琵琶 双山敦郎 晴耕雨琵

琵琶プレーヤー双山敦郎のブログ

ウクライナのバンドゥーラ弾き~盲目の吟遊詩人と琵琶法師~ その1

ウクライナを、8000キロ離れた遥か東欧(西アジア)のことだと思わないために、
琵琶とウクライナを繋いで考えていきたいと思います。
 
ご存じ日本の琵琶は、
ペルシャのバルバット・オウドという楽器と祖を同じくしており、
シルクロードを通って日本にわたってきました。
 
バルバットは西欧に渡ってリュートとなり、
東にわたって、中国琵琶(ピパ)、朝鮮半島の琵琶(ビパ)、ベトナムの弾琵琶(ダンティエンパ)になりました。
 
バンドゥーラは、リュートとツィターを合体させたような楽器で、
フレットで弾く部分と、開放弦が張ってある部分があります。
ギターのようであり、ハープのような、斜めにする構え方も面白いです。
 
20世紀初頭までは、バンドゥーラ奏者は盲目の人が多く、
ドゥムカという叙事詩を歌いながら弾くようです。
平家物語を語る盲目の琵琶法師と似ていますね。
盲人の職業として音楽家が選ばれることは、ある意味では世界共通です。
 
ご紹介するのはウクライナの若きバンドゥーラ奏者
バレンティン=ライシェンコさん
白い現代風なバンドューラ
エレキバンドューラも開発したらしいです。
どこの分野でも新しいことに挑戦する人はいるようで。
スチール弦だから、そのままピックアップを付ければエレキになるのかな。
 
ウクライナ史をたどると、

今のウクライナの地は、

紀元前8世紀から、キンメリア人・スキタイ人、紀元前3世紀にはサルマティア人、

3世紀には東ゴート族、4世紀から5世紀にフン族

6世紀にアヴァール族が支配者となり、8世紀にはハザール・ハン国と様々な民族が入り乱れ、

 
9世紀にはキエフ・ルーシという国ができました。
キエフ大公国キリスト教に改宗したため、
東スラブ人のキリスト教国という、今のウクライナを構成する租はこの国にあります。
 
ただし、キエフ・ルーシ
キエフウクライナの首都ですし、ルーシはロシアの語源になっており、
ウクライナとロシア、ベラルーシの共通の祖である、と。
なので、ロシアの建国神話の土地(聖地)はほとんどがウクライナにあります。
ロシアがウクライナを「自分の地」として扱いたいという背景はここにもあります。
 
そのあとはモンゴル帝国の侵攻によって、キエフ・ルーシは消滅
その分家筋がモスクワに移行すると、
キエフ・ルーシはもっぱらロシアの祖であると捉えられるようになります。
 
中世から近世にかけては
様々な国の統治を受けつつ、
 

15世紀後半、ウクライナ地方では武装した人々が共同体「コサック」を作ります。

ポーランドリトアニアの臣下でありながら自治制を有する特殊な集団でした。

 

もっとも内乱を経てロシア・ポーランド戦争が起こり

1689年に永遠平和条約によって、ウクライナはロシアとポーランドで分割されます。

 

1863年には、ロシア下のウクライナは、

ウクライナ語の書物の出版や流通が禁止されるようになります。

ウクライナのロシア化政策の始まりです。

 
そのあと、僅かな独立時期と、
ロシア革命なども経てレーニン時代
束の間の、ロシアとウクライナの良好な関係の時代です。
 
共産党の支配を定着させるために1923年にウクライナ人の支持を取り付ける必要を感じ「ウクライナ化」政策が行われます。
ウクライナ共産党の幹部にはウクライナ人が登用されるようになり、ウクライナ語も推奨される。
政府職員でウクライナ語ができないものは履修して1年以内に習得しなければ解雇されることに。政府文書や刊行物はウクライナ語によることとされ、1922年には2割だったウクライナ語文書が1927年には7割になったという。
 
1年以内に習得しないと解雇というのは、なかなかに自分に置き換えると恐怖感ありますね。
1年以内にビジネス英会話を使えないとクビ、、、
 
この時期にウクライナ文化・文学が花開くことになりますし、
今のウクライナ人のアイデンティティの部分も、この時期のウクライナ語教育に拠るものも大きいとのこと。
ウクライナとロシアが良好な関係であった時期です。
 
その揺り返しがスターリン
レーニン1924年に亡くなると、権力を掌握するのがスターリン
農業集団化を図り、土地から農民を切り離して移住させます。
 
農作物を強制的に取り立てる、ということで
1933年に「穀倉地帯であるウクライナ」で飢饉が起きるという異常事態が起きます。
 
ウクライナから強制徴収された穀物はロシアの都市住民にまわされ、更に国外輸出もされていたので、意図的な飢饉であるとされています。
農民はパンは食べることはできず、ねずみや木の皮や葉を食べたとも、
 
これで300万から600万人が餓死したというから恐ろしい。
この「意図的な飢饉」によって独立の気勢があったウクライナ東部やクリミア半島ウクライナ人が多く死に、ロシア系住民が移り住んだと言われています。
 
報道でも「クリミアやウクライナ東部では親ロ派住民が多い」とする伝え方がされますが。
確かに、現在にそのような傾向はあるとしても、
スターリン政策までさかのぼって言及する必要があると思います。
 
そして、スターリン政策は、バンドゥーラやコブザの奏者にも及びます。
スターリン民族主義的なものを嫌い、
1930年頃、盲目の吟遊詩人であるコブザやバンドゥーラの奏者がハルキフの大会で集まったのですが、
そこから郊外の谷間に移動させられて、数百人が殺されたといいます。
ハルキフではコブザやバンドゥーラの奏者の石碑が建っています。
 
ロシアはウクライナを、ときに兄弟の国と言いつつ、
その民族性を否定したり、「属国」として扱ってきたということもわかります。
 
スターリンウクライナに対する行いと
プーチンのそれとは、重なるところも大きいと感じます。
 
今回のウクライナ侵攻で、同様のことが起きないことを祈りつつ。
バレンティン=ライシェンコさんの無事を。