三百余騎を引具して、大津の方へと打たせ行く」

ここは主人公の紹介です。
琵琶は必ずココがありまして、いつどこで誰が何をした、という句があります。

これが「語り」と「歌」の音楽の違うところですね。

琵琶語りは講談のように、ト書きやナレーションのように客観的な目線の語りがあります。

ちなみに明智左馬之助は史実としては「秀満」ですが、「光春」や「光俊」として語られることも多いです。

真田幸村が本当は真田信繁であるような感じですね。

湖水での戦いは羽柴勢の堀秀政軍との戦い
300余騎とありますが、琵琶歌も講談も「盛る」ので笑
おそらくはもっと多かったんではないかと思います。

この「最後の戦」というところも趣深く、
本当なら、坂本城にいったあと、諸国からの参集を募って
もう一戦秀吉と勝負する、ということも考えられたかもしれませんし、
籠城戦がありえたかもしれません。

しかし、「最後」だと思っていた。
最後だという覚悟で向かったところでしょう。

実際には左馬之助は籠城戦はせずに、逃げられる家臣は逃げさせて
宝物類も引き渡して自害するので、実際にこの戦いが最後となりました。

坂本城のある大津へ向かう。

ここで琵琶の手(弾き方)も徐々に激しくなっていきます。
3拍子をベースにして、変拍子が入ってきて、
序盤戦を表現しています。

「命惜しまぬ人々は、我に続けと大音に
味方の勇気励まして、飛電の如く突きかかる」

ここが歌としては一番の大きいところ(ffですね)。
左馬之助が配下を鼓舞するところ。
多勢に無勢ですが、精鋭の左馬之助配下で堀秀政軍のど真ん中を突き進むイメージです。

「一萬余騎の敵軍も、この勢いに堪ええず 算を乱して崩れけり」

ここは、少し趣を変えて
私は堀秀政の主観で語っています。
堀秀政は後に小牧長久手の戦いの功績で十八万石を得る大名、
対する左馬之助は、生え抜きではありますが光秀の側近にすぎない。

この格の違いから、「天晴れ左馬之助」という心持ちであったのではないか。

このあと、琵琶の「くずれ」
ギターソロのような部分ですね。少し長めの琵琶のインストの部分があります。
ここでは、是非とも獅子奮迅の活躍をする左馬之助軍をイメージして頂きたい。

堀秀政軍を駆け割って突き進む、

しかし、だんだんと包囲網は狭まっていきます。
琵琶湖沿いを走り抜けるルートも狭まってくる。
そんな苦しさも思い描いて頂けたら。

「日本一の湖を、明智左馬之助光俊が、乗切る様を見おいてぞ
武辺の語りに遺せかし、
いざやと手綱かいぐりて一鞭あつれば忽ちに駒はさながら飛ぶ如く
ざんぶと波に打ち入ったり」

