ウクライナのバンドゥーラ弾き~盲目の吟遊詩人と琵琶法師~ その1
琵琶とウクライナを繋いで考えていきたいと思います。
ご存じ日本の琵琶は、
ペルシャのバルバット・オウドという楽器と祖を同じくしており、
シルクロードを通って日本にわたってきました。
バルバットは西欧に渡ってリュートとなり、
フレットで弾く部分と、開放弦が張ってある部分があります。
ギターのようであり、ハープのような、斜めにする構え方も面白いです。
20世紀初頭までは、バンドゥーラ奏者は盲目の人が多く、
ドゥムカという叙事詩を歌いながら弾くようです。
平家物語を語る盲目の琵琶法師と似ていますね。
盲人の職業として音楽家が選ばれることは、ある意味では世界共通です。
ウクライナ史をたどると、
9世紀にはキエフ・ルーシという国ができました。
ただし、キエフ・ルーシ
その分家筋がモスクワに移行すると、
キエフ・ルーシはもっぱらロシアの祖であると捉えられるようになります。
中世から近世にかけては
様々な国の統治を受けつつ、
15世紀後半、ウクライナ地方では武装した人々が共同体「コサック」を作ります。
ポーランドとリトアニアの臣下でありながら自治制を有する特殊な集団でした。
もっとも内乱を経てロシア・ポーランド戦争が起こり
1689年に永遠平和条約によって、ウクライナはロシアとポーランドで分割されます。
ウクライナ語の書物の出版や流通が禁止されるようになります。
ウクライナのロシア化政策の始まりです。
そのあと、僅かな独立時期と、
束の間の、ロシアとウクライナの良好な関係の時代です。
政府職員でウクライナ語ができないものは履修して1年以内に習得しなければ解雇されることに。政府文書や刊行物はウクライナ語によることとされ、1922年には2割だったウクライナ語文書が1927年には7割になったという。
1年以内に習得しないと解雇というのは、なかなかに自分に置き換えると恐怖感ありますね。
1年以内にビジネス英会話を使えないとクビ、、、
この時期にウクライナ文化・文学が花開くことになりますし、
ウクライナとロシアが良好な関係であった時期です。
その揺り返しがスターリン
農業集団化を図り、土地から農民を切り離して移住させます。
農作物を強制的に取り立てる、ということで
1933年に「穀倉地帯であるウクライナ」で飢饉が起きるという異常事態が起きます。
農民はパンは食べることはできず、ねずみや木の皮や葉を食べたとも、
これで300万から600万人が餓死したというから恐ろしい。