ここがいよいよと切羽詰まったところです。
湖岸を走るルートが潰され、窮地に立たされる。
しかし、ここで唯一、琵琶湖を泳ぎ渡るルートに活路を見出す。

講談などでは、この段階で左馬之助はただ一人となっています。
そうしないと、自分だけ琵琶湖わたったことになるので笑。

単騎で湖に入っていく
おそらくは入水だと思ったんではないでしょうか。
または、天晴れ左馬之助と思ったか。

那須与一が矢を射るときに平家側が攻撃しなかったように
左馬之助が湖水を渡ることができなのも、そんな合戦の美学があったからなのではな
いか、と想像します。

「武辺の語りに遺せかし」
後々の戦の語り草にしてくれ、という左馬之助の台詞

「ざんぶと」
ここで琵琶は、撥を弦に押し当てて

スリ上げる音が入ります。琵琶はこうやって撥を腹に叩いたり、弦をこすったりと

物語の効果音として使うこともあります。

ここから、琵琶の手は
シャララーンとゆったりとしたリズムを刻みます。

これは左馬之助と愛馬である大鹿毛(おおかげ)が悠然と泳いでいる姿を表現しています。

「さしもに広き湖を真一文字に乗切る様
さすがの敵も茫然と鳴りを静めて見送りけり」

ここも、茫然としつつも、武士(もののふ)の美学として静観する様が見られますね。

左馬之助が主人公の伝説ではありますが、堀秀政のカッコよさもあると思うのです。

おそらくは秀吉からは左馬之助を討ち取れなかったことを怒られたでしょうが笑、

それでも、この伝説を目の当たりにできたことはよかったのではないか。

ちなみにこの後は、明智秀満坂本城にたどりつきまして、光秀の敗死を知ります。その落胆はいかほどか。

頼みの綱である細川藤考・筒井順慶からも見限られ、いよいよ秀吉側に参集する軍勢は日増しに多くなる。

ここで左馬之助は籠城戦で味方を損傷することなく、女性や子ども、家臣は逃げられるものは逃げられるように手配をして、宝物も目録つけて引き渡して、自分は家族諸共に自害して(ここは悲しいところですが、時代背景からは致し方がな
いんでしょう)。

武将としても見事だったといわれています。
だからこそ、今の今でもヒーローとして語り継がれているんでしょうか。

そんな左馬之助の湖水渡り伝説、是非ともお楽しみください!!

無声映画と琵琶

活弁士と琵琶

 

岡田斗司夫さんが鬼滅の刃の考察していて、
無声映画からトーキー(音付きの映画)に移り変わる時代背景を話しているのですが、

その頃の映画館と琵琶奏者の話。

 

無声映画
チャップリンやバスターキートンを見たことがあるかな、とか
映像の世紀』で歴史物語として見るぐらいですが、

滑稽なドタバタ演技にラグタイムのピアノが鳴ってるアレですね。

セリフが字幕でながれる。

 

アメリカだと映画館で生のオーケストラ演奏がついたりもしていたのですが、
日本だと活弁士がパンパンとハリ扇で台座を叩いて、
ナレーションをしていた。

 

それで、実は活弁士と同じように
琵琶奏者も映画館でナレーション兼BGMをしていた、らしい。

 

鶴田錦史先生も伝記で
琵琶ブームが少し落ち着いた頃に
長野の映画館をハシゴするようすが描かれています。

 

琵琶だと箏や三味線と違って
いつどこで誰がどうした、というト書きを語れるので、
まぁ無声映画を彩るにはちょうどよかったんですよね。


そんな役割があり、
演奏収入が落ち着いた頃には貴重な定期収入となっていた。

 

ところが、
まぁ、ご存知のとおりトーキー、音声付きの映画が普及すると、
活弁士が軒並み廃業することになります。

 

これ映画『アーティスト』でその辺りの時代がよくわかる。
無声映画だと、訛りがあったり、声が良くない俳優も人気になれたのですが、
トーキーが始まると人気が聚落していくんですね。

 

映画のモデルは、おそらくジョン・ギルバートという俳優
口髭の似合うダンディな紳士で
甘い低音ボイスで囁きそうな見た目なんですが、
イメージに合わない甲高い声だったそうで。

 

日本でもバンツマこと阪東妻三郎
古畑任三郎田村正和のお父さんも
トーキー移行期は苦労して、喉を潰して低い声にしたそうな。

 

琵琶奏者もトーキー普及とともに
映画館のBGMの仕事は終わる。
長唄なんかだと歌舞伎小屋の居付きの奏者ができますし、
洋楽ならフィルの一員という固定収入がありますが、

映画館専属が無くなるのは割と手痛いところ。

 

トーキー普及とラジオから流れるジャズやポップス、
そして戦争の始まりで、だんだんと琵琶ブームが終わっていく。

 

まぁ、一つの時代の終焉ですね。

そんなときに、次の時代にキャッチアップするか、何もしないか。


映画『アーティスト』の主人公は
「トーキーなんて子ども騙しさ、無声映画こそがアートなんだよ」と
自分でメガホンをとって大コケします。

 

他方、阪東妻三郎
声の演技に取り組んで、一時の低迷はあっても復活する。

 

「トーキーなんて子ども騙しさ」と
割といってしまってる古典芸能人を見るのですが。。。

 

新しいプラットフォームしかり、
新しい音楽フォーマットしかり、ですね。

 

ちなみに武満徹と鶴田先生のタッグでの
琵琶の映画BGMは、
ある意味では映画館を彩っていた琵琶の復権ともいえるんでしょうか。

 

そういえば学生映画のときに
切腹』みたいなBGMをやりたいんですよ、とお声がけ頂いて、
琵琶のサントラをしたことを思い出します。

 

ということで、

新しいプラットフォーム、

TikTokもやらねば、なぁ。
(そんなの子ども騙しだよ、と言ってしまいそう笑)